とりあえず、日本風に置き換える
食の欧米化が、日本人にこれまでにはない生活習慣病を及ぼす。というのは、だいぶ以前から言われている。
例えば代表的なのが牛乳。
アジア人やアフリカ人には、もともとこれを分解する酵素が備わっていないとか。
昨今流行りの「地産地消」には、やはりちゃんとした意味があり
もともとその土地で育ち、長い年月をかけ、遺伝子的にも組み込まれ馴染んできたものは
やはりその土地で育った人間の身体にも一番馴染むそうだ。
同様に、文化、宗教観、その他もろもろの感覚も
その土地に根付くというか
脈々と受け継がれてきたもの
遺伝子に組み込まれてきたようなものがあると思う。
いわゆる、風土思想だ。
例えば大阪にいけば、トークにはオチをつけるのがマストだったり
広島にいけば、天気の話に代わり、前日のカープ戦を語る、といった具合に。
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そういったことも踏まえ
ジョージEヴァイラントのAgingWellを日本風に置き換えて研究ようとしている。
が、書籍を読み進めていくうちに、終盤になって
やはり、日本人の感覚とは決定的に異なるところが目についた。
そもそも
「情緒的豊かさ」の捉え方一つについて
我々日本人は、どうしても自然を慈しむ感覚とか
血縁関係にあるもの同士での愛情だとか
自分の身の回りにあるものを大切にしようという感性を持っているように思う。
対して、ヴァイラントの研究では
年をとって、古くからの友人が亡くなってからの新しいコミュニティとか
ずっと続いている友人とか
70を過ぎてからの夫婦生活の回数とか
子どもから何を学んだかを語れるか、など
それらをもって「情緒的豊かさ」としており
着眼点が日本人のそれと
ちょっとずつずれている気がする。
先に述べた風土思想ではないけれど
「情緒」という言葉一つをとっても(そもそも言葉を翻訳する段階からムリがあるのかも)
アメリカ版のそれを消化する酵素を、日本人は持ち合わせていないのかもしれない。
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現在私は、CDAを学んでいる。
そしてこれも、思い切りアメリカからやって来たものだ。
CDA、キャリア・ディベロプメント・アドバイザーだ。
これって、日本人の風土に馴染むのかな。
改めて思い返す。
生涯教育の一環として、CDAに即したものも研究に取り入れたいと思っている。
CDAが日本の風土のどこに呼応するのだろうか。
日本に古くからあった方法論に、類似したものはあるのか。
見つかり次第、追って記してゆきたいと思う。