日記20200530(虫が嫌いという話)

マンションの一階に住んでいる。部屋の周りは庭に囲まれていて、夏が近づくにつれて雑草が繁茂していく。ふだん庭に出ることもないので、転居してはじめて迎えた昨年の夏は、雑草をさほど気にしなかった。しかし今年は意を決して草むしりをした。なぜなら、台所になめくじが出たから。
スーパーの弁当に入った漬物が落ちてると思って拾ったらぬめぬめしていてよく見たらなめくじだった。慌てて家中の窓辺をチェックしたら、寝室にも一匹見つけた。一日雨が降った日の夜のことだった。親指と人差し指についたぬめりは、ハンドソープで2回洗ったら落ちた。

荒れた庭でなめくじが繁殖してるにちがいないと思い、意を決して草を根絶やしにする決意をした。とりあえず軍手だけ買ってきて、片っ端から引っこぬくことに。除草剤は今度管理人に聞いて「撒いていい」と言われたら買おうと思う。というか、こういうのって管理会社がやってくれてもいいのでは…と考えるのは都市生活者の甘えか? でも管理費ってなんのために払ってるんだっけ、とか考えてしまう。

40分くらいかけて、庭中の雑草を抜いてなんとか通り道を確保することはできたけれど、ふだんまったく体を動かさないから作業が終わったときにはヘトヘトで、足はがくがく震え、汗が噴きだしてもう大変だった。

達成感はあった。しかし、身体的疲労と同時に精神的ダメージも受けた。僕は虫が好きじゃないから、蠢く奴らを見るたびに心を削られたのだ。
ダンゴムシやイモムシ的なのが草の下からうじゃうじゃ出てきてしんどかった。ふと足元を見るとズボンの裾をイモムシが這いあがっていた。
今、僕が見たのがダンゴムシだったのか、イモムシだったのか、よく分らないので検索してみたら、その出てきた画像にまたゾッとしてしまう。奴らのことを理解したくて検索するなんてことはもう二度とないだろう。

なんで奴らがそんなにおぞましく感じるのか考えてみた。虫を見た瞬間に肌が波立ち胸のあたりから嫌悪感が喉元を上がってくるのは、想像の域で僕の体がすでに侵されてしまっているからじゃないか。
それは外見や動きのせいだけでなく、サイズ感にあると思った。足の指に生える毛くらいのサイズの虫たちは、僕の知らぬ間にズボンのなかに入りこんでくるんじゃないかと想像させる。日常で感じる「なんか痒いなぁ」のすべてが、虫の蠢きと直結してしまう気持ち悪さがある。全部奴らの仕業だという気持になる。

しかし「蠢く」という漢字の正しさには打ちひしがれてしまう。春のうちに対処しておけばよかった。梅雨が来る前に、虫やなめくじたちの戦線を後退させなくてはならない。僕はいま密かに燃えている。虫嫌いの妻のためにも、僕は闘っているのだ。家を取り囲む土たちにコンクリートを流し込みたいと思ったとき、己の人間らしさに戦慄した。自然を破壊してしまいたい、空調の効いた清潔な部屋で微睡みたい、この体を虫なんかに侵食されてたまるか、と思ってしまう。でもどこかで、虫なんかへっちゃらという“男児的”な勇敢さにも憧れるのだ。イモムシくらい指でつまめたらよかったのにって。まぁ克服する気は微塵もないのだけれど。

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