倫理学特殊講義(金2)
第三回目(10/15
ケアの倫理は、ケアする人は(ジェンダーへの着目を抜きにして)ケアをする人の倫理や道徳はこうである、ああであるという議論ではない、ことに注意しなければならない。
そのなかで出発点となる重要な著作が、ギリガン、キャロル。
発展途上国のように飢えてる人がいるということを、”知識”として持っているので、理想としては今すぐに助けに行くことがケアであるけれど、実際にそんなことできるのか?
また、日本の中にも飢えている人だっているんだし、今すぐに万人を助けることはできない。
故に、ケアできる範囲は限られていると言い切ってしまう。
ネルさんの紹介
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①ケアする/される、という相互関係(お互いに自立している関係)がまず一つ。
②非対称的というのは親の関係をイメージできる。親は子供に対して絶対的な権力を持ってる、けれど子供はそれを持たない。という意味での非対称的。
例えば、学校教育で、先生が生徒をケアするというのは、何か意味はあるとき「福利、保護、向上」というようなものを提供するときのことを言う。
自己犠牲を含めて、ケアすることは間違ってる。自分の人生を相手に差し出すかのような意味合いを含めてしまう故に、「あなたの為にしている」というのが全面に出てしまう。
また、一方通行な思いでもありとのこと。
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非対称な関係であると、どうしても権力の差が生じるのでそこを気にしなければいけない。
すべき、ではなく、したいという気持ちこそがケアだそうです。
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何かしらの原理があったとしても、それを境界として他を追い出してしまうからこそ”絶対的なもの”はないよ。それが、いいウソと悪いウソの話。
第四回目(10/22
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依存批判の立場に立ってモノを考える。平等すらも、その人たちが決めた基準でしかないのではないか。
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第五回(10/29
中絶問題について取り上げたノーマさん
第六回(11/05
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第七回目:11/12
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