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人気イマイチ指揮者の技と神髄FILE.1 アンドルー・デイヴィス Part.3


7.アンドルーはまろやかに癒す

英国のフィルハーモニア管弦楽団と録音した、フォーレ作曲の《レクイエム》も素敵な演奏である。

私など、例えば連休の谷間で、
さあたくさん原稿を書くぞと意気込んで机に向かっても、なんか気怠くなってやる気が出ない時がある。
それならもうフォーレでも聴いて猛烈にリラックスしてやろうと思っていると、
チョイスしたCDが、妙に力こぶが入っていて自分のテンションに合わなかったりする。

昔から名盤として定評があるアンドレ・クリュイタンス指揮とか、チョン・ミュンフン指揮とか、
いやフォーレはそれじゃないんだよ、メリハリとかいらないんだよなーと思ってしまう。

逆に、これも昔から名盤とされているミシェル・コルボの演奏などは、口溶けがなめらか過ぎて、もはや溶けてしまっている。
ちょっと聴くだけならふんわり癒されていいが、残響過多で細かい音が埋もれてしまってもどかしい。

そこでA・デイヴィスの出番である。
彼は淡い色彩感や柔らかさを残しつつも、
あくまで冴え冴えとした筆致で音楽の輪郭をくっきりと切り出す。
こんなエアリーで幽幻的な音楽でも、
ディティールをぼかしてしまう事がなく、
明快さとファジーさの加減が絶妙だ。

ちょっとテンポに落ち着かない箇所があったり、歌手に問題があったり、
必ずしも完璧な仕上がりではないが、
全方向に曲の美しさがよく出ていて秀逸な一枚である。

R・シュトラウスの《英雄の生涯》とストラヴィンスキーの《春の祭典》。演奏はトロント交響楽団。

8.まだまだあるA・デイヴィスの名演奏

A・デイヴィスの録音には、その曲のベスト・チョイスでも王道の一枚でもないが、
私が個人的に偏愛しているディスクが幾つかある。

いずれもトロント響との録音で、
ビゼーの《アルルの女》組曲、
シベリウスの交響曲第2番、
ホルストの組曲《惑星》、
それから、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《春の祭典》。

どれも激烈に演奏されやすい曲だが、
サー・アンドルーの指揮は概して自然体で、
むしろ爽やかと言えるほど明朗で親しみやすい。
筆使いが優しくて、感情表現も素直。
肩の力が抜けた等身大の語り口で、聴き手の疲弊した心にそっと寄り添ってくれる。

《アルルの女》は木管セクションが何とも素敵で、フルートとオーボエがユニゾンで歌う所など、雅致に溢れた優美な音色にうっとりとさせられる。

また、上記には挙げていないが、
チャイコフスキーのバレエ音楽《くるみ割り人形》全曲盤、第1幕の《雪のワルツ》で少年コーラスが入ってくる場面も、
ファンタジックな詩情が切々と胸に沁みる。

トロント響との演奏で際立っているのは、
カラフルな色彩感。
発色が鮮やかなのにどぎつくならない、
メロウなタッチとモダンなセンス。
カラヤンの演奏が劇画だとしたら、
A・デイヴィスのはポップなイラストレーションという感じ。

彼の若い頃の演奏に、ある種の激しさが不足しているのは確かである。
この私でさえ、まだ若手なのに脱力しすぎじゃないかと感じないでもない。

前述『新世代の8人の指揮者』の内、
この企画で取り上げるA・デイヴィスとエド・デ・ワールト以外の人たちには、
はっきりと共通する特質がある。

その6人、
クラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティ、小澤征爾、ジェイムズ・レヴァイン、
ズービン・メータ、ダニエル・バレンボイムの若手時代の録音は、
どれも異様なほどエネルギッシュで、
憑かれたような勢いに溢れているのだ。

これらの演奏を聴いていると、
マスターテープを1.2倍速くらいに早回ししてるんじゃないかと思うほどである。
しかしそんな彼らも80年代以降、
妙に達観して大人しくなったり、落ち着き払ってスマートな洗練に向かったり、
あからさまに覇気のない演奏をしてみたり、
何かと失速も目立つ(当人にとっては失速ではなく成熟であるわけだが)。

それに比して、A・デイヴィスとデ・ワールトは着実に円熟味を増し、
演奏に力強さと恰幅の良さがぐんぐん加わって進境著しい。
特にアンドルーは90年代以降、
優秀なオケと多くのレコーディングを行って、相乗効果でめきめき成長している。

A・デイヴィスは組曲《惑星》を、
トロント盤の7年後にBBC響と、
さらにその17年後にBBCフィルハーモニックと再録音している。

オケの技術も、力強さや安定感も再録盤の方に軍配が上がり、一般的な意味合いでは、当然それらをお薦めするべきだろう。
ただ、アンドルーの個性が最もよく出ているのは、最初のトロント盤であったりする。
曲や演奏がお気に召した方は、ぜひ聴き較べをして楽しんでいただきたいと思う。

また、オペラの映像ソフトでは、
チャイコフスキーの歌劇《エフゲニー・オネーギン》が圧倒的に良い。
グラインドボーン音楽祭のライヴ映像で、
演目自体もオペラ初心者にはお勧めだし、
アンドルーの指揮も見られるし、
何より演奏が素晴らしく、舞台演出も悪くない。

ホルスト《惑星》のCD、新旧録音3種類。どれもイイよ!

9.アンドルー・デイヴィスのお薦めディスク

◎ヤナーチェク/交響詩《タラス・ブーリバ》、組曲《利口な女狐の物語》
 トロント交響楽団 (CBS、77年録音)
 *日本盤はLPのみ発売。海外では《タラス・ブーリバ》のみ、他の指揮者とのオムニバス盤でCD化。

◎フォーレ/レクイエム、パヴァーヌ
 フィルハーモニア管弦楽団 (CBS、77年録音)

◎ホルスト/組曲《惑星》
 トロント交響楽団 (EMI、86年録音) *国内盤は中古市場でも入手困難。
 BBC交響楽団 (テルデック、93年録音)
 BBCフィルハーモニック (シャンドス、10年録音) *海外盤のみの発売

◎チャイコフスキー/歌劇《エフゲニー・オネーギン》全曲
 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 (グラインドボーン音楽祭94年公演、ワーナー、DVD)

10.アンドルー・デイヴィスのプロフィール


1944年、イングランドのハートフォードシャー州アシュリッジ生まれ。
ケンブリッジのキングス・カレッジでオルガンを習い、卒業後の67年~68年、
イタリア政府の給費留学生としてローマ、サンタ・チェチーリア音楽院でフランコ・フェラーラの元、指揮の研鑽を積む。

同時期にアカデミー室内管のチェンバロ奏者としても活躍。
70年、急病のエリアフ・インバルの代役としてBBC響でヤナーチェクの《グラゴル・ミサ》他の大作を指揮して成功を収め、その才能が注目される。

74年、デトロイト響を振ってアメリカ・デビューを飾り、ニューヨーク・フィルへの登場でも評価を高める。
同年、カレル・アンチェルの後任としてトロント響の音楽監督に就任し、
その間も欧米各地のオケに客演。

73年にR・シュトラウスの歌劇《カプリッチョ》を振ってグラインドボーン音楽祭でオペラ・デビュー。
79年にベルリン・フィル、81年にメトロポリタン歌劇場にデビュー。

89年にBBC響の首席指揮者に就任。
ロンドン名物の音楽祭プロムスにも常連で参加し、91年にはオープニング、100周年記念の94年にはラスト・ナイトの指揮も受け持ち、英国音楽界の顔として人気を高める。

 1973年~75年 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 準指揮者
 1975年~77年 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団 首席客演指揮者
 1975年~88年 トロント交響楽団 音楽監督 (後に桂冠指揮者)
 1988年~00年 グラインドボーン音楽祭 音楽監督
 1991年~04年 BBC交響楽団 首席指揮者 (後に桂冠指揮者)
 1995年~98年 ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団 首席客演指揮者
 2000年~21年 シカゴ・リリック・オペラ 音楽監督
 2013年~19年 メルボルン交響楽団 首席指揮者

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。


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