きみのためのバラ

「きみのためのバラ」読後感

久しぶりの読書。中学のとき以来だから10年ぶりとか。当時は図書館で、本を欲望の赴くまま好きなだけ借りるのがとても好きで、計画性もなく1週間に7冊も8冊も借りて、通学カバンに入りきらなくなった本たちを見た友人らには、「読書が好きな子」認定をされていました。1日に1冊読み終えることなんて滅多にないから、ほとんど読まずに返却期限を迎えていました。計画性の無さは10年前から変わらないんだな。私は読書が好きなのではなく、欲望のままに何をしても許されている、そういう”自由”を愛して、甘んじていたかったんだと思う。

やっぱり本を読むっていいなと思いました。相変わらず斜めに読むことしかできないし、読んだ本のあらすじとか要点とか聞かれても雰囲気で読み過ごしているから返事に困ってしまうけど、読書をして穏やかな気持ちになっている自分のことは、純粋にとても好きだと感じました。液晶画面と常に隣り合う生活からの逃亡。静寂と活字の世界。

池澤夏樹という人の本を読むのは初めてでした。読む前は名前も知らなかった。人に勧められて読み始めたのだけれど、久々の読書でも短編集だから読みやすかった。

平成22年9月1日発行、平成30年6月に文庫化。
表紙のデザインは青いバラだけど、作中に出てくる「バラ」は黄色。何故。でもきっと、表紙が黄色いバラのアップ写真なら、私はこの本を手に取ってないと思う。

解説を読んで、この短編集は出会いと別れをテーマにしているらしいと知りました。遠りすがりの出会いのような、もう二度と会うことがないと分かっている上での、密度の濃い短時間のコミュニケーション。

あまりにも他愛なくてすぐに忘れてしまう、けれど非日常で、ふとした瞬間に思い出して、特別な感情に包まれるような記憶。そういう記憶のことが、池澤さんの小説には散りばめられていたような気がします。

「きみのためのバラ」は8つの短編小説からなる作品なんですが、フランスやアメリカなど、異国にまつわる話が多かったイメージ。確かに日本人が書いた日本の小説なんだけど、舞台が海外って感じ。唯一日本が舞台の「連夜」は8つのうちで最も性描写が多かった作品かなと思うのですがとても良かったです。でも沖縄の話だし琉球って純日本でもないかな。そんなことを言っていたら沖縄の一部の人に怒られそう。最終的にとてもロマンチックなストーリーなのですが、こういう、いわゆるセックスが登場する小説の深みとか味わいとかを、上品に感じられるようになったことは大人になってよかったことの1つかなと思うことがあります。続く「レシタションのはじまり」も星新一のような(?)独特な世界観があって不思議だった。

本を久々に読んでやっぱり思うのですが、例えば、ふと空港で飛行機を待っているときに何気なく目に入った親子の様子とか、何でもない朝の通勤時に何故かフラッシュバックしてきたこととか、本当にとりとめもない、ありきたりだけどそのときにしかない感覚ってあるじゃないですか。そういうのを文字にして閉じ込めて、読者に”あのとき”を再体験させる「小説」のそういう要素、すごくいいなと思う。解説の鴻巣友季子という人が言っているのですが、小説にも出てくるんだけど人には無人の森の木になりたくなるときがあって、「そう、無人の森の囁きを人に聴かせるのが小説ではなかったか。」と。表現の仕方は違えど、解説の人と同じような感想持ったのはなんか嬉しい。好調な滑り出しで読書していけそうです。

読んでいて生きている感覚がするのはそういうとこなんだろうな。小説たるものの醍醐味を感じられる、良い1冊を読めてよかった。

次は、平野啓一郎「マチネの終わりに」を読む予定です。

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