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あしたから出版社

一昨日、「夏葉社日記」を読みながら、咄嗟に注文した「長い読書」が、実は「師匠」の書いた本であり、そこに今読み終えようとしている本のあとがきが書かれているという、鳥肌の立つ偶然を味わった。

文中に度々登場する師匠の著書「あしたから出版社」を、どうしてもすぐに読みたくなり、文庫版をAmazonで購入し読み終えた。

文庫本はAmazonで買うことに抵抗はないものの、単行本は、デザインや手触りを味わうため、本屋に注文して買うことにしている。
注文してから手元に届くまで数週間はかかるが、その時間が読みたい気持ちを適度に増幅させ、いざ手にしたときの感動たるや。

私のように、「夏葉社日記」を読んだ後に「あしたから出版社」を読むことになった読者がどれくらいいるのかわからない。

私にとって、「夏葉社日記」で描かれる「師匠」は、「こころ」に登場する先生のようでもあり、中谷宇吉郎のようでもあり、ロビンマスクやオビ=ワン・ケノービのようでもあり、そんな存在だった。
そんな勝手なイメージを脳裏に焼き付けて「あしたから出版社」を読み始めると、カバーの著者名を二度見することになった。
弟子である秋さんの話?のようなDeja Vu感。

もちろん、読み進めていけば、「夏葉社日記」の随所で現れる師匠の振る舞いのルーツが理解できるようになる。
そして、文庫版あとがきの最終行
”この本を何度も好きだと言ってくれた、秋峰善さんにも感謝の気持ちを捧げたい”
に、胸がギュッと締め付けられた。

文庫本に付箋を付けて読むことはあまりないのだが、本書の一節、

“ぼくは彼女たちの話を聞きながら、かなしみで胸がいっぱいになった。
けれど、そのかなしみには、なにか、なつかしい、あったかいものがあって、不謹慎かもしれないが、こころが満たされるようなきもちにもなった。”

緩和ケア病棟で年間200人近くを見送る中で、かなしみに浸されながらも、私にこの仕事を続けさせてくれる「何か」が、この一節で極めて明快に説明された気持ちになった。
かなしみのるつぼの中で、決して溶解されない「なつかしいもの」「あったかいもの」「こころを満たすもの」。
かなしみのるつぼの中で、本来なら撹拌して溶かすべきそれらを、溶かさない「不謹慎さ」。

昨日も、今日も、そして明日も、新たなかなしみに出会い続ける私を救う一節となった。
ちいさな短冊にこの一節を書き留めて,職場の机の引き出しに、大切にしまっておこう。

「夏葉社日記」を読んだときと同じように、「さよならのあとで」を購入したい旨を、大好きな本屋である「書肆H」のインスタにDMで送った。

すぐに若い店主が返事をくれた。

実際に手にするのは6月になるが、それまで、早く読みたいという渇望を増幅させていきたい。

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