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優秀な人ほど孤独なのかもしれない

とある本に書いてあったことと自分が思ったことのまとめ。


"うつけもの(愚か者)"と称された織田信長は、父親の葬式にラフな格好で現れ、「こんなことしたって親父は生き返らねぇ」と遺影に焼香を投げつけたそうな。天下統一をほぼ手中に収めた英雄でさえバカと呼ばれ周りから笑われた過去を持つ。

大軍師の諸葛亮孔明は"三顧の礼"で劉備玄徳に仕えるまでは隠居暮らし。「死せる孔明生ける仲達を走らす」の言葉通り、死んでも尚敵国を脅かす存在となる。
国士無双と呼ばれた韓信はしょうもない争いを避けるためにならず者の股をくぐって許しを乞い、股夫と呼ばれた浪人だった。しかしのちに高祖に才能を見出され、漢統一に大きく貢献する。
(三国志も項羽と劉邦もおもしろいのでぜひ)

コペルニクスは地動説に気付いていたが公に言うことを控えていた。後に同じく地動説を唱えたジョルダーノ=ブルーノやガリレオ=ガリレイは、異端とされ、投獄されてでも自分の考えを貫いた。

「どう考えても自分が正しい」からだ。

ただそこにある事実を淡々と見つめ、時が来たら動くなり、自らの手で現状を切り拓くなりする。

天才的な学者や文学者ほど、幼少期はめちゃめちゃだったりする。彼らの親や教育者は「なぜ周りと同じことができないのか」と頭を抱えたのだろうか。みんなと同じようなことをさせる教育よりも、手に負えないからと放置した方が将来化けるのだろうか。名を上げずに散っていった才能がどれほどあるだろうか。

また、発明王として知られるエジソンはこんな言葉を残している。
"The best thinking has been done in solitude. The worst has been done in turmoil."
「最高の思考は孤独のうちに為され、最低の思考は混乱のうちに為される。」
一人であーでもないこーでもないと考えながら実験を繰り返す姿が目に浮かぶ。


現代で言うと、某2ちゃんねる創設おじさんやおでんメガネの人やホリエモンなど、このご時世で芯食ったことを言える人間はどこか孤独なイメージがある。メディアに出る世界では人間関係が広がれば広がるほど言いづらいことは増えるんだろうけど、彼らは気にしないと思う。
「どう考えても自分が正しい」から。

自分みたいな凡人は、実際はそうじゃなかったとしても、そう思い込むことは大事なのかもしれない。自分が何か人と違うことを始めた時なんかは、間違ってなかったと言い聞かせてそれを証明するための原動力になると思うから。

周りに合わせたほうがいいなと思った時はもちろんそうする。ただ、「なんとなくみんながしてるから」じゃなくて「自分は合わせた方がいいと思うから」で決める。自分の行動まで他人に縛られてちゃ生きづらくて仕方ない。


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