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最後の授業

『先生さ、絢未が広島から来てびっくりしたと思うよ』
大学時代の友人からの言葉。

帰りの新幹線、最後に音楽をなぜ取り組むのか教えてもらって、授業みたいだったね。来れてよかったね。とLINEで会話しながら。

私も友人も、レッスンでもらった言葉を覚えていて、内容の驚きや感動のエピソードをお互い話していた。
友人は「会えなくなって寂しい時は、こうして思い出して話そう」と、そして、「素敵な金縛り」って映画知ってる?観て欲しいなと続けた。

その「素敵な金縛り」今観ていたところ。

昨年末の忘れられない体験を思い出した。
音楽表現に最も影響をもらって、敬愛していたパイプオルガンの先生が亡くなったとの突然の連絡。
場所は東京の教会。私は広島にいるけど、なんとかして行きたいと友人たちに伝えた。
次の日連絡が来て、告別式は5日後。
偶然にも私は休みの日だということ、場所は祖父の家の近くだということもありすぐに向かうことができた。

突然のことでショックなのとともに、悲しかったのは、私はいつか先生のコンサートに行って、今の先生の音楽表現を聴いて、私の取り組みもお話したかったから。
それが目標のひとつとなっていたのに叶わないことになってしまった。

しかし、告別式のミサの中で、大切なことをたくさん教えていただいた。
奥様が伝えてくださった、弟子たちに残していた言葉や、私たちが知らなかった音楽人生。

オルガニストとして深く学ぶために、洗礼を受け、教会のオルガニストとなった先生なので、お別れのミサは音楽に溢れていた。
オルガニストとして活躍されている先輩たちが、賛美歌や先生が尊敬していたバッハのコラールを弾いてくださって、それが、みんなの心を本当に癒していた。
改めて、和声の美しさ!
そして美しい音楽は悲しみだけではない、やさしい空気を作っていた。
泣かないようにしていたけど、神様のために作られたこれらの教会音楽が流れた時、魔法のように気持ちがほぐされ素直な気持ちが溢れた。その瞬間の感覚をずっと覚えている。

最後の最後に、音楽の本質を教わった気がした。
そこで静かに目を閉じながら、ご自身が人生かけてやってきたことを惜しみなく表してくれているようだった。
私は「音楽から逃げません」と言って、先生の上にお花を置いた。

自分が演奏する時、それを忘れないように教会で指輪を買った。
右の薬指につけたのは、レッスンの時使い方をアドバイスしていただいた指だから。
直接お話できなかった、今の私の音楽、聴いていてもらえたら、嬉しいなと思う。そして、下手な演奏はできないなと、背筋がのびる。


先生が残してくれた言葉
「お弟子さんたちには…」言葉が続いた。
「音楽はただ楽しむだけではなく、生きることに必要なミッションだと思って取り組むように」と。


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