エルメロイ二世とマタ・ハリは『手を繋いで踊らないと出られない部屋』に入ってしまいました


「部屋を解析した結果、踊らなくても出られると分かった」
 エルメロイ二世は黒縁眼鏡の橋を中指で押し上げながら言いました。すかさず割り込んできたダヴィンチちゃんからの通信はエルメロイ二世の指ぱっちんで消えてしまいました。愛用の葉巻を吹かそうとして、エルメロイ二世の指は胸ポケットに入る前に止まりました。丁度切らしていたのを思い出したのです。
「お約束を破るなんて無粋ではなくて?」
 マタ・ハリは胸元から取り出した紙タバコを咥えてそう言いました。マッチで灯した紙タバコを軽く吹かします。
 マタ・ハリが紙タバコを差し出すと、エルメロイ二世は数瞬ためらったのち、受け取ります。魔術で灯そうとすると不発でした。ダヴィンチちゃんが何かしてくれたようです。
 するとマタ・ハリが自分の口元へと手招きをしてきました。紙タバコの先同士が重なり、エルメロイ二世が持っていた紙タバコも灯されました。エルメロイ二世はお互いの髪が触れ合っていたことに気付き、視線はかろうじて下がり切らずマタ・ハリの鎖骨を見たのですが、それでもエルメロイ二世の頬は少しばかり紅潮しました。
 マタ・ハリも女性としては背が高い方ですが、エルメロイ二世はそんな彼女よりずっと背が高いのです。エルメロイ二世は距離を置いた上に彼女から視線を外しました。
「私のような俗物と手を握るなど、レディは嫌だろう。たとえこれがレクリエーションの一環だとしても」
「生きる目的が権力なら、ええ、お断りよ。でも貴方は権力や地位を手段にしたいオトコでしょ」
 エルメロイ二世の視界にマタ・ハリが入ってきました。エルメロイ二世はまた避けます。入ってきます、避けます。繰り返す度に距離を詰められ、ついにはマタ・ハリの親指と人差し指でエルメロイ二世は顎を捕えられてしまいました。観念したエルメロイ二世はマタ・ハリと向き合います。
「やっぱりあなた、可愛いわね。力のある英霊が憑依した坊やなら私なんて気にしなくてもいいはずなのに」
「私はただ臆病なだけだ。こうして魔眼殺しを付けていなければレディと向き合う勇気を持てない」
「でも今はある。道具に頼って男を磨くことの何が悪いの。磨かずにいるより良いわ。リードをお願いしてもいいかしら」
 マタ・ハリは(セ・ン・セ・イ)とエルメロイ二世の耳元でささやき、2本のタバコをエルメロイ二世がいつも使っている携帯灰皿に入れてしまいました。
「タンゴ イングリッシュスタイル」
 エルメロイ二世が先ほどと同じくぱちんと指を鳴らすと、部屋の何処かからピアノとサックスをメインにした曲が流れてきました。
 右手はマタ・ハリの背中に添えて、左手でマタ・ハリの右手を柔らかく包みます。スローテンポの曲に合わせたエルメロイ二世の足取りは堅調ですが、リードそのものに迷いは見られません。頬の紅潮も消え去り、マタ・ハリと体を密着させていることも気に留めず、相手と踊ることに集中しているようです。
「こんなにお上手だと、社交界もお好きだと勘ぐってしまうわ。それともひいきにしているダンスのお相手でもいらして?」
「皮肉は止してほしい。レディが私のリードに合わせてくれているからこうも踊れる。義妹の躾が活きているおかげでもあるが」 
「素敵な妹さんね、兄が失点をしないよう教えてくれるなんて」
「これは手厳しい」
 エルメロイ二世はぼやき左腕を中心にマタ・ハリを回転させました。くるりと優雅なターンを決めて戻ってきたマタ・ハリは再び密着し、鼻先が擦れる程まで顔を近づけます。
「皮肉をやめただけよ、坊や」
すっと顔を離したマタ・ハリはエルメロイ二世のリードに乗り直します。
 緊張がほぐれたエルメロイ二世の動きは活発になり、マタ・ハリのヒールはより強く床にダンスの軌跡を刻みます。
2人ともやや汗ばみ始めたところで曲目が終わりました。ロック解除音が鳴って、赤い光を発していたサインが緑に変わります。
「手の甲にキスはいただけないのかしら」
 右掌をエルメロイ二世の胸元に向けて、マタ・ハリは言いました。
「それはできない。これがお遊びだとしても、私が忠をささげる相手は一人だけなのでね」
 エルメロイ二世は毅然と言って、マタ・ハリの細腕を両掌で包んで押し下げました。
「じゃあ私から」
 エルメロイ二世の両肩をしっかり掴み、ちょっとだけ背伸びをしたマタ・ハリはエルメロイ二世の頬にキスをしました。唇の形をした淡紅のルージュが薄く残ります。
 唖然とするエルメロイ二世にマタ・ハリはこう言いました。
「友達どうしのキスで動揺してたらダメでしょセンセイ?」
 軽く手を振ってマタ・ハリは部屋から出ていきました。
 エルメロイ二世は眉間に浮かんだ深いしわを指で揉みます。
「どうにも強い女性には敵わんよ」
 そう言いながらも口角は少しだけ上がっていました。

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