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「かわいいきれいかっこいい」をどう捉えるか、考えたことを考えた順番のまま整えずに書いたやつ

「きれい/かわいい/かっこいい」

自分で自分に言うなら/他人から言われたら、どう感じるかの話。


考えてみてとりあえずこれはわかった。

・私は自分を愛する対象として認識していない

・パーツの素材感ならともかく全体として自分の見てくれにあんまり興味が無い


「自分の外見の系統はここに分類されるはずなので○○という言葉を言われた場合は言動に触れているはず」みたいな推測を元に考え始めて、そういう話だっけ??ってなってる。


「かわいくありたい」と願うときそれは「あの人に愛されたい」だし、「かっこよくありたい」の時は「これができる能力が欲しい」だし、「きれいでありたい」なら「何者にも侵されない精神が欲しい」になるかなあ。

自分に「かわいい」と言うときは願いだなたぶん。あとデザインがうまくいったとき。

「かっこいい」なら何かを成したとき。

「きれい」は整った状態。爪をはみ出さず塗れたとか。

純粋に外見について言うことがあんまりないな。自分の見てくれにそこまで興味がないというのはある。


何かを身につけるとき、他のアイテムと合うかは考えるけど総合的に自分本体がどういう方向性になるのかはあんまり考えない気がする。行く場に合わせた格とか雰囲気とかは多少気にするけどそれはどう上手く背景になるかという腐心に近い。自分を演出するわけではなく。


「かわいい」は各々が持つ物語に依拠した主観かなあ。

「かっこいい」が他者のまなざしによって明らかにされる輪郭という意識があるかもしれない。

「きれい」は倫理とか善悪とかに左右されそう。精神性がある。


「かっこいい」が主軸だった少女時代に「かわいい≒女性ジェンダー」を獲得しようとして笑われたことがあったな。私自身がその領域にあるのが物珍しいものとされて何かと騒がれたもので、未だに苦手意識があるかもしれない。

ていうかスカートってだけであれこれ言われるの何なん。

「きれい」は遠ざけるために使われたことがあったな。あなたを汚したくないからという理由で輪から排斥されるための言葉だった。(お色気の気配がある少年マンガの話題に入れないというだけ)断片的な情報と絵柄から自分で特定して自分で読んだけど、それで何が汚れるのか全くわからなかった。

「かっこいい」は記憶にある最初の自分が目指した方向性だった。というかよそ者としてあった時に、侵されない自分を確立するために物理的な強さと活発さで守ったら「かっこいい」に当てはめられるようになった。そうあれば居場所が守られると学習したのでその後10数年少年的なかっこよさを正とした。

どれも烙印的な意味を持つんだよな私の中で。だから自分で自分にかけるなら、それは自分自身ではなくそこに添えた要素についての言及になりがちで、だからこそどれも普通に使えるかもしれない。私は自分を肯定しない。

他人からかけられるなら、演出が上手くいったと思うかもしれない。わからない。場にあわせて装いはするけども。


「かわいい」を愛、「かっこいい」を理想、「きれい」をプライドとするなら、それはどれも欲しいものだった気がする。けど他者から言われる時にはその人が定義する意味があるだろうから、自分の定義で受けとることはできないんだよな。解釈の癖はあるだろうけど。

いやその解釈の癖を聞かれてるのか。


「かわいい」は相手によるな。「愛せるものです」の意としがちだから。愛されたい相手に言われたら喜ぶと思う。そうでない相手でも友好的な関係であればべつに嫌ではないと思う。

めちゃくちゃ嫌いな人なら「なめてんのかおら」となるかもしれない。

「きれい」は手間をかけて整えたものについての賛辞……?

気合いいれて装った時、パーツを手入れして健康的な状態であること、姿勢とか所作とか。後天的に獲得された私の意識下にあるもの。
風景とかでない人間への「きれい」は表層的な眼差しではないと捉えて「そうでしょうがんばりました」になると思う。

「かっこいい」はな……一度その道を行って失敗した(と自認している)身としてはもう見てくれや言動で演出したくないけど、想定外に「かっこいい」と言われたら「これが『かっこいい』か……」としみじみする。嬉しいとか嫌とかより前に「なるほど」が来る。

ひとから言われる分にはからかいとかの色を含まなければ悪くは思わないんじゃないかなあ。言われたことを元に自分や言葉を分析する材料にしそう。「へえ、なるほどこれが『かわいい』か」

人間になりたい化け物か……?


自分で自分に言うとき「かわいい/かっこいい/きれい」を理想として設定することはあっても結果に言うことあんまないな……自分褒めは「好ましい」系だな。主観的な好き嫌いの世界で説明しやすい指標があるわけではない。となると「かわいい」がその枠で使いやすい定義をしてるから比較的使うかも。

服とかじゃなく自分を「かわいい/かっこいい/きれい」と言うとき、「自分」とは何を指すんだ。何が自分というものなんだろうな……。(哲学を始めるな)

なんか「人間はかわいくないしかっこよくないしきれいでもないじゃないですか」となって全て努力なり姿勢なり作られたものへの言葉としがちかもしれん。

ひとから言われる時はやっぱ自分の定義よりも相手の意図したところを推し量るよな。「あなたにとっての『きれい』のサンプル」として自分の中にストックして、相手の美醜や言語の感覚を推定して、次に会うときの演出の参考に使ったり、プレゼントに生かしたり。

「かわいい~」って言われて「これは『かっこいい』では?」とかってなっても、そこにある好意に対応する語彙が違うだけかもしれんから即座に「いやかわいくないし」とはならんな。適切な関係であれば。

「これは褒められるものではない」系だとどうだろうな。それを好きになるきっかけになるかも。

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