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あくまでアマチュア書評集 “ワケあって未購入です” #3 『墓地を見おろす家』 小池真理子 (1988年、角川書店)

*『はじめに』で書いておくべきでしたが、このコーナーではストーリーの内容に触れる事が多いので、若干ネタバレ気味の著述を含む事があります。たとえ一部分でもネタバレは御法度、という方はご注意下さい。

今回も初めて読む作家なので、図書館で借りてお試し。エッセイや恋愛物の印象が強い一方、実はホラーの分野でも定評のある人である。本書は我が国のモダンホラーの先駆けとして高く評価されていて、名作だとする人も多い様子。

『リング』をはじめとするニューウェイヴや実話怪談系が登場する前の時代で、その時点での王道の姿勢として、スティーヴン・キングの影響がかなり強い。そもそも小池氏は、ホラーに限らず海外文学への傾倒を表明しているので、それは当然の事なのかもしれない。本書が秀逸なのは、キング作品を表面的に真似るのではなく、その手法を日本に応用している点である。

日本の現代小説、特にホラーは、テーマとその周辺のみに描写を絞り込みがちである。本筋以外の事柄は、ほとんど描き込まない。それは、閉鎖的な恐怖に集中するには効果的な一方、文学的な広がりを欠くという事でもある。小池氏は、例え本題から外れてでも視覚的、心理的なディティールを豊穣に描き込む。それによって本書は純文学的な価値を獲得しているし、文章力も描写力も傑出していて素晴らしい。

問題は、設定とプロットである。これはもう問題どころか、大問題である。小池氏が題材をどう扱っているか、細かく見ていこう。

まず、お寺と墓地への偏見がものすごい。お墓に眠る死者たちを、生者とみれば見さかいなく襲いかかる、危険極まりないモンスターとして描いている。思わず著者の両肩をつかみ、極力穏やかな声で「小池さん、あなたのご先祖様もお墓に眠っているし、いつかはあなた自身も入るんですよ」と説得したくなる。

そもそも彼らの目的が不明だ。墓地に面したマンションが舞台であるが、住人に出ていって欲しいのか、引き止めておきたいのかよく分からないし、なぜ主人公の一家だけがしつこく狙われるのかも、最後まで説明されない。それにこの死者たちはなんと、遠く離れた場所の人間にまで危害を及ぼす。そんな万能の力を持っているなら、どこにでも出かけていって何でもできる訳で、それならこのマンションが心霊スポットである必然性など全くない訳だ。一家を閉じ込める必要もない。自己矛盾である。

本書の前半は、まるでパロディかと思うほど、幽霊屋敷物の定型パターンを忠実になぞる。ペットの死からはじまり、最初は小出しの怪奇現象、おかしな事を言い始める子供、地元住民から耳に入る噂、現実主義の夫による無理解。「この本、どこかで読んだっけ?」と思いつつも、定番の展開であるからして筋は一応通っている。問題は後半である。

一家が引っ越しを検討しはじめた辺りから、本書は荒唐無稽なパニック物と化す。こうなるともう謎の大量殺人であり、事件としてニュースにならざるをえないし、それによって世界の常識が変わるほどの科学的パラダイム・シフトが起こるだろう。

私のようなホラー・ファンにしてみれば、この時点で世界観が崩壊したという事である。それは見方を変えれば、読者に対する著者の裏切りでもある。「せっかくリアリズムを信じてついて来たのに、著者自身があきらめるなんて」というわけだ。かくして村上春樹氏がよく口にする「作者と読者の間の信頼関係」は、あえなく反古にされてしまう。

あくまで怪奇現象は、世界を揺るがす大事件であってはならないのである。この設定で行くなら、ファンタジーかSFの枠組みを用いないと作品世界が成立しない。『リング』の成功は、あくまで例外である。表面上はあくまで変死であって殺人ではない事、ビデオテープというごく日常的なアイテムを媒介する事で、あの話はリアリズムの物語空間に成立しているのである。だからこそ、続編『らせん』のトリッキーな転換に、ホラー側のファンはがっかりしたのだ。

幼い娘に語りかける目に見えない存在や、夫の夢枕に立つ前妻、建設が予定されていた地下街など、いかにも伏線となりそうなエピソードも散りばめられているが、これらは全くといっていいほど回収されない。恐らく小池氏は、ミステリ系の資質を持つ作家ではないのだろう。

それにしても本書の一家は、問題となる墓地を有するお寺に一度も相談に行かないし、お札や盛り塩はもちろん、霊能者なんて論外という雰囲気である。しかもここまで切羽詰まっていながら、引っ越しの当日まで幽霊マンションで暮らしている。まったく迂闊にもほどがあるが、80年代後半って、そこまで危機管理の概念も、怪奇現象にまつわる知識も無い時代だったろうか?(私の記憶では決してそんな事なかったような…)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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