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よだか語り~宇宙一の当て馬~

2016年11月。『溺れるナイフ』という映画が公開されました。私はそれ以降の重岡くんのファンですが、大友勝利は新規の目にも最高でした。『溺れるナイフ』から重岡くんに注目し始めた、オタクではない一般人の方も少なくないはずです。

今回、よだかの原作を「重岡くんが火賀を演じる」という情報を得て読んでいた際、ラストで火賀が当て馬だと知ったとき。冗談でも誇張でもなく、喚き散らそうかと思いました。私にもう少し理性がなければ、その場に突っ伏して絶句していた。

もしも「宇宙を駆けるよだか」で重岡くんのことが気になっている人で、『溺れるナイフ』を観ていない方がいらっしゃったら、是非チェックしてほしいです。原作はジョージ朝倉先生の同名の少女漫画「溺れるナイフ」で、広大な自然と海に囲まれた浮雲という架空の田舎町で起こる、都会からの転校生(美少女)を巡る、透き通るほどに美しく鮮烈な、恋愛や夢への情熱と狂気的な芸術を描いた作品です。よだかと同じく、一般的な少女漫画とは一線を画したもので、原作に忠実に作られた映画もその原作も、どちらもめちゃくちゃに面白い。私はその、自分が心の底から好きだと思える世界観や作品に、大好きな人が溶け込んでいるという至上の贅沢が素晴らしすぎて、今でも気を緩めると溺れるナイフのことを語り出してしまうほど大好きです。

重岡くんの代表作と言ってもいいほどのハマり役であり、当たり役である大友。第71回毎日映画コンクールの俳優部門(スポニチグランプリ新人賞・男優)の候補者としてノミネートされた実績もあってか、重岡くんがお芝居の仕事を楽しいと思うようになったターニングポイントとして挙げられる、大友。よだかの火賀くんを観ていると、どうしてもその大友のことが思い出されて仕方なくて。とりわけ私は、大友で堕ちて重岡担になったクチなので(厳密には違うんだけどその話はまたいつか聞いてください)、どうしてもこうしても大友が出てきてしまう。
『溺れるナイフ』の夏芽/コウ/大友と、よだかのあゆみ/しろちゃん/火賀の三角関係の設定が被って思えてしまって。王道なのか、当て馬としてのバックグラウンドもあまりにも似ているように思えてしまって。

先にも述べましたが、私は大友以降の重岡担なので、大友をリアルタイムで演じていた重岡くんのコメントが文章化されている文献をあまり持っていませんでした。あるとすれば劇場で購入した映画のパンフレットくらい。久々に読み返してみたところ、そこに掲載されているインタビューだけでもかなりしんどかったので、一部文字起こししてみました。

―大友の存在が映画全体の救いになっていますね。
「そうなっていたらうれしいです。まあ、ほっこりするシーンは多かったので。大友は真面目で不器用ですからね。かなり自分に似ている部分が多いなと思いました。俺らしさでもあるのかなって。

―大友のようなところ、あるんですか。
「あそこまではできないですけどね。まだ中学生とか高校生で、誰か好きな人のためだけに頑張る、みたいなのは…。でも、好きな人に好きな人がいるとわかっても、パワフルに行ってしまうほうかもしれない。そんな経験、ないけど(笑)。やっぱり自分のいいところを見せたくなるし。そういうところが、お芝居中も出ちゃった気がします。」

―夏芽と付き合ってる時、コウのことをどれくらい意識してたと思いますか。
「本気で付き合ってたと思います。でも、どこか、もどかしさを感じていた。ただ、コウにはできない方法で、夏芽を幸せにしたい、包み込みたい……みたいな思いはあったと思いますよ。(中略)そう、だからすごくわかる。大友は、学生時代を思い出して「こんなヤツ、いたなあ」というキャラ。大友ほど器の大きいのはいなかったと思いますけど。よくこんなふうに笑ってるヤツいたなあ、こういうヤツがいたら、なぜかクラスが和んだな、と。そういうヤツですね、大友は。」

他にも溺れるナイフ公開前後の、オリコンの記事も見つけました。

「だって、誰だって好きな子の前では自分をよく見せたいし、特別でいたい。片想いなら振り向いてほしい。でも、大友は普通の男の子が持っている下心がないから、その感情をぐっと押さえて、台詞を言うのが大変やった。難しかったです。」
俺は、追いかけられるより、追いかけたいほうやから(照)。野性の本能なんかなぁ。」

大友も最高だけど、こんなことをインタビューで言えてしまう重岡くんの方がもっと好き。

2018年8月配信のよだか関連の雑誌のインタビューも、どれもすごく良かったです。

重岡「(原作を読んだときに)「こいつ、めちゃめちゃカッコいいやん」と、どんどんプレッシャーになってきて。「この感じを出さなあかんねんやろ?」(もだえる動き)って若干格闘しながら読んでました。」
                         ―PICT UP 113 より
―重岡さんは、片思いをしている役が似合いますよね。
重岡「個人的にも恵まれない恋をしている役のほうが好きです(笑)。(中略)そっちの方が哀愁漂ってええやん。」
重岡「不幸な中に幸せな部分を見付けて立ち上がる、っていう役に共感します。」
                   ―CINEMA SQUARE Vol.103 より
神山「(2人で演技をしていて)照れたときもあったね~。なんかね、火賀やねんけどたまにしげに見えるねん。」
重岡「ほぼオレの時あるから、ふふふ。
                      -TVfan CLOSS Vol.27 より
重岡「火賀の場合は、自分の気持ちをごまかしつつ、しろちゃんとあゆみの恋を見守ってるから、いいやつすぎるよな。『頑張れよ』って言いながら、本音では『フラれろ!』って思ってたら人間らしいけど。あんな風に自分はなれないわ。まあ、2人がお似合いなら仕方ないなって思うけど
                    ―FLIX OCT. 2018 NO.249 より
重岡「熱くて真っ直ぐでお調子者な部分は僕にもあると思うし、タイプは近いんですよ。ただ漫画を読んだ時に、火賀はカッコ良いを通り越して人ではないと思って(笑)。あそこまで誰かを守ろう、助けようと、突き抜けることができるのかと。(中略)台詞は、『標準語、どんと来い!』と思っていたけど、しろちゃん(神山智洋)とより対極な印象にするために関西弁に変わって。他の作品でも俺に合わせて関西弁になったし、標準語をしゃべられへんと思われてんのかな(笑)。自分がナチュラルだから身近に感じてもらえるんだと思います。」
重岡「この子を守れるのは俺しかおらんと思って演じてましたからね。最初は暗~いけど、どんどん光を帯びていくのがめちゃ可愛いですし、演じた富田さんはほんまにすごいですよ」
                  ―BARFOUT! AUGUST 2018 275 より

基本的に当て馬って、「非の打ちどころのない、めちゃくちゃいいヤツ」。そういうキャラクターを演じるにあたって、重岡くんは似て非なるそれらの役たちを、すんなり内面化してみせ、スクリーンや画面で燦々と輝いている。

大友は、言うなら「女の子を救済するための存在」。溺れるナイフ公開にあたって山戸監督からそういう大友のコンセプトを聞いたときは、それはそれは、血沸き肉躍る感じでした。だってそれはつまり、重岡くんが王子様役ってことだもの。大友は田舎の片隅で、太陽みたいに笑う汗まみれの王子様だった。

そして火賀も、大友みたいに「めっちゃいいヤツ」で「関西弁」だけど、やっぱり大友とは違ってて。100%あゆみを救済できているわけでもないし、王子様でもない。

原作の火賀は本当にいいヤツすぎて人間みがなくて、最後の「あゆみは俺のことが好きだ…でもそれは情だろ?あゆみが本当に恋してんのは誰だ?(中略)気をつかって迷うなよ、アイツの圧勝だ」ってしろちゃんにあゆみを譲る(踏み出せずにいるあゆみの背中を押す)ところとか、きれいさっぱり忘れたような顔をして、入れ違いのしろちゃんに「公史郎、今度イチゴパフェおごれよ」なんて手を振ることができてしまうところとか、火賀くんは、重岡くんの言葉を借りるとすれば、もはや「人ではない」。笑

でも、そんな火賀くんがドラマ版では、見事なまでに、クールなしろちゃんとは対照的な、好きな女の子のそばで、彼女を振り向かせたいという情熱に燃える男の子になっているんですよ!!見たか、重岡大毅の圧倒的当て馬力!!!笑 最後のシーンも、火賀くんが男らしく自分から負けを認めて、好きな女の子に我慢をさせない気遣いを見せている、すごく好きな場面になりました。ドラマ版にしかない火賀くんの涙や、あゆみに傘を預けて雨に濡れながら去っていく演出も、ストーリー展開や場面にすごく合っていて、贔屓目かもしれないけどそれは重岡くんが演るから活きたんだと思える。「やっぱり私はどちらとも付き合えない」と俯く女の子に「気ぃつかうなよ」と笑ってみせ、涙をこらえる彼女に傘を託したまま、カバンで頭をかばうようにして小雨の中を駆けて去る重岡くん(火賀くん)、起こっている全てのことが当て馬的に完璧かよ!という感じで最高でした。本当に最高すぎました。

当て馬を演らせれば天下一品っていうくらい似合うし、そのことについてインタビューされたときには「個人的にも恵まれない恋をしている役のほうが好きです(笑)。」「この子を守れるのは俺しかおらんと思って演じてましたからね。」なんていう、とんでもないことを飄々と語れてしまう重岡大毅、まじで只者ではない。笑 「誰か今すぐ重岡くんに“宇宙一最高な当て馬”の称号を与えてくれ!!!!!!」ってなる。笑

どこかダサくてかっこ悪いのに、熱くて真っ直ぐで、飾らずに感情を剥き出しにすることで、誰からも愛される。そんな重岡くんそのもののようなカッコいいキャラクター設定で、限りなく重岡くんに近いキャラクターなのに、完全にそれは重岡くんではなくて、その物語の中で、自分ではなく周りの誰かを輝かせる一助となるだけの存在。1番好きな女の子からの愛が受けられない、という切なさに目頭を熱くしながらも、その眼光はしたたかに未来を見つめ続け、最終的にその子のために全力で背中を押してしまうという、青年らしいいじらしさと強さを垣間見る。その生き様は物語の光になり、一筋の涙となり、爽快な風穴となり、青春がさらに加速する。これからも重岡くんに、当て馬役、来るかなぁ、めっちゃ来てほしいなぁ、重岡くんの当て馬、もっと見たいなあ。そのときはまた、皆で泣き腫らそうぜ。

アディオス

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