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100日後に死ぬワニ最終話を読んで思い出した話

ちょうど21年前の桜の咲く今ごろ、友だちが交通事故で亡くなった。

100日後に死ぬワニの最終話を読み終え、あの日の夜を思い出し眠れない夜を過ごしているので(誰も興味はないだろうが)少々お付き合いいただければと思う。

あの日のことは鮮明に覚えている。
電話が鳴り、卒業したばかりの中学の友だちからで、家にはわたししか居なかったため電話に出た。
「れいこちゃん?…あのね、Eくん、交通事故で今日の朝、亡くなったみたい…」
え?
声にならない声が喉に張り付いて、咄嗟に声が出てこなかった。
電話先の友人は笑えない冗談など決して言わない類いの人間である。急に不安と恐怖に襲われ足がすくんだ。
ただ、信じられなくて、信じたくなくて、その電話を切った後、直接本人の家を訪ねた。徒歩5分の距離。
恐る恐るインターホンを押す。
誰も出ない。
当たり前だ、その情報が正しければ家族含め家にいるはずはないのだ。
腹の底が一気に重くなる。
次に町内会の友人のO家を訪ねた。やはり徒歩5分。インターホンに出たのは、O本人だった。インターホン越しに必死に訴える。
「Eが、交通事故で、なんか、亡くなったって…聞いた…?」
玄関のドアが開く。
「…なんだって?」
インターホン越しのセリフを再度繰り返すも、自分が上手く喋ることができていないことに気づいた。涙でしゃくり上げていて、ろくに言葉になっていなかった。
そんなわたしを落ち着かせ話を聞いてくれるO。やっと理解した時には、「は?」と顔を歪ませた。
その時、電話が鳴った。
電話を取りにOが家の中に戻る。
そして数分後、玄関に戻ってきたときには、神妙な面持ちで「…連絡来た」とだけ言った。
その日は1人で居られず友だちの家を転々とし、夜になりやっと自宅に戻った。

あの日の夜は春の嵐が吹いていてうるさい夜だった。

歩き回っていたせいで、布団に入ったら疲れですぐに眠れるだろうと思っていたが、夜明けまで結局泣いて、横になって、泣いてを繰り返した。木々が夜を揺らす音がやけにうるさくて、負けじと泣いていた。

心から神様を恨んだ。

翌日の通夜はご家族のみで執り行うとのことで、通夜前の清拭(納棺の前に体を拭くこと)に立ち合わせさせてもらった。
この時の感触は今でも指が覚えている。
アルコールを含ませた布で体を拭いていくのだが、人間が死ぬとこんなに固くなるのか、と。温もりはそこにはなく、受け止めるふくよかな肌もない。
一つだけ。幸いだったのは、交通事故だったが顔にはそれほど損傷がなかった点だ。
生前の顔、そのもの。
そして、表情が暗くなかったこと。驚くほど穏やかだった。
ただ、その唇に水を含ませた脱脂綿(末期の水、死に水と言われあの世でも喉が渇かぬようにという故人への配慮)を当てがった時、ああ、本当にもうこの唇は動かないのか、と。話しかけてはくれないのかと。
この手はバスケットボールでドリブルもしないし、この足はコートを駆け抜けない。
彼はバスケットボールが大好きで、その春から通うはずだった高校は、地元ではバスケットボールが強い学校だった。

唐突に最後に交わした言葉を思い出す。
中学卒業式、高校の合格発表後でごった返す職員玄関。
「どうだった?」
運動神経抜群で頭の良かった彼が落ちるはずもなく、もちろん受かってるでしょ、というニュアンスで聞くと「O女に受かった」と冗談で返された。
わたしは1月早く高校が決まっていた精神的余裕からか、笑って、4月から頑張って、とまるでお姉さんのような振る舞いをしたのを覚えている。それが最後だった。

彼とは因縁がそこそこあって、小学二年生の時、近所に転校してきた当時は相当な悪ガキだった。
同じ町内会ということもあり、毎日登下校を一緒にしていたが、その横暴ぶりに触らぬ神に祟りなしと静観していたが、ある土曜日。悪ふざけした彼に追いかけ回され、田んぼ道の真ん中で車に轢かれてしまったのだ、わたしが。
車がわたしの足の甲に乗る感覚は、なかなか独特だった。足が薄い紙っペラになってしまうのではないかと恐る恐る見やったが、外見はなんの変わりもなかった。
ただ、近所のおじさんがその様子を目撃していて、家が近かったこともあり、土曜日だったのですぐに父が飛んできて、そのまま病院、レントゲン、診察、「切り傷だけですね、骨に異常はありません」と言われ大事には至らなかった。
その日以来、さすがに反省したのか、手のひらを返したように彼はわたしにだけ優しくなった。
それからバスケットボールが好きという共通点により(もちろん国民的アニメ、スラムダンクの影響だ)、バスケ部に一緒に入り、運動音痴のわたしはすぐに辞めて(情けない…)、バスケットボール漫画をお互い買っては貸し借りしていた。ちなみに最後に借りていたのはブザービーターで、その本は今でも手元にある。

通夜翌日、お葬式ではずっと涙が止まらず、頭がぼーっとしていたから、あまり思い出せない。記憶が曖昧だ。
だが出棺の際に流れていた、彼が当時聞いていた音源と、高校入学式に着るはずだったスーツに染み付いたお線香の匂いは、今でも鮮明に覚えている。
宇多田ヒカル「Automatic」と「Movin’ on without you」。

一周忌、まだお墓を用意していないということで、自宅でお線香をあげたとき、Eのお母さんが、わたしにまつわる話を聞かせてくれた。彼による褒め言葉だった。(内容は想像に任せる)
普段彼は人を褒めない。少しプライドが高かったから。そんな彼が人知れず褒めてくれていたことに、自信をもらった気がした。だが、すぐに、生きてるうちに直接聞きたかった、と思い直した。
わたしはEのお母さんにバスケットボール部のマネージャーをしている話をした。大会の会場で、彼が出るはずだったであろう試合を見た、彼がいればもっと面白い試合だっただろうと、何の慰めか。でも言わずにはいられなかった。彼のいないバスケットボールの試合はつまらないから。

中学の体育の授業で、バスケットボールがある日はお祭り騒ぎだ。部活では真面目にバスケットボールをする彼も、授業ではかつての悪ガキが出てきて、皆をプレーで翻弄した。
クラス内対抗試合では、ディフェンスが厚く抜けないと思ったらあっさり踵を返し、自陣のゴールにシュートする(!?)、背の高い通称ゴリの肩によじ登りダンクシュートを決める(??)、股抜きからのトラベリング&シュート(!)と、ルールを完全に無視した内容で、怪我もしかねないが、コートを自由に駆け回るその姿に、心から羨望を覚えた。
バスケットボールが大好きで仕方がない、そんな彼のプレーをずっと見ることができると、信じていた。

本当に人の死とは突然なのだ。


100日後に死ぬワニを読んで、久しぶりに彼のことをたくさん思い出した。
眠れぬほどに。
…正確にはコービーが亡くなった時にも思い出してはいたが…。
春、交通事故、とちょっと共通点があっただけだが、命日も近いので文字にしたくなった。
たまには思い出して文字にしたり言葉にしたりするのが生きてるもののつとめと心得ている。

また思い出したら文字にしよう。
わたしがボケてすぐに思い出せなくなっても、形として残しておけばきっと思い出すことができる。

そう100ワニの作者・きくちゆうきさんは考えたのではないか、と。

思い出すきっかけをくれてありがとう。ワニ。

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