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声について思うこと

僕の好きな漫画「ハチミツとクローバー」の中の一節に、こんな台詞がある。

声って いつまで覚えてられるんだろう

不安になって頭の中で何度も再生を繰り返す
思い出せる まだ思い出せる

でも もしこのまま二度と逢えないとしたら
最後まで残るのは姿だろうか

それとも 声なのだろうか

ハチミツとクローバー 第5巻より

僕の記事がこんな引用で始まると「どうした?」と思われそうだが、別にセンチメンタルな気分になったわけではない。
最近“人の声”について思うことがあるのだ。

前述の引用は「姿を知っていて、声も知っている」というのがバックボーンにあるが、僕を含めた多くのnoter同士は、ほとんどの場合が「姿も知らないし、声も知らない」。

noteを始めて1年と少し。
これまで沢山の方の記事を読み、「きっとこんな人なんだろうなぁ」と想像を巡らせてきた。
しかしどの記事もそれ自体が興味深いので、会ってみたい、話してみたい、という欲求は意外と発現することはなかった。

それが縁あって夏木凛さんやCAおとうふさんのところでアシスタントとして配信に参加するうちに、noteからもう一歩踏み込んだところに興味を持つようになる。

仕事や家庭の状況の関係でnoteの記事を書くまとまった時間が取れなかったのだが、音声配信ならばと思い、とりあえずstand.fmの自分のチャンネルを整備してみた。

きっかけを与えてくれた先のお二人には、ひと言概要を話してみた。
僕が参入することは明らかな二番煎じなので、シレッと始めるのも気が引けたのだ。
ヌルッと始めるのは何とも気持ちが悪いし、「うわ、この人も始めてんじゃん」と思われたくない。
優しいお二人なので嫌な顔などするはずもないのだが、筋だけは通しておきたかった。


チャンネルの名前は『思う〈と〉〇〇』にした。
僕のニックネームである「思う」と「○○(都度、ゲストの名前が入る)」のトークコンテンツ、という意味合いだ。
毎回ゲストの名前を入れ替えて使うためのサムネイルも作った。


「&」の中に「と」が隠れている(豆知識)


大体の準備を終え何名かの方にお声がけしたところ、ありがたいことに実際にゲストとして収録に来てくれた。
実際にとは言ってもオンライン上での事ではあるのだが、「来てくれた」の表現が一番しっくりとくる。

第二弾ゲストのアリエルさんに至っては、カナダと日本の国境を越えた収録。
インターネットって凄げぇ、と思わざるを得ない。
ひと昔前なら考えられない芸当。
それも個人レベルで、特別な機材を使うことなく。


現在も編集中、公開待ちの配信エピソードもいくつかあるのだが、早く公開したくてウズウズしている。

どのゲストの声も、意外だったり、想像通りだったり、もれなく好きだ。
声を知るだけで、精神的に近づけた気になる(気持ち悪いとか言わないでくれ)。

PCの音楽編集ソフトで収録音源を編集しているのだが、波形を見れば誰の声か何となく分かるようになった(多分なにかしらの病気か、思い込みだろう)。


Cubaseを使い、こんな感じで編集している。

まぁとにかく、いろんな方の声を僕のチャンネルを媒介して皆さんにお届けできれば楽しいかもなぁ、と思っている次第だ。


僕は自分の声について昔から思うことがある。

記録があるわけではないので「恐らく」なのだが、僕の声は小学生時代から低かったように思う。
明確に声変りを経験した記憶も特にない。

子ども同士とは残酷なもので、小学生時代に

「何でそんな地獄の底から聞こえてくるような声なの?」

と同級生に言われたことについては別に根に持っていないのだが、いま思えば

「は?地獄の底から聞こえてくるような声ってどんな声?聞いたことあるのか?何ヘルツくらい?そもそも地獄とは?『底』ってことは上澄み的な、表層的な部分は声高めなのか?『地獄を見た』という表現も確かにあるけど、あれは比喩表現であって実際に見た人間が…」

と、理詰めで反論すれば良かっ…いや、そんなガキは瞬時に友人を失うと相場が決まっている。
そもそも当時の僕は「超」が付くほど内向的極まりない人間だったので、いずれにせよ実行は出来なかっただろう。
数少ない友人がゼロにならなかったことに心底ホッとしているし、どこでどう間違って現在の歪んだ人間性を獲得してしまったのか、とても気になるところではある。


閑話休題。


それなりに大人になると、「低い声って落ち着くよね」というようなプラスの評価がチラホラ出て来はじめる。
最初は調子に乗ってもいたのだが、それなりに親しくなった女性から「あなたの声を電話で聞いているとだんだん眠くなってくる」と言われ、若干悩んだこともあった。
(念のため注釈を入れるが、ポジティブな意味合いで言われた。と思っている。本当だ嘘じゃない。)
しかも時期はバラバラ、複数人の女性からそう言われた。

言われ過ぎて、これは「落ち着く」とか「安心する」といった声そのものに対する高評価ではなく、遠回しに「お前の話は退屈だ」というネガティブな評価なのではないかと気にした時期もあった。
(「思うさんの声、低くて好きですよ!」、「退屈じゃないですよ!」というコメントのお気遣いは無用。余計に卑屈になるのでどうかお気になさらずに。)

そんなわけで、自分の声に対して特に好きとか嫌いとかいう特別な感情は無いのだが、近頃stand.fmの音源を編集していて思う。

無音部分を削ったり、予定の尺に収めるために何度も再生しているのだが、繰り返し何度も自分の声を聞いて感じることは…







眠くなる。



もっとハキハキ喋れや。
声を張れ。
BGMに埋もれてんじゃねぇよ。

と思う。


それでも、ゲストの方に支えられて、何とかやっている。

恐らく割と早い段階で、現在の短いスパンでの公開は落ち着くとは思うが、もうしばらくお付き合い頂きたい。





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