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幸福感とは①

もともと、両親を相次いで見送った私が
人生の終末期を間近で経験し、この際ふとよぎったエリクソンの第8段階「統合 対 絶望」といった概念にこだわって
「統合」とは何だろう。
「統合と絶望」なんて、人生の締めくくりに両極しかないのはおかしい。
ならば、「統合」するにはどうすればいいのだろう。
といった疑問から始まった院生生活。

そこから派生した「幸福感」というキーワード。
またそこから「ウェルビーイング」につながり
今は「成人期のアイデンティティ」にも足を突っ込み始めている。

そもそも、エリクソンはアイデンティティの研究者なので
私の研究テーマも一周回って帰ってきた感じだが
やはり
「幸福感」「ウェルビーイング」「アイデンティティ」は全てつながっていて
切っては切れない概念だと思う。

つまり、「幸福感」はあくまでも主観的なものだが
「ウェルビーイング」は主観的なもの、心理的なものと大別することができるより広義な概念で
それらを感じる私がここにいる(→アイデンティティ)

といった具合に。

なので、私が当初考えていたような
「幸福感」と「情緒的豊かさ」といった
一面的なことではなくて
より多元的な、奥行のある動的な概念

…と書けば、かなり小難しくなってしまうが

要は、実態のないものではなくて
3次元的な、動きのある、ある程度実態を伴ったものだと捉え始めている。

つまり、実態があるということは
自分でどうにかできるもの。
つくりだせるものではないのだろうか。

ちなみに、「情緒的豊かさ」に関しては
私の身近な何人かは
「自分は全く持っていないが、今後それを欲しいとは思わない。そもそも必要ない。必要なのは、安全で保証された生活のみ」などとバッサリ言い切った。

私が素敵だと感じた、明るく豊かにみえた高齢者も
必ずしも万人がなりたいロールモデルとは言いきれないらしい。

とりあえず、②へつづく