アホの物量で劇場版シン・アスカを語らせろ

※注意!この記事は劇場本編のネタバレと考察とは名ばかりの一ファンの妄想が入り乱れています※


以下、少し長い前置き。

2024年1/26、劇場版機動戦士ガンダムSEED FREEDOM上映開始!

この日、平日早朝から全国各地の劇場が殺気立つ亡霊達に埋め尽くされた。
当然、こんな早朝にキメる奴なんて高確率で恨み募ったリアタイ勢だ。
青春をSEEDで彩り、DESTINYの最終回の直撃を喰らい地獄を見た者たちだ。
私もその一人である。推しのためにそこへ来た。
推しの名前はシン・アスカ。好きなCPはシン✖︎ステラ。察しがつくだろう。

ステラの水葬を見届け、フリーダム撃墜に雄叫びと乾いた笑いをあげ、
シンがルナマリアと残り物慰めCP組まされ軽々と一線を越えられ、
なのに主人公の座を奪われ、ボロボロのストフリvs運命の画像詐欺を受け、
錯乱状態の果てにズタボロに敗北し、無傷勝利大集合する様を見せられ、
悔し涙を流す最終回を、怒れる瞳で見上げ、屈辱を味わされたメイン層である。

付け加えるなら、私はコレでオタクデビューの扉を叩いた。
シンステを摂取する為、多くの個人サイトを巡り、毎週の感想更新を楽しんだ。
そして数多の地獄を見届けた。心を自衛するオタク、ふらつくキャラクターに激怒するオタク、勝ち組キラと負け組シンに分かれる様、作品そのものを恨む様……
私も恨みを抱いた一人だった。恨みを抱きながら何周も見てきたオタクだった。
なんだかんだで好きだった。好きだったからこそ恨まざるを得なかった。
自分をオタクにした親に裏切られ、地獄へと叩き落されたからな。仕方ないね。

そんな経験を経て今日に至るまで18年。
漫画版の解釈やスパロボでの救済措置で溜飲を下げた最初の数年、
以降もジャンルを広げ、物語執筆もはじめ、時の流れと共に多くの学びを得た。
その結果、DESTINYの物語そのものは受け入れられるようになった。
当時の過酷な制作環境、勧善懲悪によらないテーマの先鋭性、
多くの気付きを得ることができた。18年の歳月は私を大人にしてくれた。
これなら劇場版も笑って迎えられるだろう……なんて言うとでも思ったか!?
幾ら自分の中で決着をつけようと新しい燃料が投下されるなら話は別だ。
水星の魔女最終回で告知CMが流れたその日から公開日が訪れるのを待ち侘びた。

劇場に向かう時の私の心境

公開当日朝イチ鑑賞。このために仕事のシフトを調整してきた。
同胞達もそうであったように、私もまた戦場へ赴く兵士の心持ちで向かった。
逃げると言う選択肢はなかった。
すべては遠き日の青春に決着をつけるために。

「シンはすごく活躍する」と言う福田監督の言葉の真偽を確かめ、
嘘だったらブチギレる、ステラを蔑ろにしたら許さんと手加減なしで鑑賞した。

感想:めっちゃ面白かったわ。


本当に福田監督嘘ついてなかった。シンめっちゃ活躍してたわ。
それどころかファンサービス盛り沢山。「あったら嬉しいなあ」と思ったものは大体出てきた。なんなら死んだステラの魂まで出てきた、シンを守るために。
さしずめSEEDフルウェポンコンビネーションアサルトミーティアフルバーストと形容できる作品だった。売上も公開3日で10億突破したとか。超めでたい。
とにかくものすごく満足した。どれぐらいかというと鑑賞後の興奮をTwitterにバラ撒いた後「雑に語りまくりたい」と思い40分で3000字以上書き殴る位だ。

同胞たちの魂も多く救われた。間違いない。私もその一人だと断言できる。
多くの人たちが種自由をキメて盛り上がる様は我がことのように嬉しく思う。
しかし、引っかかる部分も沢山ある

そう、シン・アスカのことである。
シンの評価の「され方」にちょっと不満がある。


良さに気付いてくれるのはとても嬉しい。ウェルカムだ。
しかし「シンは本来こう言う反応する」と言われると、少しむっとする。
公式提供である以上、作品の解答の一つではあるけれど、
それがイコールでキャラの正解が唯一とも限らない例外があるのだ。
公式に対して駄々を捏ねるように見えて行儀悪く見えるかもしれない。
普段なら私もそういう行為を嫌悪する側だ。解釈よわよわオタクを許さない。
だがシン・アスカは別だ。彼を推すのはそれだけの茨の道だったのだ。
私はリアタイ時にひたすら擦りまくったシン・アスカのオタクだ。
自分をオタクにしたキャラのことなのでそこはどうしても気になってしまう。

しかし、否定するだけの子供時代はもう通りすぎた。
鑑賞中に「これは……いや待てよ?つまりこういうことか!」と考察と最適化を繰り返していた。キャラ解体が癖になってしまったんだ、職業病に近い。

私は劇場版機動戦士ガンダムSEED FREEDOMを肯定した。
それは当作が本当に素晴らしい作品であったことと同時に、
鑑賞中に最適化させ、自分の中でうまく飲み込めた結果であった。

ということでこれから吐き出すのはいにしえのシン・アスカオタク
鑑賞中に思った&結論づけた劇場版シン・アスカについての感想&考察だ。

なお、私はパンフが手に入れられなかった情報弱者なのでオタクの戯言、
初見鑑賞の時の一感想程度に思っていただければ幸いです。前置き長かったな。

シン・アスカとキラ・ヤマト

最初は屈辱過ぎて受け入れられなかったが、今ではとても染み入るやり取り。

一度撃墜したステラの仇、自分の理想を砕いた相手。
そして主人公の座を奪いシン推したちをキレさせたあの野郎。
視聴していた当時は主人公というには方針があやふやで
トラブルメイカーがそのまま天下をとって見下しに来た位の悪印象があったが、時が経つにつれて、彼の一杯一杯さに逆に人間味を感じたり、
スパロボでシンと良好な関係を築く姿を沢山見て来て許せるようになっていた。

今作では隊長と部下の関係にあり、上記と同様に平和な関係を築いていた。
いつも一人で戦うキラに「必要ないのかな」「認められたい」と心情を吐露し、
キラから母艦ミレニアムの護衛を任された際には子犬のような笑顔で喜んだ。
ここから彼のワンコ属性が周知され、好きになってくれた人が増えた。嬉しい。
しかしこの流れについて一つ重要な点がある。

シンは「褒められたい」わけではなく「認められたい」
もっというならば「キラとは対等でいたい」と思っているのだ。

シンがキラと共に戦うのは「一緒に戦おう」と言ってくれたのがきっかけだ。
「一緒に」と「誘ってくれた」のが超重要。
隊長と部下の関係で敬愛もするけど、目標において対等なんですこの二人。

TV放送終了後に遅れてやってきた後日談。
シンが「キラ・ヤマト」だと認識し、対面したのはこれが初めてだけど、
二人はそれ以前にも出会っていて、互いにそのことを覚えています。
名前を知るまでは「優しいことを語る人」という認識でしかなかった。
尊重してあげたいけれど、現実は優しくないと思って突っぱねた。
実際は彼も戦っていた。すれ違っていた。
優しいことを語るだけではなく、情勢に流されながらも彼なりに抗っていた。

そんな彼を敵と認識し、仇として憎しみ、命を奪おうとも思った。
そのことを恨まれてもおかしくなかったのに、手を差し伸べてくれた。


同じ平和を望むものとして、諦めずに戦おうと言ってくれた。
最後は周りが見えなくなるほどに追い詰められたシンにとって、
「守る対象」でもなく「自分一人だけじゃない」と気付かされた証拠であり、
「これから示し続ける戦う意志の象徴」として自分もその一人に加わったのだ。

なのでシンが落ち着いて周りが見えるようになったことって、
キラと出会ってシンが成長した証なんですよ。(
聞いてるかアスラン)

こういう経緯があるからキラの頑張りを尊重し、敬愛してるんだと思います。
だからキラを馬鹿にしたブラックナイツの連中にキレた。多分。
キラを馬鹿にされることは戦う意志を貫く自分たちの貶すことと同じだから。

喧嘩でアスランに勝てるわけがないだろ!

劇場版の途中でキラが「僕以外弱いから!」ってわめいた時は
「自分に力が足りないから」=「認められていない」という図式が成り立つので
シンはキラに対して不満を抱いたり、間違ってるとは思わないんですよ。多分。
そして殴りかかるアスランを止めようとしたのも単なる反抗心ではなく
それ以上に「キラという優しい人間の限界」を考えて欲しいのが理由かなと。
彼が優しい人間だと知っているから、彼の負担を減らしたかった所もあるかと。

だから最終決戦でミレニアムのことを任された時は
「褒められた、嬉しい!」というより「やっと対等になった、応えよう!」
という意味合いが強いのかなと受け取りました。(鑑賞中に構築した仮説思考)

まあ、シンがワンコ系男子であることも事実なので
可愛い後輩シン・アスカのことをもっと語って欲しいですね!

シン・アスカとデスティニーガンダム

劇場で変な声が出そうになった。

最終決戦前に秘密基地で他の機体と共にデスティニーを受け取るシーンがある。
この際シンは無邪気な子犬のように笑顔だった。
相棒の再会を喜び、これなら負けないと息巻いたぐらいだ。

ぶっちゃけ、私はちょっと戸惑った。


「えっ、デスティニー受領ってこんな感じでいいの?」と。
デスティニープランの象徴であり、条約違反スレスレの過剰戦力だ。
THE EDGEではかつての平和な光景を見下ろす巨人として描かれ、
戦争でしか平和を守れない矛盾としてシンの脳裏を埋め尽くした機体である。
しかもコレ、技術提供のために渡されていたとはいえ秘密裏である。
「またこんなことを……アスハのお家芸か!?」と糾弾してもおかしくない。

なのに、そんなことはなくめっちゃ喜んでいる。
最初はかなりモヤモヤしていた。というかキレかけた。
しかし直後に頭の中であるシーンが浮かび、制作過程を思い描いた。
「もしかしてコレ『混沌の先に』のシン・アスカを尊重したのか!?」と。

『混沌の先に』

わぁ、かっこいいー!(流石に言ってない)

それは原作35話、フリーダム撃墜回の翌週、
本編でシンがデスティニーと初めて対面した回である。
この時もシンは同じようにめっちゃいい顔で喜んでいたのだ。

そのシーン、当時滅茶苦茶荒れた。


ステラの仇を討って、壊れたように乾いた笑いを浮かべた翌週に、
戦争を嫌悪する少年が、より強い兵器に目を輝かせていた。そうはならんやろ。この脚本に対しキャラ厨な方達のお気持ち表明の嵐が巻き上がった。
多くの人達がこのキャラクター描写に対して違和感を感じていたのだ。
シンに同情的な(とファン達は思った)メディアミックス群では
同様のシーンを描く際には驚きに留めたり、或いは心の葛藤を描いていた。

デスティニー受領の際にこんなに喜んでいるのはTVアニメ版だけであり、
そして今日に至るまでのシンのデスティニーに対するイメージは
メディアミックス側が作ったものであり、TV版はあまり参照されなかった。

しかしこれはいわゆる原作崩壊ではなく、
逆に「シン・アスカ」というキャラクターを尊重した結果である。

その後、一般認識もメディアミックス側解釈が浸透し、
私もまたTV版は「両澤千晶版のシン・アスカ」として割り切った。
そうした方がキャラクターとしての整合制が取れ、物語に納得が行ったから。
キツイ言い方をしてしまえば「TV版のシン・アスカ」を切り捨てたのだ。

しかし、今目の前にあるのは切り捨てた方の「シン・アスカ」だ。
キャラクターとしては引っかかる。なのに何故、今そう描いてきたのか。

それは故・両澤千晶が描いたシン・アスカであり、
かつて福田監督が提供したシン・アスカでもあるからと私は考えた。

メディアミックスとは原作の関係ではあるだろう。
しかしそれは監督達が描いた物語ではないことと同義である。
採用してしまえば自分たちが描いたものを捻じ曲げることに繋がる。
物語作りは100点を目指す作業だが、採点基準は如何ようにでも変わる。
その不完全さ、不出来さをも含めて作品なのだ。
正しいかどうかではなく、在り方としてのお話である。

そういう思いがあってもおかしくない(あくまで妄想である)。

「こうした方がシン・アスカらしいのに」という思いはある。
しかし「これはTV版DESTINYからの物語だ」と貫くのならそれを呑み込もう。
そして受けて立とう。感想とは別に製作者の拘りを受け入れるのが観客だ。
元々差し違えるつもりで来てるし、覚悟も見えない腑抜け作品より万倍マシだ。問題ない。受け入れ態勢は整えられる。昔とは決定的に違う点があるからだ。

だってコレ、あの時から2年後の物語だからね!


リアルタイム進行だった放送事と違って、観客も知らない空白がある。
もしかしたらデスティニーに対する認識が変わる事件もあるかもしれない!
どんなエピソードがあってもおかしくない(アスランとの関係は変わらないが)
という風に考え直し、劇場版の笑顔ワンコするシン・アスカを受け入れた。

カラーリングがレジェンドっぽくなってるのいいよね……(御満悦)

その後の活躍は監督の宣言通り&こちらの想像を超える凄まじいものであり、
推し機体の活躍を最前列で見上げた私の興奮値が壊れ、泣きながら笑っていた。
そこにいたのはまごう事なき主人公機の一角。撃墜数No. 1のエースキラー。
もう誰にも欠陥機だとか主人公機(笑)とか言わせない姿を大画面で拝んだよ。

いやホント、マジでありがとうございます福田監督!


シン・アスカとルナマリア・ホーク

あの時のくやしみ。

シン✖ルナ、それはTV版放送当時あまり祝福されなかった公式カップリング。
だって残り物同士が互いに慰め合って出来たCPだものね。歪すぎるわ。

物語の終盤ルナマリアはシンにとって守るべき大切な存在となるが、
それは成り行きで求めた庇護対象であり死んだステラの代わりでしかない。
なんなら最終回でシンが口にしたのはステラの名前である。
シン✖️ステラ推しは勿論、放送当初からシン✖️ルナを掲げた人も
「こんな形で結ばれたくなかった」と嘆くのを見掛けた位には地獄のCPだった。
はっきり言ってTV版ルナマリアがヒロインかと聞かれれば絶対にNoと答える
むしろレイの方が彼女よりもシンのヒロインしてるだろってのが総意だと思う。

シン✖️ステラ推しの私も例に漏れずこのCPを中指立てて嫌った。
放送中シンが可哀想すぎてルナマリアに縋ったこともあるがそれはそれ。
ルナマリアは好きだけどカップリングは認められなかった。
スパロボとかでもシンとルナマリアが恋人としている期間が長引くことに複雑な気持ちを抱いていた。スパロボマジックでさえ、解消させてくれなかった。
(とは言ってるものの放送初期は私もシン✖️ルナ関連サイトも漁ってた。
 放送初期のシン✖️ルナ創作は兄弟的な感情が強くて恋愛からは遠く、
 レイとのCPが本命と見られていたため、私も軽くつまめた。本編が憎い)

で、劇場本編。
どれだけ押し付けられるか身構えてたが特にそんなことはなかった。
むしろ恋人感さえ薄い、別れたのか?そんな考えが脳裏を過ぎるくらい。
2年もあれば関係も変わろう。ディアッカ✖️ミリアリアも一度破局したし。
元々が地獄CPだ、全く健全でなかった。別れても仕方ない。
これからは仲間として割り切るならそれもいいかなと考えてたが……

なんて考えた私が甘かった。ルナマリアからシンへ向ける矢印は想像以上にデカかった。

事あるごとにシンを意識している。同僚に対するソレじゃない。
キラのことばかり話すシンにもちょっと不満げだ。私にはシンに気にして欲しいと思っているように見えた。シンは逆にそんな気配出さなかったが。Why何故?

物語途中、シンが生死不明になった時もガチ落ち込みした。
シンの自室に訪れられる位だ。それぐらいの関係性はあるのだろう。
それがどこまでの関係深度かは推し量れないが、
少なくともルナマリアが今もシンが好きなのはこの時点には確信していた。

で、最終決戦直前のミレニアム強奪イベント(と言う名の茶番)。
実は生きてたシン・アスカは正体を隠し、相手がルナマリアだと分かった上で、
銃を突きつけ、脅しにかかり無力化を図ったのであった。

なんでそんなことをするの??????

拳銃はおもちゃじゃないって知ってるでしょ!?
人を殺しかねないものをそんな風に扱う子だったっけ君!?違うだろ!?
それとも相手がルナマリアだからそうしてるの?
訓練生時代とかよくそんなことしてたから許されるとでも思ったとか?
だとしたら許さねーぞ!めっちゃ心配してたんだぞ!?あーあ、泣いちゃった!

シン!お前が悪い!早く謝るんだ!謝ったな?ヨシ!


そんな感じで二人の茶番を見届け終えた。ホント茶番。
ぶっちゃけ要らない場面にも思う。もっと普通に描けただろとも。
しかし、そう思ってる一方で別のことに気付かされた。

いつの間にかルナマリアを応援していた。シンステ派のこの私が。

劇中のルナマリアの反応を追い続けたせいなのか、
単にシンの行動が解釈違いすぎてキレた結果なのかは分からない。
しかし、確かにルナマリアを応援していたのである。
少なくとも彼女の為にシンにブチギレるなんて事、1ミリも想像しなかった。

そして遂に、彼女はとうとう好意をぶちまけた。


最終決戦の最中、裏切り者のアグネスに「あんな奴で妥協して〜」と煽られて
「はぁ!?好きですけどぉ!?」とマジ反論した。シン・アスカが居ない場で。

頭ピンクのアグネスでさえ把握してないなら割と認知されてなかったのだろう。
下手するとシンも気付いてない可能性もある。
2年も経ってるんだ。友人に戻ったつもりかもしれない。ハハハまっさかー?
そんな彼女の告白をアグネスと観客私は聞いてしまった。
私からすれば18年の地獄の果てに宿敵のカミングアウトを喰らう構図である。
はっきり言ってこの二人の対決も茶番だと思う。だがそれがいいと思った。

成り行きに流されるまま、互いの傷心を埋め合わせるためではなく、
落ち着いた後に明確に自分の好意だと宣言するなんて、
こんなカミングアウト茶番級の勢いで丁度いいんじゃないか!?なあ!?

認めよう、そこにあったのは健全な好意だった。
私は確かにシン✖️ステラ推しのオタクではあるが、
同時にシンの幸せを切に願っているオタクでもある。
シンのヒロインはステラであるとは今も思う。優先するならシンステだ。
しかし、ステラはもう死んでいる。縛られ続けてと願うのは酷だ。
シンの人生はこれからも続く。その隣にはルナマリアが居てくれるだろう。
決してステラの代わりじゃない。ルナマリアだからこそいいんだ。
しかし作中でシン→ルナマリアへの恋愛感情の有無が分からない。
あのデュートリオンチャージは飾りかどうか教えてくれよ、なあ、オイ。

シン!ルナマリアはいい子だぞ!
お前のことが大好きだぞ!二度と泣かせるなよ!?


シン・アスカとムウ・ラ・フラガ

なかった事にされたの許してない

正直、ムウに関しては複雑な気持ちのまんまだった。
種できっちり殺したのに、ムウ推しにせがまれて無かったことにされて蘇り、「ネオ」というキャラクターを上書きし、かといって本編に「ムウを絡ませる」必要はまったくないという種運命の脚本の歪みの象徴の一つみたいな存在。

そしてシンの願いを裏切ってステラを戦場に送ってしまった男。これが重要。

スパロボとかだったらシンに謝罪を入れるから割り切れるが、
今作は2年後の話なのでそもそも謝罪フェイズが存在しなかった。
馴れ馴れしくシンに絡むあたり、こちらでも決着は付いたのだとは思う。
ただ強いていうならシンは「ウザそうに」返していたのが救いだろう。
表情と口調に「また話しかけて来たな?」ぐらいのニュアンが滲んでいた。

つまりだね、シンは別にムウには懐いている訳じゃないんです、これ重要。

仲間としては見ているけれど、許したわけじゃないって事だと思う。
ステラが死んだ原因の一人だもの。当然、雑に処理される訳がない。
甘える対象なんて論外だ。だから懐くことはないと思う。

しかし一緒に戦う仲間でもあるのも事実だ。
ムウも彼なりに罪悪感から逃げずに……本当かぁ?ドラマCDでも畜生だったぞ?
まあ一応は避けずに付き合おうとしてくれるようなので、
それを無視する訳にはいかない。死んだステラも悲しむだろう。

まあ手痛い裏切り食らった側だし「オッサン」と小馬鹿にして、貴重なマウント相手になって貰おう。つまり小悪魔系シン・アスカってこと?新しいなあ!

シン・アスカとステラ・ルーシェ

聖域にして我が青春

前置きでも語ったようにステラの登場はマジで泣くぐらい嬉しかったの。
問題はその直後。何故かバイオハザードに出てきそうなゾンビにさせられた所。
アレを見て泣いたステラのファンたちも沢山いる。私だって少し驚いたよ。
そしてステラファンではない観客たちからはこのシーンを指して
「ギャグシーン」とか「悪霊」だの「ステラの愛が重い」と言われる始末。
しかし、そんな人たちに私はここで一言申し上げたい。

ステラの愛が重いわけねえだろ!?!?


そもそも「愛が重い」というのは対象に負担をかけるのが前提。
自分に愛を向けてほしいとか自分本位に
呪術廻戦でいうなら乙骨のリカちゃんみたいなものだと言えばいい。
今作のステラはシンの心に負担をかけるようなことをしたか?してないよ!
付け加えてステラがシンに愛されたいとか考えるか?考える訳ねえだろうが!?


原作から整理して考えて欲しいんですがそもそもステラがシンに向けてた感情は「淡い恋愛感情」とか「大切に思ってる優しい存在」であり、
すべてを捧げたいとか、そういう固執的な愛を捧げる対象では無いんです。
負担をかけるような行為が発生する可能性がそもそもゼロなんです、この子。

シンのトラウマイメージがそういう風に映しているという説も見たけど
その可能性もないです。シンはステラを汚すようなことを考えられないので。
シンにとってステラは「やさしくてあたたかい世界」に居るべき存在だからね。

確かに戦後は毎晩家族の死と並べてステラの死を夢に見てるのは事実。
戦争の被害者としてステラをイメージし、自分を追い詰めたこともある。
けどアスラン戦後にイメージじゃない本物のステラの霊体が現れて、
昨日がある大切さと、期待を持って明日へ進める喜びを伝えてくれた。
未来に繋がる最初の一歩をくれた存在としてイメージを払拭されているのだ。

そんなかけがえのない女の子を、        シンが悪霊としてイメージするものかよ!?


第一あの悪霊イメージはアコード達が受け取ったもの。
「彼らからはそう見えた」ってだけの話だ!それで辻褄は合う!
ついでに観客も巻き込まれたが!ステラファンの人たちもドン引きだが!
しかし、私は構わない!だって私は魂の在り方こそを見届けているから!

最終回の『また明日』の延長として!!!!     今もシンの所に会いに来てくれる事実が!!!!!
ステラがシンを守ろうとしてくれる事実が!!!!!!事実としてあることがあまりにも嬉しいから!!!!!新規ステラ供給ありがとう福田監督!!!!!!   それでもゾンビみたいにして欲しくなかったが!!!


もしもスパロボであのイメージが技演出で再現されたら
私はもう一度福田監督にキレるかもしれない。そうならないことを祈る。

令和に推しCPの供給があることが一番うれしい。

おまけ:今作の敵に対するシン・アスカオタクの所感。
「心の闇が深すぎる……!」と慄かれた所で「デスティニープランで生きていて苦悩が無くなるとこうなるんかな」って推測が立つのは面白かった。
けど不満があるとすれば正当性だけを掲げる理念のない集まりだった点。
せっかく「シンvsデスティニープラン」という構図にもなってるし、
デスティニーガンダムを指して「デュランダルの玩具を引っ張り出して、お仲間にでも入れて欲しいのかい!?」とか煽られて、それに反論するシンとかも見たかった。もっと言えば「運命を切り開く」と公式でも宣言して欲しかった。
あとアウラ。アイツの目的がよく分からない。世界征服したいだけか?
デスティニープランやアコードによる統治の正当性を証明するためならレクイエムの照準をアウラの判断で変えさせるのは違和感がある。凡人側でしょあなた。自分が世界の王になりたいようにしか見えないよ。可愛いけどさあ!
ラクスの母親と知り合いなら、当時のことを引き合いにラクスと会話させたり、どうしてそんな計画を立てたのか語りかけたりするだけで話の奥行き、昔のSEEDらしいシリアスな味をある程度補えたとおもう。ワンシーンだけ見せたアコード連中の母っぽい描写の詳細とか……やはり尺とテンポかな……

最後に:改めてガンダムSEEDFREEDOMについて。

私個人としてはめっちゃ面白かった。大多数の人たちも満足した。
一方でシンのキャラクターのブレが気になった。
それが気になって「今作は受け入れられない」って人もいると思う。
SEEDはこんな勧善懲悪な物語じゃなかっただろと言われると否定出来ない。

けど私はその感情も踏まえて「いい映画だった」と胸を張って言える。
だってそれだけの熱量は感じ取れていたし、工夫もきっちり凝らされていた。

描写には限界がある。設定があっても尺の都合で語り切れない所もある。
両澤千晶女史の逝去もあり、物語の折り合いをつけるのが大変だったと思う。
そんな中を18年間、企画を落とさずに作り続け、完成させてくれた。
ただでさえ過酷なアニメ制作に、更に輪をかけて先の見えない中で、
完成させてきたのは、とてつもない執念が無ければ無理なことだ。
そして今、連日のごとくSEEDの話が飛び交うようになっている。
たとえ、今作が合わなかった人でも「完成させた執念」だけは認められる筈で、
「今回も酷かったな」と言いながらも、SEEDの話題に華を咲かせている。
さながらアクシズショックの如き、オタクの歴史的事件と言って過言じゃない。

これからのSEEDがどうなるかは分からない。
正直、続編が来ても今回程は興奮しないと思う。
今作みたいなノリで作られても受け入れられる自信もない。
20年分の恨み、18年分の焦らしがあったからこその破壊力。
それが俺をオタクにした作品ならなおのこと。
一生に一度あるかないかの、奇跡のような巡り合わせと体験だった……

 ありがとう、シン・アスカ!君に出会えてよかった!

新しく生まれ変わった君のこれからの活躍と、

人生の先行きに幸あらんことを切に願っているよ!

そしてありがとう、ガンダムSEED FREEDOM!

劇場で見れてよかった!お陰で青春と決着出来た!

この宝物のような経験を胸に、俺も明日へと進むよ!

とりあえず、解釈深めるために小説版も読んでくるね!

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