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人生の体感速度について思うこと

ドライヤーが壊れた。

OFF→COLD→SET→TURBOとスイッチで切替わっていくのが通常なのだが、いくらスイッチをスライドしても、SETとTURBOが切替わらない。
風呂上がりに髪を乾かす際にTURBOが使えないというのは、思いのほかストレスが溜まる。
ましてや娘の髪を乾かす際には余計に時間が掛かる。
娘の髪は僕よりずっと長い。
きっと、妻のストレスは計り知れない。

もう、最近買ったばかりなのに!と憤りかけたが、家電量販店のアプリで履歴を確認すると、購入したのは2019年の秋だった。
もうすぐ丸5年が経とうとしていることに、ただただ驚く。
年齢を重ねるにつれて時間が過ぎる(体感的な)スピードが加速していることを痛感させられる。


「ジャネの法則」というものがあるそうだ。
フランスの哲学者・ポール・ジャネが発案した法則で、これまで歩んできた自分の人生の時間に対して「1年(365日)」がどのくらいの割合を占めるか、で1年の体感速度が変化するという説だ。
たとえば、1歳児が感じる1年を365日すなわち1分の1とすると、5歳児が感じる1年は5分の1年で73日程度、40歳ならば40分の1年で9日程度、60歳ならば60分の1年で6日程度、という理屈。

かいつまんで言えば、「年を取るごとに1年が過ぎるのが早くなっていくよね。俺なんか10日くらいで1年が終わってる気がするよ。」のやつ。
「この前おせちを食べたと思ったら、もう師走だよ。年は取りたくないね。」も同義だ。

【365日÷年数=体感的な1年の早さ】とすると
●1歳児のこれまでの人生→1年
365日を1で割ると…
(365日÷1年=365日)
体感的な1年の早さは365日

●5歳児のこれまでの人生→5年
365日を5で割ると…
(365日÷5年=73日)
体感的な1年の早さは73日

●40歳のこれまでの人生→40年
365日を40で割ると…
(365日÷40年=9.125日)
体感的な1年の早さは約9日

●60歳のこれまでの人生→60年
365日を60で割ると…
(365日÷60年=6.083日)
体感的な1年の早さは約6日

どうやら今年42歳になる僕は、1年を9日足らずのスピードで過ごしている感覚のようだ。

仮に僕が80歳まで生きると仮定すると、残りの寿命は38年。
だが、(詳細な計算は割愛するが)上記の計算を段階的に当てはめていくと、残り245日が体感的な寿命となる計算だ。

無論、これは一つの考え方に過ぎない。
誰の視点で観測するかによってもこの数字は変化するし、実際に僕の過ごす1週間を、僕は1週間だと思っているし、そう感じている。

だが、あながち外れた考え(法則)ではないようにも思う。


この計算に当てはめれば、3歳を過ぎた我が娘は1年を122日の体感速度で生きていることになる。

乗り物に例えれば時速4.8kmの徒歩と時速60kmで走る自動車くらいの差があることになる。

僕の13分の1の速度で生きている娘。

先日、僕は彼女を叱らざるをえない場面があった。
時間にして1分足らず。
その後5分程度、娘は泣いていた。

「13」という係数を念頭に置いて彼女が体感した時間を考えると、彼女は13分に亘り僕に叱られ続け、1時間5分に亘り泣き続けたことになる。

もちろん「叱る」という行為も必要な事柄ではあるのだが、もう少しコンパクトにしても良かったのかもしれない。
きっと、経過した人生の時間を社歴に置き換えると、会社の若手、後輩、部下に対しても当てはまる考え方だろう。

繰り返しにはなるがあくまで一つの考え方であるし、年齢だけではなく、人によって時間の体感速度は異なる。
その観点からも、他者との接し方や方法は考え、適宜調整すべきなのだろう。
そんな事を考えた、週末の仕事終わり。

結論として僕が言いたいのは…



…なんせ僕の体感余命はあと245日。
とても忙しいので凝った結びなど求めて欲しくはない。

何の気なしに「ドライヤーが壊れた」と書き出してしまったものの大したオチを見出せない時の言い訳にも、丁度良いかもしれない。


週明け、この法則を我が物顔、ドヤ顔で誰かに披露して頂きたい。
きっとウザがられるだろうが、その責任は負いかねる。

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