LasVegasをRasVegasに~911 ATTACKS~
2,000年3月末~2,011年7月中旬までのラスベガス在住期間中に起きた最も印象的な出来事は、
** 911同時多発テロだ**
2,011年9月11日の仕事は、朝7時半にマキャラン国際空港にハワイからの到着便搭乗のお客様2名の出迎え&宿泊ホテルへ会社所有の白いキャデラックで送り、チェックインをお手伝いする業務だった。
早朝の到着便の出迎えは比較的珍しく、ハワイで結婚式を挙げて新婚旅行先に、当時アメリカ🇺🇸本土の観光では人氣上昇中のラスベガスを選択したのだろう。
僕の経験からすると、日本からハワイに到着する場合はハワイ現地時間の早朝6時頃が多いのだが、ハワイ→ベガスの到着時間も午前7時台だと時差ボケがダブルで大変だろうなと、あの辛さを多少なり知っている僕はふと思った。
空港出迎えの仕事は、先ずインターネットや電話で到着便の遅延や早着のフライト情報を確認することから始まるのだが、この度のハワイからの到着便は時刻通りに到着する予定になっていた。
約束ギリギリの時間に現場に行く事で氣持ちが焦り不安になるのが好きではない僕は、到着予定時間の約30分前の午前7時頃に、空港メインターミナルから乗ったDゲート行きのトラムから降りたのは、仕事の時にしか着けない腕時計で確認したから覚えている。
Dゲートに到着したトラムを降りたところにエスカレートがあり、到着便と出発便のフライト情報モニターがあるのだが、念の為に到着便の情報を確認しようとモニターを眺めた瞬間に、画面の右端にあった各便の予定時間が上から順に突然
** CANCELED**
** CANCELED**
** CANCELED**
** CANCELED**
** CANCELED**
と表示されていった❗️
思わず、
** WTF**⁉️
と声を上げた僕だったが、エスカレーターに乗って上から降りて来た男性が、
** You don’t know what’s happened❓You should better check a TV in the restaurant on upper floor.**
というので、何が起きたのか全く理解出来ていない僕は、慌ててエスカレーターに乗りステップを一段飛ばしで駆け上がった。
エスカレーター上のレストランにあるTVを見ると、WTCビルに突っ込んでゆく飛行機の姿が見えた✈︎💥🏙💨
事件発生後に皆が口を揃えて言っていた、正に
** 映画のワンシーン**
の様な光景がTV画面に映っていて、それが何度も何度も繰り返されていたのだが、未だ何が起きたのかさっぱり理解不能だった。
まだ朝の7時、会社のオフィスには誰も出社していない時間帯だった。ガイドがオフィスに連絡したり、ガイド同士で仕事の状況確認のやり取りをする為にMotorolaの無線機を渡されているのだが、その黒くゴツい無線機のトークボタンを押して冷静にコールした。
** おはようございます。Tよりオフィス、どうぞ**
“T”というのは仕事中の僕の呼び名のようなもので、自分の氏名の頭文字だった。例えば、『佐藤』という氏の場合はそれが“S”になるのだが、『鈴木』という氏も同じく“S”となる。年功序列制のようなもので“S”は既に『佐藤』が使用しているコードネームになるから、『鈴木』は次のアルファベットの“U”がコードネームになるという具合だ。僕のイニシャルは“N.N“なのだが、名前で言えば”N“, ”O“, ”B“, ”U“も既に使用中コードネームとなり、僕は”T“になった。
オフィスワーカーは当番制で無線機を自宅に持ち帰り、緊急連絡に備えているのだが、911当日の当番はミカちゃんだった。
** おはようございますTさん。何かありましたか?どうぞ**
とミカちゃんから応答があった。
** 現在、空港出迎えでDゲートにいますが、フライトインフォのモニターを見ると全便キャンセルのようです、どうぞ**
取り敢えず、フライト情報モニターを見て起きた事を伝えると、
** え⁉️** **冗談抜きで何を言ってるんですかTさん、どうぞ**
そりゃそうだ。いきなり全便キャンセルと言っても無線機の向こう側、まだ自宅にいるミカちゃんに意味不明な報告だろう。彼女の怪訝そうな表情が脳裏に浮かんだ。
** ミカさん❗️至急TVを点けて下さい。多分、全局同じ内容の放送をしていると思います、どうぞ**
旅客機がNYCの象徴、WTCビルに突っ込んで爆発炎上していると言っても、更にわけわかんない意味不明な報告で『ドッキリ』『モニタリング』ではないかと思われるのがオチだっただろう。
** Tさんどうぞ**
TVを点けて状況を把握したのか、さっきより慌てた感じの口調でミカちゃんからの無線が入った。どうやら空港がシャットダウンされたようで、離発着ゲートに入れなくなってしまった様子で、DゲートにいるH○Sのガイドは僕一人だったらしい。ラスベガスからアウトするお客様は午前6時台の早朝出発便に搭乗する事があるのだが、迷子のお客様いるから集めて欲しいとのことだった。
** 10-4(無線で了解という意味)**
仕事の前日に、翌日の仕事内容が記載されたスケジュール表がオフィスに設置された各ガイドの棚の中に入れられるが、自分の仕事の情報以外は殆ど分からず、お客様で名無しの権兵衛さんを何人探し出して集めれば良いのかすらも不明だった。ラミネートされた白い無地の紙に青字で“H○S”と書かれた看板を片手に、広いDゲートを隅から隅まで
H○Sのお客様はいらっしゃいますか?
と何が起きたのかさっぱりわからない日本人旅行者に見える人々に声を掛けて回った。その後、Dゲートから10名程のお客様と手配されたバスに乗り込み、氏名と宿泊していたホテル名を確認して各ホテルに送り届けた。
ご存知の通りH○Sツアーは、3泊5日や4泊6日などで往復航空券と宿泊ホテル&送迎込みでもかなりの格安だったが、ホテルによってはツアー料金と一般料金の宿泊費は全く違うと言っても良いくらい後者の方が高く付く。
全米の空港が閉鎖されたので飛行機は飛ばないから次の目的地への空からの移動も日本帰国も出来ない。そんなこんな宿泊していたホテルに戻ってもらい延泊手続きが開始されていった。
数日間空港が閉鎖されたので、911当日、翌日、翌々日と日本帰国予定の人達が足止めを喰らい帰国難民が増加していったのだった…
911の2日後の13日にはANAが飛んで、アメリカ滞在中だった石原慎太郎氏が帰国出来たという情報が入ってきたのだが、H○Sのエアティケットでラスベガスにお忍びで遊びに来ていた与党の議員がいてもの凄い剣幕でオフィスに電話をしてきた。
** 都知事は帰国出来たのに国会議員は帰れないのか?さっさと帰らせろ**💢
という主旨だったらしいが、電話に出たK支店長がその酷さにブチ切れて、狭いオフィス全体に響くほどの大声で受話器の向こう側の輩に積極を始めた😡
** カッケーK**❗️
とスタッフ全員がK支店長の株が上がった瞬間だった。(後に日本の本社の社長が呼び出され大問題に発展したが、事が事なのでK支店長の座はどうにか安泰だった…)
ガイド班のメンバーはみんな当然、いつも通りの業務内容ではなく、オフィスに鳴り響くお客様からのクレームの電話対応が仕事となっていった。
若い女性のグループ旅行客はヴィニシアンやベラージオに宿泊していたりしたのだが、手持ちのお金が減ってゆき延泊が出来ないだとか、全くお金がないから日本の家族に連絡して滞在為の宿泊費を日本から送金してもらう手続きをして欲しいとか、前途の国会議員のように怒り始める人も出てきて収集がつかない状況になっていった。
そこで、高い延泊料金が払え無い帰国難民のお客様を一つのホテルにまとめて集めようという案が出て、ラスベガス中心部から東側に位置するローカル向けの“SUNSET STATION HOTEL & CASINO”が帰国難民の滞在ホテルになった。
STATION系のカジノホテルはラスベガスに数件あるのだが、ベガス中心への無料シャトルバスがあったり、ホテル敷地内には映画館もあったりの至れり尽くせり、宿泊料金が安く利便性の高い僕好みのホテルなのだが…
** 一体、いつになったら日本へ帰国出来るのか**⁉️
帰国難民のお客様の不安、不平不満が大きくなっていった。いつの間にか、
** 帰国難民被害者の会**
のようなものが発足して、お客様の代表者数名が連日のようにオフィスを訪れるようになる。僕だったら、ある意味、正当な理由で帰国不可能なのだから
** まだ日本に帰らないでアメリカにいれるのは超ラッキー**🤞
と前向き?に捉えるのだが、暫くして空港閉鎖が解除されても帰国の為の航空券予約の手続きに空港チェックインカウンターが長蛇の列をなしてなかなか捗らないし、帰国の優先順位は911当日に帰国予定だったお客様という事になるので、まだまだどうなるのかわからない状況が続いていた。
そこで、ラスベガスからL.A.経由で日本へ帰国予定のお客様を一氣にL.A.迄バスで輸送する案が出て遂行されたのだが…
ガイド班は、集められたSUNSET STATIONに行って隠密に優先順位通りのお客様と話をしてお迎えの情報をコッソリ提供し、L.A.行きのバスに乗せたのだった。
LasVegas ⇄ LosAngeles は、Tokyo ⇄ Kyoto と同じくらいの距離。
ベガスとL.A.の中間地点の砂漠地帯に、“Barstow”という街がある。そこにはアウトレットがあるのだが、帰国難民のお客様達を乗せたバスの休憩地点となった。トイレと食事を兼ねて20分の休憩時間を取った。
20分の休憩時間が終了して出発時刻になったが、女性客2名がまだバスに戻って来ない…
** もしやアウトレットでお買い物?**🤔
そう直感した僕は、アウトレット入り口付近に向かうと案の定、2人の若い日本人女性が買い物袋を抱えて猛ダッシュでバスの方向に向かって来た。
** すいませ〜ん(≧∀≦)(≧∀≦)**
ちっとも悪びれた感じがない物言いに
はーい、出発時刻を過ぎてますし、他のお客様達もお待ちですから…
** 攫われちゃったのかと思って心配しましたよー**😅
作り笑いで内心はFワードを使って物申したい氣持ちにベールをかける。
緊急事態発生、日本に帰りたい氣持ちよりもお買い物したい欲が優先される日本人観光客に多い独特の、トレンドやファッションに振り回される物資至上主義。僕には理解し難い、観光旅行というよりも
** 買い出し旅行**🛍
90年代初期の頃に参加していた『いのちのまつり』
野外フェスの元祖「いのちの祭り」:脱原発と日本のカウンターカルチャーのクロニクル @wired_jp https://wired.jp/2012/11/30/inochinomatsuri/
で、九州のアーティスト『風太郎』が歌っていた
** 全てファッション なにもかもファッション**
というフレーズが僕の頭の中でグルグルと木霊した…
出発時刻に遅れた女性客2名をバスに押し込み、目的地のL.A.のダウンタウンにある『ホテルフィゲロア』を目指して走り出した。そこはH○S LosAngeles支店御用達で、シーズン毎に変わる建物の外壁に大きな絵が特徴のアラブ調モロッコ風デザインの老舗ホテルだ。
幽霊が出るホテルという事で有名だが、確かに何度か宿泊したが怪しい空氣が漂っている。
ロサンゼルスの幽霊の出るホテルhttp://silvermoon2010.blog27.fc2.com/blog-entry-224.html
荒野にある街BarstowからL.A.ダウンタウンまで2時間程かけて到着、LosAngeles支店のガイドスタッフに引き継ぎをして、そのままバスドライバーと2人きりでベガスにとんぼ返りをした。空港の離発着が正常化されるまでは、何度かこの行程が繰り返されたのだった。
その後、ベガスではSUNSET STATIONに集めたH○Sのお客様で新婚カップルが行方不明になったりする事件も発生したりした。何処を探しても見つからず、新婚カップルの帰国経由地点のSFOにその旨を連絡すると
** 〇〇様2名ですが、既にこちらに到着していらしてます。今晩はディナークルーズにご参加されていますよ♪**
その新婚カップルは自力で、アメリカ長距離バス『グレーハウンド』に乗ってベガスからSFOに行ったという事後報告が返ってきた…
911の翌年は、帰国難民だったお客様が個人旅行でベガスに再訪し仕事中の空港でバッタリ再会。
** お久しぶり、ご無沙汰しています。いや〜、去年の出来事で海外でもどうにか個人旅行が出来るんだなと分かって、今回は往復航空券だけH○Sで購入して来ました♪**
間接的に911テロに遭って旅行経験値がUPした日本人が増加したようだ。
その後、911はイスラム過激派『アルカイーダ』の仕業だと言われた。首謀者で実行犯の一人だという『モハメド・アタ』が911計画実行前にベガスに潜伏していたというニュースをTVで視たのは、ベガスダウンタウンのレゲエショップ“Caribbean Life Style”だったのだが、アタの潜伏先としてTV画面に映し出されたモーテルが
なんと❗️
そのレゲエショップの対面だった。
** 911同時多発テロはアメリカの自作自演だった**
という陰謀論も生まれ、『華氏911』を筆頭に映画や書籍、YouTubeなどのSNSには現場のWTCビル内で救助活動にあたっていた消防士が無線でやり取りした音声通話記録などが公開されている。
イスラム過激派のテロは、ジハード(聖戦)である。アッラーの為に実行しているのだが、
何故、911テロ発生後にアルカイーダのオサマ・ビンラディンは犯行声明を出さなかったのか?
という疑問が当時から、そして今でも僕の頭の中では渦巻いている。
911直後は、ラスベガスの街中でもアメリカ国旗を付けパタパタと靡かせなら走行する車が急増した。移民システムも厳しさを増し右傾化の始まりを実感した。あの悲惨な事件さえなければ、僕も簡単にアメリカの永住権を取得していただろうと思う事がある。
** 真相は闇の中である。**
そして、これを書き終える今日は、2,000年3月11日。二つのイレブン事件が11年に及ぶ僕のラスベガス移住生活に深く関わっているのだが、日本での311がどのように関係したのかは、またの機会に改めて書いてゆこうと思っている。
** 911と311の犠牲者の皆様に黙祷**🙏
つづく
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