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Tさんの救済

後輩のTさんが退職するための手続きが終わろうとしている。ぐるぐると考えてしまって眠れない。
事の発端は、私の元所属部署Aである。
私は初めての異動で、Aに配属された。社会人になって2回目の「新しい職場・人間関係になじむ」という行為。ずっと緊張し続けていた私は、異動して1ヶ月後、扁桃腺を腫らし高熱を出した。忙しい部署ではあったが、職員の人柄はよく、「そんなに緊張しなくても、取って食べたりしないから」と、良く迎え入れてくれた。とりわけボスが素晴らしい方で、「○○さん(私)のことは私が育てるからね」と最初に言ってくれたのを覚えている。私の日頃の仕事姿をよく見ていてくれていて、「さっきは、ちょっと前のめりになりすぎてた気がする」とさりげなくアドバイスをくれた。繁忙期の月末は、ほぼ必ず、近くのコンビニでジュースやラテを買ってきて選ばせてくれた。シュークリームが付く日もあった。「○○ちゃん(私)らしく、前向きにね。良いところたくさんあるから。」皆がいつもニコニコして、仲良く、楽しい職場であった。

しかしそのボスが異動することになった。新しいボスは真逆の人だった。着任した次の日から職場内の断捨離を始め、気に入らないレイアウトを全とっかえした。「○○さん(私)、私は腰が痛いからできないけど、これを全部2階へ運んで」と大量の段ボールを指さされたのが最初の記憶である。部下とのコミュニケーションをほとんど取らず、上役にだけ媚びへつらい、チームワークも何もない人だった。
前の環境とのギャップもあったのかもしれないが、私にとってかなりつらかった。胃が圧迫される感じがして食べる量が減り、5キロ以上痩せた。ただ脳死で体を無理やり動かして働いている日々だった。職場の内部通告制度を利用して相談し、部署内全員の面談もしてもらった。「まぁ、よくあること。ああいうボスもいる。」そう言われた。何も変わらなくて孤独だった。八つ当たりしていた家族との関係も拗れた。もう辞めようと思っていたそのとき、「部署Bへの異動が決まりました」とボスから告げられた。
「へ?」というようなマヌケな返事をした。嬉しいはずなのに感情が出てこなかった。ただ、事実だけを認識していた。その日から仕事の引き継ぎと異動準備が始まった。これで開放されると思う暇なく、ボスは特段の指示もなく仕事を押し付けてきたり、私が確認したことを覚えておらずトラブルになったりと、最後まで精神的圧力をかけてきた。最終日、トラブルの最中であったため、夕礼での挨拶を求められ、みんなの前で、泣いた。こんな自分が不甲斐ない、と。異動が決まり、少しでも成長した姿を最後に見せられたらと努力したつもりでいたが、できなかったと言いながら泣いた。そして、トラブル対応でその日は3時間残業した。
その後泣きながら帰った。もうあんなところ、二度と行きたくない。もういやだ。わんわん泣いて気づいたが、泣くのも久しぶりだった。

私が部署Bに異動する代わりに、部署Bにいる後輩Tさんが部署Aに異動することになっていた。Tさんは一度だけAにヘルプで来ていたことがあり、面識はあった。やけに私に懐いていて、「“交換留学”、楽しみですね!」と声をかけてご飯を誘ってきた。
部署を交換するように異動するため、後輩が勝手に名付けていた。変わった子だった。しかし、その明るさが眩しく、フレッシュで、話していて久々に笑った。笑うと、頬の筋肉が固くなるのが分かる。ああ、いつぶりだろう。頬の筋肉が筋肉痛になりそうだった。同時に、この子を、この子の精神を、私は絶対に守らねばならないと誓った。

部署Bは人数が多く、人間関係も良好で、コミュニケーションも活発だった。大人数で仕事をするためにコミュニケーションが仕組み化されており、素晴らしい上司がたくさんいた。若手も多かったため、異動先Bの環境に慣れていくにつれ、次第に私にも笑顔が増えていった。これまでの気分の落ち込みや無気力、自分が仕事に思った以上に集中できなくなっていることへ違和感を覚え、精神科に通ったりした。それだけ客観視する余裕ができたということだと思う。結局、若干のADHD傾向があり、部署A時代の状態はうつ手前だったのかもしれない、と気づいた。

Tさんのことは定期的に食事に誘い続けた。最初は自分が部署Aのボスについて、いい気持ちではないことを伝えないほうがよいと思い、やんわりぼかしながら話し相手に徹していた。私からマイナスイメージを与えれば、Tさんが部署Aで働くことを苦しく感じるかもしれないと思ったからだ。私は元職員であるが、Tさんは当事者であるため、そこはイーブンでなくてはならない。
Tさんは真面目で大人しいが、人柄も少し変わっていて動作がぎこちなく、遠慮がちで奢られるのを嫌い、私が聞き体勢になればハキハキよく喋ってくれる良い子だった。その性格の明るいぎこちなさが、自分とよく似ているように感じて、ますます安心させてあげたくなった。私は次第にTさんから「先生」と呼ばれるようになり、ご飯に誘うとすごく喜んでくれた(ご飯に誘って喜んでくれるのは最初からであるが)。Tさんは上のきょうだいが多いこともあり、妹気質な子だった。

そんなとき、部署Aから部署Bにヘルプ要請があった。Bは職場人数が多いため、派遣に応じる必要があるとの説明を受け、元職員である私がヘルプ要員に選ばれた。
ほぼトラウマといっていいほどの職場へ、また行かなければならない。心臓がばくばくした。ヘルプから帰ったその日、部署Bの直属の上司に、これまでのことを軽く話した。B側の上司にかけあってもらったり、B内で相談してはもらったが、ヘルプ要員は私で変わらなかった。そこから継続的に、隔日のような高頻度でヘルプへ駆り出されるようになった。
ヘルプのたびに足がすくんで暗い気持ちになったが、部署Aに顔を出したときにTさんが必ず飛び上がって喜んでくれた。いつも「今日、○○さん来ると思って、朝からはりきってました!」とニコニコしていた。私が気にかけていることで、こんなに心を開いてくれているのは、純粋にうれしかった。

その時期、部署Bの内部異動などチラホラあったため、Bの雰囲気も変わってきた。成果重視となって風向きが厳しくなり、私も余裕がなくなってきて、なかなかTさんをご飯に誘えなくなった。ヘルプ期間も終わり、Tさんと連絡を取らない時期が続いた。
ふと思い出して(最近、どう?)とメッセージを送っても、(うーん。。。)という曖昧な返事がくることが増えた。それから約半年後、前から話していた“夢”を目指して資格を取るために、退職したいと思っていることを伝えてくれた。

労基や法律に詳しい友人にアドバイスをもらい、手続きや伝え方のポイントをできる限り情報提供した。有給消化を拒まれそうになっていると聞き、突破口を一緒に探した。退勤後、メッセージで話していると電話がかかってきたことがある。15分ほど話を聞いてあげた。「共感してもらえて嬉しいです、本当に助かります。ありがたいです」Tさんは言った。

そして昨日、「揉めはしましたが有給消化できそうです」と定期ミーティングにて報告を受けた。
定期的にご飯に行っているとさすがに話題も尽きてくるし、Tさんが退職する意思を固めた頃あたりからは特に、職場(部署A)の愚痴への共感のついでに、自分が職員だったときのことを少しずつ話すようになっていた。そして昨日、初めて、「私も部署Aで働いていて、本当につらかった。同じ立場になる子のことは、絶対に守らなきゃいけないって思ったの」と種明かしをした。「先輩は本当に面倒見がいいんですね」帰り際にそう言われた。

確かに私は誰かのために何かをしたいと思う気持ちが強い方である。しかし、Tさんと食事に行って色々と会話をして、Tさんから絶対的信頼と尊敬を受けることは、私の自尊心にもいい影響だったと思うし、話をニコニコしながら聞いてくれる時間は楽しくて、Tさんのためだけにやっていることではなかった。Tさんは私が話した話を、仕事中に関連物を見つけると思い出してニヤけているそうである。ストレスが多く退職間際の職場にて、ニヤけを提供できたことに手応えを感じた。

人間、相性というものがあるし、私とTさんはたまたま波長が合って、私のタイミングとも合っていたというだけで、特段私が実力があるとか、器用だとか、面倒見が良いとかではないと思う。
“守らなければ”
そう誓っていたが、退職目前、私はTさんを救えているのだろうかとふと考えていたら、逆に、救われているのは私なのかもしれないと思い当たった。

部署Aで苦手なボスと働いて感情を失っていたとき、気さくに話しかけて笑わせてくれたり。何を言っても興味を持って聞いてくれ、褒めてくれ、常に尊敬の気持ちを示してくれたり。ヘルプへ向かう足がすくむ私を、一目見つけて悲鳴をあげて喜んでくれたときには、どんなに助かったことか。

Tさんは部署Aを去る。結局、苦手なボスに一矢報いることができたのかどうか、わからないし、Tさんが退職することは彼女にとって良い選択なのか、わからない。でも私はよくやったと思う。後輩とコミュニケーション取ったこともなく、同じ職場の人と懇親会以外で個人的に会ったことすらない中、手探りで先輩風を吹かせていた。それにしては楽しくやれたと思う。

Tさんも救われないといけないし、私も救われないといけない。Tさんが救われていたのだとしたら、私も救われているなと思った。救いたい、という思いは、救われたい、の裏返しではなかったか。

ぐるぐると考えて何が言いたいのか分からなくなってきた。とにかく、Tさんの未来に幸多からんことを祈る。

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