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「病名がなくてもできること」Amazonレビューを書いたよ

以前に「カンファレンス思考」「ベッドサイド思考」という区分けを考えたことがある。
カンファレンスでは(叙述トリックのように重要情報を伏せる場合を除いて)情報収集が漏れなく行われ、適切な仕方で提示されていることが期待される。症例(特に内科領域のもの)は【現病歴】【既往歴】【併存症】【内服薬・アレルギー】などに腑分けされ、カンファレンス参加者はその「腑分けされた『症例』」について「鑑別診断」を考え、やがてそれらが検査前確率・検査後確率を意識した検査群によってふるいにかけられ、最終的に唯一の「最終診断=病名・症候群」に至ると参加者は満足して家路につくことができる。
ここで失われているものはなんだろうか。

著者はそこで失われているものについて非常に自覚的である。著者の近著・前著は「失われた最終診断を求めて」といった趣のものであったが、それらは決して「こんな病気があります!みんな見逃しているけれど実はこんなにコモンなんです!」という装いではなく、あくまでも臨床=ベッドサイドの「時間」に沿ったかたちで、そっと差し出されている。近著「仮病の見抜き方」が小説形式であったのは、著者が文才を見せびらかしたかったからではなく(むしろそういう意味では悪文でした)、カンファレンス形式ではずたずたに寸断されてしまう「患者さんの時間」の手触りを再現したかったからではないだろうか。

本書ではサブタイトルの通り「最初の最初すぎて」「あとがなさすぎて」といった時間軸が設定され、ベッドサイドの思考をどのように書物で伝えるべきかについての著者の試行が報告されている。活きがいいねぇというのが評者の感想である。ただし、あくまでも中間報告かなぁというのも偽らざる感想である。
日々の臨床で参照する書籍、というよりは、同じような問題意識を抱いた臨床家が読んで脳内ディスカッションのタネとするべき書籍で、そのディスカッションの土壌が既に脳内にある読者にとっては「不快な本」ではなく「思考の愉悦」のタネとなる一著であるとおもう。

COI開示:献本いただいたので星4つとしました。

写真がピンぼけの理由は秘密。

当該書籍へのAmazonリンク:https://www.amazon.co.jp/gp/product/4498010205

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