ソシオニクス タイピング質問 回答(Fe/Fi/Ne/Ni/Se/Si/Te/Ti)
(最終更新 20240626)
以前にもやったのだけど
元にした質問とか
日本語のニュアンスが違うとこ
あったので~
↓こちらを元にやっていきます
ものすごく長くなったので
要約版を書きました↓
というかソシオの自認(IEI)は
サブタイプはともかく
むしろエニアとかMBTIとかより
確度高そうなんだけど
いまいち体感とあわないというか
他のIEIの人みてて
違う感じが強いんよね~
なので
もっかい書いてみても
いいかなと思って
でも私おもうに
書こうとしてるときの体感だけで
だいたい分かる気がする
特に二次元の機能(3番と6番)
規範のやつって
「正直どうでもいいので
正答おしえてください
それでいいですから」
みたいに思うから~
1箇所決まったら
2択まで絞れるから
あとはちょっとしたパズル
とりあえず
書きたいところだけ
最新の見解を書いてみたいと
思った情報要素だけ
全部書いた!
Fe (最終更新: 20240619)
(ЧЭ: "感情"の倫理)
気軽に書ける感じ
長々と何かを語りたいとも
思わないけど
付かず離れずの距離感
私は感情を
意識的に操作しようとは
あまり思わないな~
自分の感情には素直だけど
そういう見解を主張するとなると
そこまで自信はないかも?
でも考えてみると
余韻に浸ったり
感情を吸い尽くすようなところは
広い意味では操作しているのかもって
書いていて思った
1:
うん、はい、別にいいと思う。基本的なスタンスとして。
許す許さないの二元論はそもそも違うんじゃないかな~?表現すれば、その結果がついてまわる、というだけ。感情は、社会が健全であるためにはむしろ不可欠なもので、感情が適度に表現されている社会が生き生きとしてて良いと私は思う。
(20240616追記) というか感情なんてお天気みたいなものですし~?
(20240616追記) あと、「見せない」のも表現の一種と受け取られることもあるし、勘違いも含めて、「見えてしまう」ということもあると思ったり。
「感情」という言葉にもいくつかニュアンスがあって、「感情的になるな」という風に言われる状況での意味合い(単に理性を喪失して、自分の荒れた内面を表に出すということ)を想定した質問なのかなって思うけど、感情はもともと自然にそこにあるもので、人間がお互いを知らせるものの一つで、許すも許さないもなくて、せいぜい伝わるか伝わらないかがあるだけだと思う。
特に悪感情や激しい感情は、周囲の人間は受け止めにくいので、結果的に周囲の人間を動揺させたり、時には傷つけたりと、場を荒らすだけになりがち。そのような感情は、自由に(配慮や抑制をせずに)表現することと、それが適切に伝わり良い結果を招くことが共存しにくいので、そのことをもって「許されない」と感じる人はいると思う。自分の感情を害する人間に対して、前向きに行動しようとはなかなか思えないもの。
「社会的に」という意味では社会は人の集団で、人にはそれぞれ内情があって利害があって。感情は集団と個の調和が取れているか、そうでないかを適時知らせて、集団を方向付けて、個との関係を調整する原動力で、そのためのツールの一つでもあると思うので、むしろ見せられる方が健全な集団だと私は思う。言い換えると、個人の感情は、その集団がどれだけその集団を構成する人にとって望ましいかを測るものでもあると思う。逆に、例えば軍隊のような、集団の利害が個人を大きく超えたところにある場合、感情は集団を乱す要因になるので、「許されない」という考えもでてくると思う。
(20240616追記) 「社会的に」というと私はまず一対多の状況を思い浮かべるけど、1:1の身近な付き合いでも基本は同じで、受け手のことを考えていないもの、一方的なものがネガティブな効果を生むという感じ。よくキャッチボールに喩えられるけど、私はそれであっていると思う。相手がつわものなら豪速球を宇宙に投げても捕れるけど、そうじゃなかったら辛い。
(20240616追記) 比喩が過ぎるかもだけど、個々人それぞれそのときどきに"色"があって、それらがお互いの相互作用で重なりあって、混ざって、新たな"色"が場に生まれて、それがまた個人の"色"を変える感じ。それが私の思う「感情」だから、上手に塗ったらいいと思う。あ、これはあくまでも表現としての「感情」の話ね。
(20240617追記) 人が人と積極的に関わろうと思うとき、人は相手のことを慮るもの。それは相手を見るということでもあって、じゃあ、「見せない」とは、配慮のためが大半ではあっても、「見るな」「距離をおきたい」ということでもあると思ったり。書くと仰々しいけど、私はこれは自然な感覚としてあると思ってて、言いたいのは、お互いに関わりあいたくない人が集まる集団って何?ってところ。現実にそういう集団はいくらでもあると思うし、関わりたくない人だっていると思うのだけど、もし、「社会」的に「許されない」とするなら、それは本質的に「他人が煩わしい」あるいは「集団が個に優先する」という世界観に根ざした「社会」なんだと思う。
(20240619追記) 念のため、「見せろ」ってことではなくって。「見せたくない」なら「見ない」のも一つの対応だから。「許さない」とはどういうことかを言いたかっただけ。
(20240617追記) 端的には、受け手が好意の内に消化できないもの。
受け止められないやつ全般。一方的すぎるとか、温度差がやばいとか。
公共の場で赤の他人を嘲笑う
飲食店の料理人が従業員を客の前で怒鳴りつける
結婚式の参加者が不機嫌で陰鬱な顔を辺りかまわず見せる
仕事の会議中終始不意に驚いてみせる
葬式で陽気に歌って踊る
振られた相手になお「愛しています」と鬼ライン
etc…..
集団の(結束を前提とした)共通の目的を現に阻害するもの。
ゲームをプレー中、味方の失態に唐突に激昂してキレ散らかす
逆効果、火に油。
(場を収めたいのに)煽られて中途半端に怒って相手してしまう
場には暗黙の期待として感情の方向性があって、それに反するものが不適切になりやすいと思う。あと、上の例であげたように、距離感とか温度感とか、双方向性とか、バランスが取れてないと伝わりにくいことは一般的に言えると思う。
あと駆け引きとか単に激昂してしまってとかで、本心とは異なる感情を表明するのも、伝わらずに関係に傷をつけやすいし、そもそも本心に反する感情を表現すると自分も傷つけがちで、長い目で見たら好ましくないと思う。
(20240616追記) だめ、というつもりはないけど、自分を慮ろうとする相手には、そういうのが伝わったりもする。
結果として場や相手を思う雰囲気にできるものが上手な表現、伝え方と言うこともできるかも。それは必ずしも倫理的には望ましくないけど、感情の使い方としては上手。
でも、上の例も含めて、これらは全部一般論とか原則みたいなもので、それぞれ想像のしやすさに違いはあるけど、適切となる場面を思い浮かべることはできると思う。例の一部は本当に難易度高いけど…😇
2:
できなくはないけど…あえてはやらない
自分の中で整理がつくまで延々と
軽いものは寝たり食べたり歌ったりするとなおる
浸ってるうちに展望が開ける
味わいつくして、その本質に触れたとき、すべてがほどけて涙とともに流れていく。
はい。
秋風のような、ちょっと冷たくて、物憂げで、懐かしくて、でも涼しくて、どこか遠い何かを思い出すような、私はずっとそこに居たんじゃないかと思うような、そんな、安らぎ。
スッキリして前向きな気持ち。
心が軽くなった気持ちよさ、テンション高め。
もう少しだけ生きてみよう、そういう感じ。
3:
特に情緒であれば、質は瞬間的に変わるけど、温度は尾を引くところがある。(やろうと思えばできると思うけど、うそ臭くなると思う)
私をそういう感情にさせる原因がなくなれば、すぐ変わる。たとえば、口論している相手が非を認めたと私に伝わったときなど(別に形式的に表現しなくても)。
情緒が瞬間瞬間のものだとすると、感情はその積み重ねとして感じているところはあるので、関与の長い対象だと、一時の情緒によらず、全体としての感情は変わりにくいかも。波がすーっと引いていくような、連続的に変化してくような感じ。
う~ん…あんまり意図的に切り替えないのだけど…それに「切り替える」というよりは、いくつか質の違う感情の強度を上げ下げする、という感じが近いと思う。イメージ的にはイコライザー?感情はいくつもの質の違うものが同時に存在すると私は思う。
それでもあえて考えてみると…
得意(かんたん)
攻撃性が低いもの、静かなもの同士
退屈 → 悲しい、寂しい
平静 → 懐かしい、
単に表現のために熱量を下げて控えめにすること
怒り10 → 怒り3 ぐらいにするとか
その感情を引き伸ばすこと
哀愁50 → 10が3秒のところを3分にするとか
不得意(難しい)
攻撃的、あるいは激しくて興奮を伴うもの → 温和なもの
憎悪70 → 友好5
愉快50 → 神妙10
ネガティブ → ポジティブ
感情を意図的に変えるという行為自体に怒りを感じる。
「好き」「恋しい」を抑えること
好き999 → 好き100
普段は自分の感情に素直に生きてるから、想像しにくかったのだけど、自分が役者になって演技するって想像してみたら、割となんでもできそうって思った。感情の元になる状況を想像して、どの側面に自分が入り込むかで色々と表現できる感じ。だけど、たとえば腹立たしい場面は腹立たしいでしかなかったりするから、それにつれてリアリティがなくなって、他の感情は難しくなったりする。そういう場合は違う場面を想像したら、「切り替え」られるんじゃないかな~って思った。
増幅したければ似た感情を呼び起こす場面を複数(あるいは深く)思えばいいし、抑制したければ、萎える場面を思えばいいと思う。リアルに想像できたら、感情もリアルになるから。制御するというより、自然に沸いてくるって思う。
(20240617追記) 余談だけど、相手を知るほど、むやみに敵意を抱かなくなるのは、相手の行動や言動に対して、想像力が働きやすくなるからだと思った。感情の種が増えるということ。
4:
悲しみ3、好奇5、退屈5 (それぞれ個別に100が最大として)
だいたい一致してると思う。
社会的な場面では抑えてるときはあるかも。
5:
生成AIで遊んでて、その可能性に希望を感じたり、あらためて自分が何か表現することが好きだと思ったり、自分の満足するものが生成できて嬉しくなって、なんか潤いを感じたり、外に出たら風が気持ちよくて、凪いだ気持ちをしみじみ感じたり、全体的に気分が良かった。それで少し心に余裕ができたから、実務的な懸案事項を少し考えようとしたけど、すぐ気分が悪くなったからやめて寝た。想像したイメージにかなり近い絵を生成できたときが一番のハイライト。
グラフにしたら1日のほとんどがポジティブ優勢で穏やかに波打ってる感じ。私は最近、昔に比べて落ち着いた気分の日が増えてるのだけど、それにしてもかなり良い状態の日だったと思う。
Fi (最終更新: 20240617)
(БЭ:"関係"の倫理)
思ってること
実はたくさんあるけど
語りたいとは
ぜんぜん思わないというか
黙ってても考えてて欲しいというか
なんでこういうこと考えないの~?
って感じが近いというか
説明するの面倒に思うというか…
う~ん
書いてて思ったけど
私は結構この点について
心の奥底で「怒り」を抱えているのかも…
私は自分がソシオFi強いとは思わなくて
よくわからない
でもこうしてみると
「人のありよう」について
考え続けている感じがするから
強いのかもしれない
1
リアルでの知人関係に変化はないけど、たとえば最近よくいくお弁当屋さんの店員さん、だんだんなじみになってきて今日は前回よりもあちらの対応が柔らかくなった。そのうち雑談とかあちらからしてきそう。
ネットでいうなら昨日?の呟きが毒性強めなので、これは観測できないけどフォローしてくれてる人の中に、「残念なやつ…」と思ってる人がいるかも。
同様によく見かける人で私的にいいな、と思えること書いてる人が居て、ありがとうと遠くからながら感じて、ちょっと自分の心が近づいたり。
一挙手一投足、小刻みに私の心情は変化して、それに伴って近づいたり遠ざかったりしてる。イメージ的には太陽系なんだけど、浮かんでるのは磁石で、心情は重力というよりは磁力で寄せるだけじゃなくて跳ねつけたりすることもある感じ。心情はころころ変わるから、位置関係もころころ変わるね~。あと、あくまで磁力だから、強めても位置関係とかタイミングが悪かったら彗星になってどっかに飛んでっちゃったりも。その中で変わらない何かがあったらいいな~って思う。
余談だけど、そういう感じだから、「間がいい人」は人間関係上手だと思う。笑いにも通じるところがあるかも。
2
※ロシア語の原文では"сочувствие"で、"empathy"よりは"sympathy"や「同情」に近いニュアンスみたい。
分かったフリ、というと曲解かもだけど、「同情」という言葉にはいい印象がない。「共感」だったらいいのだけど。私の思う「同情」は、「他人という立場を保持したまま、同じような気持ちであると意を表明するもの」だけど、大原則として、人と人は背景も歴史も思想も価値観も違うので、「同じにはなりえない」ということは念頭においてほしい。それを踏まえたうえで、「同じような気持ちになります」という表明は、本来的には好意的なものだと思うけど、残念ながら、その前提を踏まえない、分かったフリや一方的な感情の混じった「哀れみ」に聞こえてしまう。同じに思わなくても相手を尊重することは本来はできるはず。その上で、「同じ方向を向いているつもりです」というならいいと思う。
そもそも表現を一切しないほうがいい場合もあると思う。たとえば、一人で強く事を為したかった人間が現にできず、己の弱さを嘆いているとして、同情は彼の助けになるでしょうか?たぶんプライドをなおさら傷つけるでしょう。でも、私はこの場合でもしたければしてもいいとは思う。それはそんなつまらないプライドなど知らない、という傲慢だけど、別にそれも一つの形。返り血を浴びる覚悟があるなら、いいよ。
表現するなら「分からないけど、分かりたいとおもってここにいますし、これまでも私はあなたを見てきました、これからも見ています」
哀れみや分かったフリはダメ。相手は対等な人間なのだけど、弱ってるときは特に敏感だから。
上のとおり。
3
コミュニティごとに暗黙の了解や階層構造みたいなのはあると思うし、「敵対」「中立」「味方」という色分け、グラデーションというものが各人の中で各々の価値判断に従ってあるから、規範もそこから導出されると思う。
私自身はあまり守らないというか、特に単なる社会通念のようなものはそれを意識しないで振舞う方だけど、これは言ってしまうと博打だし、反応みながら調整するけど、自分の対応力に即して限度はあると思う。
外形的な規範に従う必要はないと思う。関係各位が気分よく居られればなんでもよくて、それは別に規範から直接生まれてくるものではないので。相手を尊重する意志が根底としては一番大事で、そこからは相手次第で、何が尊重の形になるか、ということ。そこには「規範を守ること」という条件が直接的に入る人も居る。
4
それはそう言ってる人の価値基準に「そのコミュニティの社会通念上守って当然のモラル」が定義されていて、それに照らして判断しているのだと思う。だから人によるけど、集団内で広く受け入れられているそのような道徳観念というのはあって、外界から取り込まれた集団的な道徳観+人が内在的に育てた個人的な道徳観が各人の中で働いている。ある行為や言動が「結果として」その道徳観における美徳を涵養するならモラルを守っていると言えるし、見せ掛け上「規範」を守っていても、結果が悪徳ならそれはインモラル。
ただ、「規範」を守ることをもって判断する人もいるので、結局は「規範」自体にも意識がいく感じ。
「モラル」とは通時的に人々の心に良い影響を残すと(特定の集団に)理解されている行為(言動や思想信条も含む)の規範のこと。
(20240617追記) 端的には、「それによって人心に積み重なる印象が、次なる良い感情に繋がり、生み出すもの」
影響力 = 影響範囲(人・時) x 影響量(心象の変化) として
影響を受けた人に良い感情、心象の変化をもたらすもの = 道徳的(モラル)
逆に悪い感情・心象の変化をもたらすもの = 不道徳(インモラル)
(20240603追記)
その中間に美徳でも悪徳でもないと判断される中立がある、という感じ。じゃあ「徳」って何なの?ってなっちゃうけど、心のありようとか佇まいが綺麗か醜いか、主観的に心地よいか不快かっていう価値観に根ざしたものって思う。人間存在の明るさや希望を感じさせるものが良い、という感じ。だから基本は受け手次第なのだけど、人間が社会的生物であることに根ざして、普遍的に特定の感情を生みやすい行為はあると思う。
そういう普遍性の高いものは、宗教とかスピリチュアルの伝統にはだいたい織り込まれている気がする。例えば、「盗むな」「愛せよ」とかそういうやつ。でもこれも絶対の基準とは私は思わない。
影響を受ける人は当事者も含む。合意の上で行ったことであっても、当事者とて時が経てば他人で、過去の自分の行為が、未来の自分の心に変化を残すことはむしろ普通にあって、道徳はなにも人のためではなく、自分も含むすべての人に全体として影響を及ぼすもの。
上でいう「影響力」が大きいほど倫理性・道徳性はより問われると思う。
(20240614追記)
一番原則的なことを言ってなかったのだけど、私は人を一番傷つけるのが人なら、人が一番怖れるのも人で、期待するのも人だと思ってて、そこから対人関係にまつわる多くの感情が発生すると思う。
なので、良い関係を築く、あるいは必要以上に敵対的にならないようにする、そう願うなら、その大元の心情を大切にする必要があって、それが「モラル」の根源。
だから、本質は「人の心を大事にしてね」というだけなのだけど…価値観は人それぞれで、それを伝えるのも簡単じゃないから、それぞれのコミュニティの中で形式化された規範が生まれる。
そうした規範は、特にお互いによく知らない人間同士、社会的な距離感の人間関係に指針を与える、そういう側面がある。近しい人間関係では、お互いどのように接するのが最適か、関係性の中で探られていくのが自然で、より本質に根ざしたあり方だと私は思う。
あと、これはむしろ自分自身にとって大事なことだと思うのだけど、「規範」というよりは「道徳」という意味で、結果的に自身の心を明るくする行為と、暗くする行為とがあって、本来よい「モラル」とは、何よりも自分のためになるもので、「自分を含む、関わる人々の心を照らすもの」だと思う。もう少し言うと、自他のどちらかを損なうものは、規範として位置づけられるに足る、良い「モラル」とは言えない。
これは問題だと思うのだけど、「モラル」を特定の集団の社会的利益のために為す、半強制的な不文律と同一視して振りかざす人も居て、そうなるともう、私の理解である「元々は個々人の心にお互いに寄与するもの」「心をもって、心のために為すこと」という視点では捉えられない。私からすればそれは「モラル」ではない逸脱でしかなくて、都合のいい道具、武器として振り回されてるだけの代物で、私がここで言ったことの多くは、そのような「モラル」には当てはまらない。
私の考えが他の人々と同じかは知らない。(とりたてて興味がない)
(20240612追記)
けど、杓子定規な人とか、やたら「モラル」だとか「マナー」だとか言って持論を人に振りかざして何かを強制しようとする人は、私の中では「インモラル」に分類されるので、そのような人間が一定数いる時点で「理解は互いに異なっている」と思う。
何が良い心象を残すか、という判断基準、視点が違うのだと思う。
(20240614追記) 経験的にいうと、大半の人から見ると私はむしろ「インモラル」と思われてると思う。表面的な規範には従わないことも多いから。でもだからと言って、私自身は、自分のことを「インモラル」とは思ってなくて、見ている時間軸や大事にしている価値観が違うのだと思う。
特定の状況と時間枠に絞って言うなら評価できる。とある行為(言動や思想信条も含む)が、影響範囲の人(自分を含む)にどのような心象変化を引き起こしたか、因果関係を追跡すれば、正邪の判断はできる。"行為"に対する結果の仮説がまずあって、人がどのように実際に反応したかという検証がある。予測どおりなら、判断基準は正しい。
(20240617追記) 結局は影響範囲の人それぞれが「どう思ったか」が判断の決め手だから、厳密なことを言えば、常にそれは「後出し」で、そこから判断基準もせいぜい「もっともありそうな予想」でしかないとは言えるかも。だから、「こういう風にするのがモラルとしていいと思う」と「こうなったことにモラルがあったか」という、判断基準と結果の判定の二つの視点のどちらから言われるかで、「正しい」のニュアンスも変わるかも。「評価できない」と考える人は後者に重きを置いて言ってるのだと思っていて、そうであれば、それはそう。
5
正面から来る分には、悲しいな、と思って心が痛むけれど、それを表明してくれたことは嬉しいと思う。お話を聞きます。
相手によっては、単にむかつく。シャットアウト。
はい。
私が怒りを覚えたなら、睨み返すとか、煽り返すとか、毅然と突っぱねるとか。
蔑みを覚えたなら、一瞥して足早に立ち去るとか。単に無視するとか。
うーん。長時間続けるのは面倒くさいね~。できなくはないけどよほどの事でなければ距離を置いた方が楽だね~
ちょっとしたことなら、相手が態度を改めるならぜんぜん許せる。
おおごとでも、同じだけど、「態度を改めた」と私が認定するまでのステップと時間が延びると思う。
許す、といっても記憶が無くなるわけではないので。前向きな意志が双方にあるなら、元には戻れなくても、新しい形を模索することはできると思う。
Ne (最終更新: 20240625)
(ЧИ:"可能性"の直観)
結構考えてしまう
テーマとしては理解できるのだけど
あんまり上手く捉えられなくて
自信がもてない
バイタルの感じがちょっとする
でも考えたらそれなりに
答えは出せる感じ
ちょっと思考力使うのだけど
もう少し考えたら
面白いものがありそうという感じがする
(何か考え切れてない感じ)
(20240520追記)
なんかもう少し考えてみて
「愚かさ」については
本質的な回答になった気がする
そこに至るまでにソシオNi的な観点
(時間、変化)を先に考えてたのと
前回回答したときはもうすこし
本質からずれた(Neとは違う視点からの)回答を
してたと思うから
普段からは意識してないし
深くも考えてない
つまりバイタルかつNiよりも弱い
とは言えそう
でも興味のある話題ではあるな~
う~ん?
(20240620追記)
「愚かさ」は考えが足らなかったと思った
本質に辿り着いてたとは言えないね
1
ないないない。素直に答えれば、ね。
われ意味を思う、ゆえに意味あり?とか考えてみたけど納得感はなかった
しらない。そういう人にきいて。踊る、刻む、定める、漂う、とかとか、なんでもいいんじゃない?
「その意味を定める自由があること」と言えなくもないけど…これはどちらかというと言葉を借りてるだけで、実際には意味を殊更定める必要はないのだと思う。
私は、それが何かは分からないけど、楽しく暇つぶしできたらいいな、何かに夢中になって生きてられたらいいな、と思ってる。
人の愚かさが無限だとすれば、人は永遠に知性において旅を続けられる。だから、歩みを進めれば、それだけ新しいことを見つけることができて、その先の深みには、必ずその人ならではの意義がある、とは言えるかも。
いいえ。上のとおり。それぞれにとっての意味があるのだと思う。
「人類」と視点を大きくしてみると、その意味は「知り続けること」と集約して言うことはできるかも。人が生きた分だけ、世界、つまり主観的に認知したすべてのもの、は広がっていって、それがもし人と人の間で共有されるならその広がりは個人の主観を超えて、種としての意義すらも生まれるかもしれない。
2
なんとなく思う
身なり、雰囲気、顔つき、表情、仕草、話題、喋り(間、語彙、調子、口ぶり)、何に気を遣っているか、態度、未知(赤の他人)に対するデフォルトの態度、想定が何か(品位。「人間」を何だと思っていそうか)
最初のイメージはすぐに決まるけど、それなりにわかったと思うには結構(100時間ぐらい?適当)要るかも?そこから先は関係性が深くならないとわからないねえ。これは内面の話で、そう簡単には「分かった」とはならなくて、どこまでいっても推定の域を出ないから。
3
ある系について全知でないこと?無知の知、未知に対して謙虚でありつつも怖れず、敬意を持てることが賢さ。愚かはその逆。知ったかぶりのこと。知的に傲慢、ということ。
(20240620追記) 「愚か」と「賢い」の軸を考えるのも「人」だから、人の数だけそれがあるのも大事な点だったかも。この視点で言うなら「愚か」と決め付けてしまうこともまた「愚か」。
(20240625追記) 端的には、「決め付け」というのが一番よく表してるのかも。あるいは、知性の能動的な拒否、可能性を閉ざしてしまうこと。「未知」とは可能性そのものである一方で、「判断」とは他の残りの可能性を捨てること。
物を見る視点が無限だから。人自身が、自分が全知であると知れることがないので。永遠に知ったかぶり以外ができない。
1を説明するのに10の言葉が要って、その言葉に100の意味があるといってみてもいいかも。知識は果て無く広がっていくものだから、外縁が広がれば、分からないことに触れる部分はむしろ増える。
なので余談だけど、大事なことは言葉が少ないほうが却って伝わると私は思ったりも。
あるいは、万物は変化し続けるので、実際に知れるのはある瞬間の切り取りでしかないから。一度知ったことでさえ、それが知ったまま変わらないとは限らない。人の気持ちはこの要素が強いから、この言い方がしっくりくるかも。
そうすると、愚かさの本質とは、「変化と拡散を本質とする知性において、人はすべてを知りえないと知らないこと」と言えたのかも。人は限られた時間の中を生き、せいぜい瞬間を切り取ることしかできないから。
(20240620追記) それなのに、人は自分の思想信条や良心、利害に基づいて、自他の行為に色(謙虚とか傲慢とか)をつけるから。その判断という行為自体が、愚かさの為せるわざで、「愚か」と思うたびに新たな「愚かさ」が生まれていると言えるかも。だから無限。なんと~!「バカというやつがバカ」は真理と紙一重でした~!
(20240625追記) 人生は選択の連続でもあるから、いつも何かの可能性を選び取って、残りを捨てている。人は無数にありえる未来のうちの一つしか選べない。だから、人の存在そのものが、「愚かさ」(=可能性を閉ざすこと)無くしてありえないと言う事だってできる。このことは、一人の中で閉じて考えていると正直ただの戯言に思えるけれど、人が集まって、お互いがお互いの可能性を閉ざしながら生きていくのが人類だとしたら、生きるとはなんて悲しくて愚かなことなのだろうって思えたりも。
(20240620追記) 自身の価値判断の限界をどの程度分かっているか、かも
(20240625追記) あるいは、可能性を閉ざすことへの敏感さ
視点の数と幅と深さ…だけど、つまり愚かと賢いがいるのではなくて、濃淡あるだけで「プチ愚か」と「とても愚か」が居る。
でも、私の感覚でいうなら、そのような深みをもたらすのは、知性に対する謙虚さで、それを追求している人に賢さを感じる。
逆に傲慢なために、実害を及ぼすような人間は愚かに思う。
別枠で、「人心が分かってる」と私に感じさせる人にも、賢さを感じる。
(20240608追記) 人の闇から目を背ける人も、人の良心や可能性を信じられない人も、等しく愚かで、特に後者について私は強くそう感じる。何も分かっていない。何がその目を曇らせたのか。そう思わずにはいられない。
(20240616追記) 結論を変えようとは思わないけど、もし、人が本当に全知になったとしたら、論理的には「賢い・愚か」の軸が消失しそうなものだけど、私の感覚的には全知でもなお「愚か」と思う人物像が想像できるから、私の思う「愚か」は実際にはただ知っているかだけではなくて、「知っていること・知らないこと」に対して何をするのか、人間の態度の側面を言っているのだと思う。
(20240620追記) そうやって価値判断をしてしまうことそのものが、実は「愚か」の根源なので、つまり「知性そのもの」というよりは、それに基づいて為される「価値判断」に対する謙虚さが大事なのだと思う。
4:
観測範囲。あるいは、視点。
主観世界にのみ真実は存在し、その存在が観測されたものが真実。
「虚偽」と呼ばれるものを考えるといくつかあると思うけど…
観測した範囲において、観測されないもの。「不明」「未知」
観測した範囲において、異なる観測結果があるもの。「矛盾」「反証」
主観世界における観測と、異なる言説。「虚言」
これは実際には全部、観測範囲が狭いだけだと思うので、観測範囲を操作すれば、なんでも「虚偽ではない」=「いくらか真実」に論理的にはなってしまうと思う。
逆も然りで、無理やり範囲を狭めれば、その世界観の中で「真実」と「虚偽」は定義できると思うし、これは嘘つきの常套手段だと私は思ってたり。
自分が全知の神になれる世界(主観世界、物語世界)の中には存在する。(通念上の)客観世界の中にはないと思う。
観測者と視点の違い、全体像、観測範囲の定義違い。だまし絵みたいなやつ。
上からみたら○。横からみたら△。だからこれは円錐!!みたいなの
そうとは限らないですし(3Dを2Dで言明してるので自ずから)
「上」と「横」って何?というのもありますし
この例は3Dだと分かるけど、現実にはそもそも対象が何Dか分からないことが多いと思う
5:
そう思います。むしろ正確性は最初はないほうがいいと思う。
未知・予想外・混沌からこそ新しい視点・発見が生まれる。これは言葉の定義からしてもそう。「正確性」は既知の枠組みの中にしか存在しないので。
そういう「新しいもの」が良い変化を生みだす力になると思うので、アイデアの優劣として大事なのは、そのポテンシャル、可能性の広がり、シナジーで、たとえば二次元を三次元に変えるような、新しい場を生み出すようなアイデアが、優れていると思う。
ただ、何でもあり、ということではなくて、そうして生み出された視点から、実利的な側面を練っていくことは必要だと思う。
6:
視点を現実、あるいは自分中心からずらす力のこと。そこから見えないもの、知らないものを、思い描き、それらを仮想世界の中で、しかしながら依然として現実との接点をどこかで保ちつつ、動かす力のこと。物語を作る力、それにリアリティ、躍動感、説得力を持たせる力、といってみてもいいかも。
程度の差はあれ、もっていると思う。確認したことないけど。居ない人が居るかもと思えるのも想像力の一つかもね~?
(20240614追記)
コップに水を注いだら、コップが水で満たされて、注ぐのを止めなければやがて溢れて水がこぼれる。これも想像力だから、私たちは本当のところ、ほとんどすべての行動や考えを、仮想世界、つまり想像力によって生み出された世界、の上で行ってると言えると思う。それぐらいには「想像力のない人」というのは考えづらいと思うな~。
通念上の「想像力」はもう少し現実から距離感のある物事について、言われていると思うけど、いうなれば30点未満は赤点で「ない」扱いというだけ、というのが近いと思う。でも、逆説的に「今ここ」だけに生きるようにしたら、あるいは想像力が本当に0になるのかもしれない。その場合、「今ここ」は本当に現実ですか?みたいな哲学的な問題になるけど、それはもう、とりあえずいいんじゃない?すべては主観で想像の世界です、と思えば、誰もが想像力を持っていて、それを頼りに生きていると言えると思う。
でも、本当に一切の記憶、状態をもたないような生物が居たとしたら、想像力がないって言えるかも。それはAIが登場する前のアプリみたいなもので、ありえなくはないって思ってみたり。
それなりに。
空想世界で人物を動かしたり、その世界に自分が旅立ったり。
ある施策を仮定して、人々の反応を予想したり。
他者の気持ちを想像し、人の心に届く言葉を吐いたり。
未来の行く末を占い、そこで生きる人々を眺めたり。
あるいは過去に戻って、過去の自分に話しかけてみたり。
あるいは重要な決断の前、それぞれの選択での未来の自分を眺めてみたり。
7:
おもしろい、やるやん
視点、それらを生み出す背景にある根本的な思想、生き方、物事への関心の向け方(何を見ようとするのか)、感性、こだわりの深さ、などを区別していると思う。あくまで概念だけど、それらを座標として置いたときに、集団から外れたところにいるかどうか。
(20240624追記) ここでいう「違う」は先の回答の定義による前提。
端的には悪い人でないと分かっているとき。
その利害がよく認知されているとき。未知や混沌について寛容であること。未知を既知に変える努力をすること。遊びの余地があるか、遊びそのものであること。停滞よりも発展が望まれるとき。それに著しいコストがかからないとき。ブレストや奇襲など、予想外が歓迎されるとき。
(20240624追記) たぶん一番わかりやすい例は芸術。あとは理論とか哲学などの精神活動全般だけど、芸術も含めて政治的意図が見出されたら敵視されることはありえると思う。焚書とか。
(20240624追記) なので、「思想信条良心の自由」「表現の自由」が保障されているとき、と言っても良かったかも。
Ni (最終更新: 20240626)
(БИ:"時間"の直観)
あんまり概念として
普段意識してない感じする
興味があるかと言われると
どうだろう?
そうでもない気がするな~
「時間とは何か」とか割とどうでもいいよ
当たり前感が強い?
と言えばそうなのかも
1
環境とのあらゆる相互作用に応じて。それは自分自身の気持ち、意志、周囲の人々、所属するコミュニティ、文化。すべての流れの中で、変わり続けていく。現代であれば、ネット、AI、それらを代表としてIT全般によって、人間以外が担える仕事が増える一方で、生身の人間が触れる情報量は溢れ、人間として何ができるのか、という本質的な問いにどう答えを出していくのか。それについて、方向付けが進んでいる段階だと思う。
能力ばかりを見るのなら、人間はこれから先、生身、単身で生きるというよりは、SF的な世界観、肉体や脳をも機械で拡張する、という方向も現実にあると思ったり。あるいは、そうした数値で測定されるような一切は可視化され、基準未満の者は、AIに駆動された機械の警察が、容赦なく消す、と。
(20240620追記) 「人あるいは宇宙はどのようにすれば変化せずに居られますか?」と言い換えるとその答えと同じかな~って思った。
機械が多くの仕事をできるのなら、人間は遊んで暮らせばいいと私は思うのだけど、残念ながら人類はその方向には進んでなくて、既存の仕組みに則って、生き急ぐ人と、その馬鹿馬鹿しさを思う人と、二分されているように思う。
私としては、機械と少数の支配者が残りの大多数を論理の奴隷にするような未来にはならないで欲しいのだけど、それを単に便利と受け入れる者もいるでしょうし、どちらにいくかは人間次第ね。倫理や道徳といったものの真価が問われる場面だと思うのだけど、そうした学問は隅に追いやられているように思えて残念。くわえて、今現在の世界の支配者は、一般人が人間らしく生きられる方向には政策を煽動してはいなくて、楽観視はできないと思ってる。
でも、なんとなく、最後は"熱い"人々が流れを作るのではないかなと希望的観測だけど思ったりも。
(20240624追記) 帝国は滅び、圧政には革命があり。うねりはあっても望まれぬ存在は、やがて渦に飲み込まれていく。その前夜に生きた人々は、あるいは嘆き苦しみ、悲しみに暮れていたかもしれない。けれど、それを何度となく人の世は繰り返して、今なお続いている。人が良い世を生きたいと願い続けるなら、人の世もまた続く。私の、希望的観測。
(20240620追記) 上の具体例じゃなくて、「万物流転」に対して答えると…ん~それはそうだよね、極あたりまえのことだよね、って感じ。だって、「変化」と「時」は同じものについて別の言い方をしてるだけだから。
たとえば自然に回帰するだとか、気づいて行動し、発信しているような人もいるけれど、どちらかといえばそれは少数で、大多数は、単に、テクノロジーの進化、ぐらいに思っているように思う。本当は、社会構造や倫理観、人間存在のありよう、すべてが大きく変わろうとしている場面だと思うのだけど。
(20240620追記) これも私の言った具体例じゃなくて、「万物流転」に対して言うと、「粒度は人それぞれだけど気づいている」だと思う。人の世に不変も絶対もなくて、ただその「不変も絶対もない」だけが不変として残る。人の命運はいつかは尽きる。そのことは皆知っていると私は思う。
2
因果の連関、変化の連続を人が(しばしば片方向に)認知して捉えたもの。流れ。あるいは、あまり好きな捉え方ではないけど、誰もがもつ資源。それらを少し派生的に捉えるなら、寿命、生命、鼓動。
(20240609追記) 因果の不可逆性を捕らえるなら、あるいは何よりも嘘のつけないもの、あるいは経験の中でもっとも再現性の低い座標。
近くて遠い、意識してるようでしていない、ときおり面倒で私を追い立てて、ときおり過ぎることが惜しくて、ときおり早く過ぎて欲しいもの。
遠大にも思えるけど、意識にその存在があるときは、私は基本的に好きじゃない。ただ、後ろを振り返ったときにその道筋の長さを見て、感慨深いと思うときも。
(20240613追記)
小さい頃は、わくわくして、待ち遠しくて、じれったい。そんな風に思うことも多かった気がする。
脈動して、発展と衰退を繰り返す世界。それは生命そのもので、それに感嘆と畏敬、哀愁と期待、時の流れを感じたりも。一言でいえば、「生きている」「流れている」。そういう実感が、「時」にはあると思う。
人間が扱う概念の中でも殊更に特殊で特別扱いされてると思う。
私的には重力とか、動画の一コマとか、あるいはCPUとか、そういったもののような、どことなく「もともと自然に存在するもの」というよりは、「そういう風に決めたもの」という超自然的な存在、概念のように思う。
あとなんか、主観的な時間の長さって自分がこれまで生きてきた時間を分母とした分子のように感じる気がする。そういう意味でも重力っぽいと思うというか。それまで過ごした時間(情報)が自分に蓄積されていって、それがどんどん大きくなって、相対的に新しい時間が小さくなる(同じ1分でも短く感じるようになる)というか。そんな感じ。
(20240620追記) 例えばマンガをアニメに変える魔法の力と思えば、少しは可愛げもあるかも?
(20240617追記) 端的には、乗るかそるか、それだけ。
何かに夢中になってるときは忘れてる。
(20240612追記)
「時間」は観念でしかないから、意識から消したらそれで終わりと思う。もっとも、自分だけが囚われてませんと言ってみても、周りの物事は(自分自身の肉体も含めて)「変化」し続けるから、変化の刻みを時と呼ぶなら、どのみちそれは受け入れることになると思うけど。長い目で見たとき、1年後に何かを達成するのと、100年後と1000年後と、何が違うのだろう?と思うと、私はそんなに違いを感じない。身近な視点で見れば全然違うけど、実際には全部どうでもいいことではなくて?
と言いつつも、私は「時が満ちる」ということ、好機、時限というのはあるとは思っていて、それに拘るのなら囚われてるのだと私は思う。私にとってあくまでも「囚われる」とは主観的な問題で、物事の流れるままに任せ、その結末を受け入れるなら、囚われないことはできるし、そういう風に過ごせているときが、自分の望ましいあり方だと思ってたり。
(20240619追記) 肉体があるから、その死を恐れるから、人は時間に囚われるのだと思う。古代から、狩猟、漁労、採集、農業…と命のために生業があり、時間があり。生存することが容易になったはずの現代の方が、人々が生き急いでいるとは皮肉よね。「時間」から少しばかり離れていられる「時間」は延びたはずなのに、ね。意外と古代人はもっと忙しかったのかもね~?
(20240620追記) 肉体があるから、人は主観世界にとどまることができなくて、時間の檻から抜け出せない。だから、肉体が尽きたそのとき、人はその主観的な時間の檻から完全に逃れられて、「わたし」は死後、永遠になるとも言えるかも。
(20240621追記) これはちょっとした思考実験で、結論はどちらでもいいのだけど、私たちは物語世界の住人でないと言い切れるもの?そして、物語世界において、時は永遠?一方通行?私は言い切れないと思ってたりする。
3
いや。まったく。その割に平気で外すことあるけど、人を頼りたいとは思わないな~
はい。でも場合によっては色を付けるかもしれない。
4
はい。
不快だけど、そのことでどうこうはしない。
5
① 会う約束をした瞬間
ちょっと楽しみ とくになにもしない
② 約束した時間の20分前
その人たちの想像をする どっか(家含む)で休んでるか向かってる最中
③ 約束した時間の5分前
そろそろだ~ 待ち合わせ場所に向かう
④ 約束した時間になったのに、相手が来ない時
どこ~? 連絡する
⑤ 約束した時間から20分過ぎたのに、それでもまだ相手が来ない時
連絡ついたならよしなに ついてないならもうどっかいってる(そのうちくると思ってる)
⑥ ⑤の後、さらに時間が経っても、相手が来ない時
連絡ついたならよしなに ついてないなら訝る なにかあった?
6
良きものがやがて朽ちて失われるという意味では、そこに侘びはあっても呪い。良きものがやがてやってくる、過去の痛ましい記憶が薄れ傷が癒えるという意味では、祝福。人がついつい思ってしまう概念の檻、という意味では呪い。人が生あるうちに行えることを限定し、ときに駆り立てるという意味では呪い。生にめぐり合わせの妙や瞬間の奇跡、変化の彩り、を与えるという意味では、あるいは、祝福。
私は、時間には良い印象はもっていない。いつもそうというわけではないけど、時のことを思うと、悲しくなることが多い。
(20240613追記) 受け止め方の方向性はあっても、時を越えて作用するという点は、呪いも祝福も同じものとは言えるかも。でも私自身はそのどちらとも思っていない、というのが近いと思う。今ここにない、何かを思わせる、というだけ。
(20240620追記) 過去にせよ未来にせよ、現実にない世界を思わせる点では想像の種で、思いを豊かにするものと見ることもできるかも。
(その時々の局面を)楽に乗り切れるかどうか。引き寄せるか。取りこぼすか。感謝を覚えるか、物事を恨むか。
「運」とは、自分の意志の力、人智の及ばないすべての物事について、つまり人が経験するほとんどすべての事象について、その人の利害、禍福を方向付ける、ときの気まぐれ、変化の流れ、巡り合わせのこと。「風向き」といってもいいかも。
(20240616追記) 明示してなかったのだけど、その人の「主観的に」そのときどきの状況に何を思うか、ということ。
(20240619追記) 「運」の良し悪しを決めるのは、他でもないその人自身だということ。私が今言ってる「決める」は血の色を見て「紅」と呼ぶか「赤」と呼ぶか「決める」というときと同じ意味。だからこれは言葉遊びになるけど、何が起きても「自分の運はいい」と思うこともできる。でも、私はそうは思わなくて、私には私のエゴがあって、世界がエゴのために周るときだけ、「運がいい」と私は思う。でも世界は私のためには周らない。ただ、あらゆる物事が波打っているというだけ。じゃあ、あらためて「運」って何?波乗りと風読みが上手な人。あるいは、何でも受け入れる人が、運のいい人だって私は思う。だからもしかすると、例えば「怠惰」な人は、「運」が良くなりやすいんじゃないかな~って思ったり。
(20240621追記) 私は今のところ、「自由意志の存在」については深く考えたことがないから、結論はないのだけど、「運」の話をもう少ししようと思うと、避けては通れない気がする。私は依然として「自由意志がある」という幻想の中に生きていて、これまで言った事の世界観もそれに基づいてると思うけれど、「すべては必然」と考えてしまうこともできるって思う。主観と客観の線引き、必然に対して何かを思う必要性。そこの考えが、それによって変わるって思った。奇妙なものだけど、「運」とは「自由意志」の賜物で、それがあるからこそ存在できる概念かもって。
(20240626追記) でも、たとえ全てが予定調和で、最初から運命が決まっていたとしても、現に世界を認識する私たちの主観は相変わらずあって、単に「その気にさせられている」のだとしても、それで何か変わったりはしないかなって思った。自らの主観の中で、自らの主観を自分のものと思うかどうか。私には感情があって、その感情が主観の放棄を望まないのだから、奇しくも、そして、いみじくも、私にとって、感情とは私そのものだったのかもしれない。最初から、最後まで。
Se (20240618)
(ЧС:"意志"の感覚)
全体的に初見でピンとこない…
思い出そうにも
そもそも経験もあまりなくて
競争的なゲームとかも参考に
想像で補って書いてる感じで
リアリティが薄い
ゲームだ~って考えたら
色々思いついて
想像自体は楽しいのだけど
リアルだって考えると
あまり面白くはないね~
自分が攻撃するというより
こういう攻撃みかけるな~って感じで
攻撃される側から見てる回答も
結構あるかも
1:
あまりできないけど…
無言(不自然な間)
不快感を言葉の端に滲ませる
露骨に不機嫌な顔をする
敢えて短い対応期限や高い要求水準を突きつける
敢えて挑発的な言動をする
ぐらい…?
2:
ないな~…
思い出せる限り、私が攻撃してるのは、何かに反応してるときだけだと思う
うええ?ピンとこない…ゲーム的な発想でいうと…
陽動のために、本来の目的とは異なる対象に火をつけるとか
大物を引っ張り出すために小物に攻撃するとか
リアルでもあると思う
気に入らない人を追い出すとか?で継続的な嫌がらせとか(追い出し部屋)
競合を蹴落とすために悪評を流布するとか(ネガキャン)
混乱させるために偽情報を流布するとか(psyop)
煽動のために敵に扮して味方を攻撃するとか(偽旗)
自己防衛のために冤罪・濡れ衣を着せる(スケープゴート)
敵対的買収
炎上商法
文化とか精神攻撃
小刻みにマウンティングする
無断転載・転売・転用などをクリエイターに繰り返す
その他者が使う特定の言葉を敢えて悪い意味で使い続ける
完全無視
そのほか思いつき
"安心"とか"守る"系の商売と脅威を組み合わせる(マッチポンプ)
二人一組でどしたん話きこか
自己啓発セミナーとガスライティング
ミサイルと防衛産業
思ったより思いついた
"正当化"という時点で本当は"正当"なんて早々ないんだろうな~と思ってしまうけど…時には必要な力だとは思う
(20240618追記) 端的には、一方的でないものかも
自衛かつ緊急(正当防衛)で、それに周囲が納得できる場合
どこまでが"正当防衛"かは判断が難しいと思う
対象に致命傷を与えず、周囲の被害も最小限
言論だけで為され、攻撃が相手の要求により中断される場合
あとは正当化とかじゃなくて現実として流される場合
被害者が声をあげない(もしくは存在しない)場合
攻撃対象が俗世から居なくなったとか
リアル攻撃じゃなくて何らかの目的をもった演習とかゲームとか?
攻撃を観測できる人が敵と味方だけで第三者がいない場合?
善悪を抜きにして考えると「勝てば官軍」
歴史を書き換えれば民衆を騙す程度の正義は書ける
騙さずとも無かったことにもできる
因果関係が到底予測できないような騙し討ち
いやらしい毒シリーズ
極一部の遺伝子を持つ人間にしか効かない
5年越しの遅効性
発動条件がA x B x Cなどと複合的
そんなところに凶器がシリーズ
なぜかモグラが心臓を撃ちぬいた
ハト(ドローン)から猛毒の落し物💩が降ってきた
身近に起きるという意味のリアリティはあまり感じないけど…競争の本質はそういうことだと思う
恋愛も競争の側面ありますし~
身近ではないけど世界の歴史を見たら、今もなお戦争はしているし
起きる状況としては…
ただの暇つぶし
資源(権力やポストも含む)の奪い合い
インフレや信用創造で貨幣価値が減っていくのもこれ
感情のもつれ
勘違いの"正義"や"義憤"
歴史的因縁からの攻撃の応酬、記憶や歴史の改ざんによる正当化
偽計や偽旗に引っかかった第三者の突撃
3:
好意的な相手なら、自分の価値基準、境界線を伝えておく
それ以外の手に負えない相手(人・組織など)
逃げる
強弁
懐柔
(利益を) 秘匿
隠遁・篭もる
訴訟
4:
極力冷静に…
警告する
相手にとって不利益となる対応を示唆する
感情や論で上回れそうなら、その片鱗を見せる
妥協しない姿勢を前面に出す
対応を強制的に迫る (時限を敢えて短く切る)
5:
「戦う人間」だと思われることは稀にあるかも
いいえ。芯は強いかもしれないけど。本当に強かったら世界はもっと違っていたでしょう。
Si (最終更新: 20240613)
(БС:"体験"の感覚)
前とそんなに見解は
変わってないと思った
ぱっと見は面倒そうとか思ったけど
書いてみると意外と
素直に書けた感じ
ワンチャン高次元もあるのでは…?
とか一瞬思ったけど
全体的に長く語る気がないし
なんか他の情報要素(NとかFとか)
めっちゃ混ざってるから
違うかも?
1:
いやしのこと。生きる希望、洗練を感じさせるもの。思わず快よく、余韻を残すような感情を呼び起こすもの。
透明感、透き通った感じ。その存在を感じさせないもの。余計な力を思わせないもの。流れを妨げないもの。それが美しい、ということかもしれない。
何を美しいと感じるかは、気分や歳によっても変わってきたかもしれない。
感性はそんなに面白いものではないと思うけど、同じではないかも。
私はナマモノとか純粋とか、洗練とか、それそのものの見た目の美しさよりも、それが示唆する観念に美しさを感じていることが多い。
嘘偽りのないこと、物事があるがまま、流れるがままにあること。それに任せること。そういった物事のありように、私は情緒を感じる。たとえば、狂おしいあまりに復讐を望むような心があったとして、私は多分、それを純粋で美しいと感じると思う。
あるいは、「人為的な判断がそこにないこと」は私の中では自然に感じられて美しいと思う。
その部分が、より大きな全体の中に調和して存在していれば、それはなお美しい。
一方で、色彩や構造、幾何学的なバランス、という視覚的な美しさや音色の響きといった聴覚的印象も感じてはいて、これは一般的だと思う。
味には美、という感じはあんまりしないかも。でも、たとえばラーメンはダシの芸術だとは思ったり。
(20240613追記) 「何を見せているか」もあるけど「何を見せなかったか」というのも美しさの一つだと思う。
2:
あると思う。流麗、調和、という言葉に象徴される美は、感覚的にも観念的にもあって、それは多くの人が生得的に覚える快の感覚ではないかと思う。
生き物である、という事実に根ざした本能的な感情があって、それを呼び起こすものには生得的な共通性があるのだと思う。
そこに黄金比だとかイメコンだとかそういう話が位置づけられると思う。
作品はよくしらないけど、あると思う。
3:
うーん…よくわかならいけど、↓こういうのがあるといいと思う
心地よいふかふかもふもふの布団と
心地よいさらさらしっとりの空気と
穏やかな色彩の壁と
静寂と自然音と
無臭と
薄味の素材の味が生きた食べ物
物質とかはしらないけど、空気感とか居心地は良いって言われることある。
悪い気はしないね~
4:
直感。
色と形と
手持ちの服との組み合わせ、シナジー、新規性
流行は気にしてない。
自分がいいと思ったらそれでいいので。
でも新しいということ自体が私にとってはプラスなので結果的に取り入れてることはあると思う。
全体としてのシルエット。
その体型ならではの面白さを引き出せるといいなと思う。
5:
直感。置いてみてしっくりくるかどうか。
服と同じでシナジー。調和させるにしても、目立たせるにしても。
あと機能性。動線は意識する。できるだけ動きたくない。
自分でやる。
自分の部屋だし答え(何が快適か)を知ってるのは自分じゃない?
Te (20240612)
(ЧЛ:"実践"の論理)
割と抵抗なく書けるのだけど
だんだん力尽きてくる感じ
あとで見返すと
Teをほとんど使わずに
書いてることが分かって
なるほど~?みたいな
Tiは私の目にはちゃんとしてるので
こっちも強かったら論理型も
ありえたと思うのだけど…
でも1Dというほど
弱くはないよーな?
う~ん?
1:
人生の壮大な暇つぶし。
地球というか宇宙の一部なので。自分を構成して維持するだけの資源を何らかの手段で回収しなければ肉体が朽ちてしまうから、それをどうせならキレイな形でやれば精神も朽ちずにすんでいいよね、という感じ。
私が言う精神衛生は、働くことが美徳ということではなくて、強奪とか依存は人間関係の均衡を崩して、自由で楽しい人生の妨げになるし、結局は争いを生むと私は思うから、自立してたほうがいいんじゃない?ってだけ。(私は争いは好きじゃないし、そういう世界観の環境で生きたくないので)
だから例えば誰かが気持ちよく養ってくれて、それに依存するのがやぶさかでないのなら、別に"仕事"はしなくてもいいと思う。そう思わせるのが"仕事"と言えるかもしれないけど。
やる気があるか。失敗にめげず、自分事として、楽しみながらやっていけそうか、そういう想い、意志があるか。
手持ちの能力も考慮はする。大統領になれとかオリンピックに出ろとか言われたら無理ですってなるので。でも極端なものでなければ、やる気があればだいたいそのうち何とかなると思ってたりはする。
2:
成果として…自分の表現したいものが、自分の思うように表現できているか。そして、その表現したものが、伝わり、人々の心を動かしたか。
受けての人々に影響を与え、それが歓迎されたか。
期待を満たし、さらにそれ以上のものがあったか。
従事として…それに携わることで、自分に前向きな気持ちが生まれているか、なにかわくわくするようなことが起きているか。
期待値からの相対評価。自分の思いが現実にどの程度反映できたか。影響を与えられたか。受け手を動かしたか。
受け手として見たときのそれは、納得感のあることをしているか。求めたものをもたらしたか。かけた時間と労力に見合うだけの成果を得たか。目線がこちらに立ったものか。
注意は払ってるけど物理的な物品の評価はあんまり。食べ物とか漫画とかは雰囲気で割と分かる。それらは自分にあうかあわないかだから、そんなに勘を外さないって思う。
物理的な品は数字とレビューを見て相場とコスパで判断してる。レビューは「匂いがする」ので、嘘とか偏りは割と分かる。
でも結局は自分が満足したかが大事って思う。組み合わせづらかったり、使いづらかったり、扱いが雑だったり、見た目が麗しくなかったりとか、思ってたとの違うとか。分かりやすく悪い点があればそれだけ評価は下がるし、逆に予想もしてないいい点があれば評価は上がる。
私が一番やられやすい(期待よりも悪いものを掴まされる)のは耐久性だな~
あと、趣旨に近そうなことで答えるなら、レビューの延長線上だけど、第三者機関によるテストとか、やり方とその機関の資金源が明示されてるようなところの結果は参考にしてる。逆に繋がりのあるところからの評価は原則として嘘だと思ってるところがあるかも。
3:
この質問、なんか全体的に相手との関係とそのときの自分のやる気によってかなり反応が変わる気がしてて想像しづらいな~
(私が勝負したいジャンル限定)
(好意的に見てる人) 私もあるいはこの高みに居たのだろうな…
(そうでもない人) ふ~~~~~~~~~~~~~~ん??
(それ以外)
う~ん、できるな~~この人いつみても本当にすごいな~ は~人間やればここまでできるんだねえ…この仕事が好きなんだろうな~それだけ本気になれていいな~~
てかなんでこの人ここに居るの?てかこの人一人で仕事したらよくない?
(私が勝負したいジャンル限定)
無力だ…
上等やん、勝つ
○○すればいけるだろうか…?
からの「いやそこまで努力するのめんどくね…そんな想いなくね…」
(それ以外)
う~ん、私にはあんまり向いてないのかも…
(まだやる気がある場合)
自分が伸ばせるところを考える
思いつく限り色んな手を試す
自分以外の先達の情報も探す
(好意的に見てる人の場合) その人の近くに居て拾えるところを拾う
(そうでもない場合)
そのジャンル(仕事)を辞める
4:
(めんどくさいのでまたあとで)
違うことが多い気がする。
5:
めんどくさ~~~~~
てかピラミッド?
Ti (20240611)
(БЛ:"構造"の論理)
簡潔にまともな答えを
言えてる気がしてて
2Dぐらいはありそうだけど
全体的にどうでもいいというか
正答を言って早く終わらせたい
思考力を割きたくない
みたいな
抵抗感というか
語りたくなさがある
非価値っぽい
でもそうするとIEIじゃなくなるな~
んんん~~??
あ~
単にバイタルでやる気ないってだけ…?
1:
特殊 → 一般
お米(物々交換) → お金
帰納法。猫、犬 → 4本足の生き物
一般 → 特殊
包丁 → フードプロセッサー
演繹法。動物 → ナメクジ、カタツムリ
2:
誰が考えても同じ結論になる考え方のこと。具体的には次のどれかの組み合わせだけで前提から結論を導くこと。
(もし)AならばB
AまたはB
AかつB
Aではない
知識としては「矛盾許容論理」とかいくつか他にも体系があるのは知ってるけど、日常的な「論理的」は上のとおりでしかないと思う。
あってると思う。
一般的には「論理的」は「客観的」というニュアンスを帯びてる場合はあるけど、それは違うと思う。
3:
うちの住所があるやんか。それって東京都AA区BB町X-Y-Zみたいに言うやん。これって「大きいものの中にそれより小さなものがあって、さらにその中に小さなものがあって」って順番に細かく分かれてくやん。けど分かれてくだけでBB町は東京都の中にあるやん?こういう風に段階的に枝分かれしてって小さく細かく区切ってできるのを「階層構造」っていうんよ。やからきみの腕もそうやで?腕があって手があって指があって爪があって。でも全部腕やろ?
それでな、たとえば腕がなくなったらどうなる?手も指もなくなるやろ?でも逆はどうや?指がなくなったら腕がなくなる?なくならんよな?やから腕と指は対等やなくて、腕のほうがより大事なんや。そういうとこもあるんが「階層構造」や。
ん~いつも従う必要はないと思う。階層が深いと何かと面倒くさいから。組織にしても分類にしても。間の邪魔なのは無視した方が楽だと思うな~
4:
⑤を選択。
「千年前に存在していた」のと「現在にも存在する」のは別に矛盾しないと思うので、それについて言及されてない以上「できない」とは断定できないと思う。
5:
あります。
情報量が多すぎてしんどいとき。
分類(階層化)、クラスタリング。
タグ付け(ラベリング)。
浅い(2段ぐらいまで)階層構造を作って、あとはタグ付け。
階層は直感を損なう(連想的な発想にあわない)ので。
でも稀にマインドマップみたいな図を描くことも。
表を作ることも結構あるかも。
自己判定 (最終更新: 20240622)
IEI(1Ni, 8Fi)
Ti > Te, Ni ≧ Ne, Si > Se?, Fi ≧ Fe → 内向型
Fi → 4D → 8th
バイタル(めんどい)
文章量は自分でも引くほどだけど…?
高次元(Nr, St, Tmがある)
符号- (抽象化、一般化、ネガティブ耐性)
Fe → 3D → 2nd
メンタル(割と気楽、言語的)
高次元(Nr, Stが認められる)
Tmっぽい回答あるけど視点がFi
符号+(具体化傾向)
でも一般論も言ってる
Ti → 2D → 6th
バイタル(無気力)
低次元(Nr止まりだけど
Stらしきものがある)Stっぽいのは根拠の弱い規範無視
符号- (ミニマリズム)
Te → 1D → 4th
低次元(Nrすらない)
Ni/Fi/Fe/Siで代替している印象
Ni → 4D → 1st
メンタル?(言うほど意識的ではない)
自信はある(自我ブロックっぽい)
高次元(Nr, St, Tmらしきものがある)
Fiが混ざってる?
符号- (広範、一般化、ネガティブ耐性)
けど祝福の質問は+/低次元っぽい(具体例の列挙)
人生観ぽい認識あり(囚われのところ)
Ne → 3D → 7th
バイタル?あまりそれっぽくないけど
やる気はとてもある
回答してみるまでそこまで深く考えてなかった
高次元?(Nr, Stらしきものがある)
前回の回答では引用多目だったり焦りがあったり
Ni/Fi/Feの視点が混ざってる
符号+ (具体化する傾向)
Si → 2D → 3rd
メンタル
バイタル不明言語的でありつつも主観性が強い
いや、言語化自体はしやすいのでメンタル
低次元?(Nr止まり?)
Ne/Feが混入
符号- (抽象的)
+のような具体例の列挙もある
Se → 1D → 5th
バイタルっぽい
書くときにまず経験を思い出そうとしてた
低次元 (そもそも規範がわからん)
Neが混入というよりそれで遊び始めている
Fe/Te/Fiも居るかもしれない
知識のひけらかしが発生している
符号+ (具体的)
怪しいところ
Neは本当にバイタル?高次元?あやし~Tiちょっと強くない?高次元Tiの人みたら次元が違ったFiうるさいだけで低次元じゃね?自分の2年前の回答みたら鬼FiFiしてたFeもうるさいだけでSiバイタルでは?Si高次元説高次元Siの人みたらレベチで感嘆した
もしかして: Ne-LII(H)
もしかして: Fi-ESI(H/C)
TとFはF確定でいいと思う
符号の判定が正しいとすれば
Fiが4DなのはIEIとESIしか居ないので
NとSどっちが強いかって感じ
内向型でFeがメンタルなのはIEIとSEIなので
S > NならSEI(つまり符号判定が間違い)
必ずしもSi が低次元とは言えないけど
Niが世界観に強く影響しているのが
回答から読み取れたし
明確にNe > Seでもあるので
N >S だと思う
IEI でよさそう
EIIは符号とFeメンタルなのが
合わないのでほぼないと思う
おしまい
↓前回(去年)やったときの回答
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