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「医者未満」の矜持

当たり前ながら、診療を受ける患者にとっては研修医も医者です。
出来なくて当然と開き直っていてはいつまでも出来ないし、2年間ダラダラしていたら結局2年目以降も負け組確定です。自分の代わりはいくらでもいる状態は、一番クビにされやすい状態と等価ですから。
もしかするとAGAクリニックや美容に行けばユルーくやっていけると誤解しているのかもしれませんが、あれはあれでガチの分野(自費診療だから当然)なので、そこは出口・逃げ道ではありません。

………と、このようにTweet主の素性も確かめないままでイヤーなことを書かないで、オッさん語りを追加しておくと、僕が研修医時代も「2年間生き延びれば勝ち」と思ってました
当時も研修時代はクソ(今思い返しても指先が震えるほどの怒りと涙の記憶が甦える)でしたし、今も形を変えたクソが温存されているのでしょう。

ただ、勿体ないと思うのは、研修医時代は「最高の名医」感を満喫できるチャンスなんですよね。患者さんを診療する知識がなくても、知識がある先生に「研修医なのでわからないピヨ!🤤 」と聴きに行けるし、学会活動や院内会議やその他諸々の「臨床以外」から切り離されてる結果として、患者さんへのavailablityに全振りできるし。
医畜上等やで。2年間生き延びれば勝ちやし。

恐らく、教育プロセスにおいては、教えようとしないから痛切に伝わること、教えたからこそ絶対に伝わらないことがあると思う。自分は卒業直後に米海軍横須賀病院(USNH Yokosuka)、その後に母校の大学病院に戻って研修したのだけど、当時は

「病棟に来ていては世界と戦えない」

と真顔で言う大学病院のオーベン(指導医を表す本邦医学業界の俗語で、決してうんこの事ではない)もいて、どこで戦ってるのかなと不思議に思った。

なので、病棟の患者さんは病と闘い、上級医や指導医が世界〔仮想敵〕と戦っているなら、自然と「患者さんと共に病と戦う」のは研修医の役目であると信じていた。自分がいなければ患者が死ぬ・病院が潰れるぐらいの妄想で働いていたのだからイタ過ぎる話で、まぁ一種の洗脳です。でも、その2年間の怒り・苦しみ・痛み〔患者さんの・自分の〕・無力感を経て、ようやく医療についてある程度「価値中立的な見方」が可能になったと信じているので、洗脳〜脱洗脳過程を経ることが本当の教育なのではないか。
昔の人々はその顛末を「守破離」と言い表していた。

冒頭の引用Tweetについて、オッさん医者から見ると危うさ・幼さを感じてしまうけれど、現代の研修医・現代の若者に特有の困難というのは必ずあるはずなので、それ以上なにか言うつもりはないし、そもそもTwitterなんか愚痴の吐き捨て場所なのでそれに絡むなよという話でもある。研修医頑張れ、超がんばれ。未来の医療は君たちのものだ。

だけど、単なるジョブではない"Calling"を選択するという矜持を、今後少し思い出してくれたらいいなと感じた。

こういう仕事なんです。


ヘッダー画像をこちらから拝借しましたが、これは「今も昔も」研修医の受難である。

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