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「〜ちゃんは真面目だから」って結局なにがいいたいんですか?馬鹿にしてるんですか?

お久しぶりです。
書きたいことが思いつかず、自分の気持に振り回されしばらく文章に起こすということから遠のいていました。

が、書き始めたいと思います。
これが取り繕いのない私だって記事を。人の目を気にしない本当に私が今の今まで悩んできたことをここに詰めたいと思います。

まず1つ目、私よく「真面目」だと言われます。
一見いいことのように聞こえますがこれが全然いい思いしたことなくて、

人というのはやっぱり「真面目」という何も色がなさそうなやつより、変わってる、狂ってる、いかれてるヤツのほうが面白みも人生の経験も豊富なわけですよ。

それを含めると
「私馬鹿だからさ」とか「〜ちゃんは真面目だよね」「いい子だよね」って

( 馬鹿にしてるんですか? 見下しているんですか? )


これ感じてるの私だけじゃないんじゃないでしょうか?

あ、見下されてるとまでは感じなくても「モヤっ」とすることはあるんじゃないでしょうか?

被害妄想がすぎるとも身内にはよく言われますが、私がそう感じたのだからそうなんですよ。

私はこの事実に対して心のなかでは、
「あんたらに本性さらけ出せなくてつまらない人間演じてんだよ」って
思ってますが、
本当はさらけ出せるようになりたいし、いつだって素で入れるならいたい。

そうおもっている。そう、嫉妬しているのでは…と。

自分の気持をどんな人にも素直にさらけ出せないのは、
受け入れられないと思っている、自信がない、自己肯定感が低い
そう思っているから。

まあ、結局そういうことを恐れているから面白い人にはなれないのでしょう。

一時期この負のスパイラルから抜け出せたことがあるんです。
身近にいる人、いつも本性をさらけ出していた人、居心地のいい人たちの場所を遠ざけること。
一人で決断し、行動し、自分のことを自分でご機嫌にすること。

人に期待することになれてしまうと人は弱く、どんどん自分自身を見失うわけです。

この記事を読もうと思ってここまで読んでくださった方はきっとスカッとすることを書いてくれると期待して読んでくださったかもしれませんが期待しないことが何よりですよ。

他人の期待に答えたからと言ってなにか返ってくるわけではありません。
人生は自分のものです。誰のものでもありません。

すべての行動の決断は自分、誰かに委ねちゃいけません。

以上!