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三浦春馬

わたしにとって『三浦春馬』と云う人は、TVの中のひと。普通に好きな俳優さんでドラマや番組の選考基準になる選択肢のひとつ。彼が出るから観よう!とか…面白そうだし春馬くんも出るんだね!なら録画して観ても良いかな?って何を見ようかなぁ~を選ばせてくれる沢山居る好きな俳優さん女優さんのお気に入りのひとり…でした。
そんなわたしが、彼の死を知ったからと言ってこんなにショックを受けるとはそれこそ想定外でした。この年齢まで生きてくれば、それなりに好きな役者さんが亡くなったりして寂しい想いをしたりした事も何度でもあります。だからと言っても彼の様に自分の生活の大部分を占める様に…まるで思い詰めた様になるなんて経験は初めてです。
一体何が違う?彼と同じ別れだった人だって居ましたし、それこそ偶然にもデビュー前からのお気に入りの彼氏感たっぷりに追っていた人もいました。雑誌を切り抜いて下敷きに挟んだり(笑)雑誌の付録のポスターを部屋の天井に貼って寝ながら見て満足したり。レコードを買って、歌番組を見て…田舎暮らしだからコンサートまでは行ったりする程には難しかったし、そんな人は特別なファンだと思っていた奥手なファンでした(笑)そう思ってたら妹は違っていました!なんとファンクラブにも入り毎年コンサートにも出掛けて、小さな息子を連れて親友とドームコンサートまで行ったんです!わたしにとっての特別なファンがここに居るよ👀と妹のアクティブさに驚きました。どんなに好きでもファンクラブに入る人は特別だと思っていたから(笑)姉妹でもこんなに違うのか?田舎は言い訳だな!と気付かされましたが、わたしにはわたしの応援の仕方があるから好きは変わらないと思っていました。その人が突然居なくなるまでは…「いい感じに年齢を重ねて、良い役者になったなぁ~」と思いながら近年を見て来ていたから。それこそ20年近く好きだった人だからショックでした…自分の青春時代そのものだったから。でもその頃は子育ての真っ最中でショックが大きくても子どもと仕事で手一杯だったし、今のようにネットが普及している訳では無いからそこまで依存して検索する事は無かった。雑誌やワイドショーを見るくらい。彼と何が違う?好きだけど追っかけていた訳でもないのに?多分ネットが原因だと思います。スマホ片手に色んな情報を検索し、自分が知らない作品や出来事を調べまくった…そこで古い記事から現在までをWeb上で追っかけた事によって共に過ごした既視感を覚えてしまったのでは無いのか?と思います。それによって起こされる喪失感に囚われてしまったのでしょう。青春時代を過ごした訳でも無いけれど…それに近い感情を持たされた。しかも彼の人となりを知れば知るほど大好きにならずには居られなかったし。全く知らない訳では無いから余計に知らなかった部分に触れてショックだった。「あぁ、何も見えて無かったなぁ。知って居たかった。」そう後悔した。共に歩まなかった後悔と知らずに過ごした後悔に毎日ネットサーフィンに没頭してしまっていた。ネットだけに満足せずに雑誌も買い続けた。何故か発表当初から起きていた数多の現象に不安を覚えて余計に精神的に不安定だった。マスコミの報道規制なんて後手の極みだったから、今更?みたいな規制がされる頃にはタップリ不安感を植え付けられてしまっていた。ネットニュースに翻弄されてヤフコメの様にコメント欄に書き込みをするようになっていました。そうすると自然に読んでしまうコメント欄には沢山の歪曲された、事実だと主張される事に疲弊していってました。そんな時に偶然Googleドライブにオススメされたnoteへ辿り着いた。その前にもアメブロにも居たけど…何か違和感が在って自分の場所では無いと感じて逃げ出した。居場所が無いと想っていた頃に出会ったのです。読んで…自分の事を非公開で書き綴った時に、わたしが欲しかったモノはここかも知れない?そこから現在があります。一時期とり憑かれた様に書いていた時期もありました。自分の中の何かを出してしまいたくて一晩中書いたこともあった。Twitterにも出入りしてnoteとの違いに苦しんだ事もあった。紆余曲折で今の自分が在る。

「彼だけを見つめて来た彼女たちとは違う」それだけが自分の免罪符だった。自分は違うと認識出来て、深みにはハマって居ないと思っていた。だからこそ発信出来ていた。前向きなアクティブな会話が出来た。そういう発想も十分出来た。自分は冷静だと思い込んだし、そうだと思ってる。
それなのに…昨晩のキンキーブーツ系のソースにヤラれてしまった。悲しみの連鎖に襲われてしまったのだ。このままTwitterに居たらヤバイ!そう思ってコッソリ抜け出した。一晩何とか何とかやり過ごした。自分でも意外なくらいショック受けてる。

『三浦春馬』と云うひとは…魅力的過ぎて抜け出せそうに無い。わたしの三浦春馬史はまだまだ続いて行くようだ。

もうウンザリなくらいな残念過ぎる以上の雑念を押し付けられて押し売りされてしまうけれど…自分をシッカリ持って、自分が好きになった『三浦春馬』を貫き通す。何が真実だとか、何が問題だったのか?そんな事は分かったとしても『三浦春馬』は帰って来ない。戻って来ない。亡くなってさえいないと言う人たちさえ居るが…それなら何故こんな残酷な話しになってしまうのだろう?と問いたい。単純に失踪してしまう方が事務所的には簡単でやり過ごせる話しでは無いだろうか?何か問題が在って逃げ出しました!って本人に全責任を押し付けて、原因は分かりません!こちらも被害者です…的な立場を守れますよね?わざわざ会社が困る立ち位置に持って行くわけ無いじゃないですか( -。-) =3
現状は事実以外のナニモノでも無いのが証明していると思います。だからこれ以上『三浦春馬』が傷付くような事は止めて欲しい。

ただ彼を想い、作品に触れて居たい。

いつになったら静かになるのだろう。

周りの縁の方たちまで巻き込んで

彼との大切な思い出を話す義務も無いのに教えてくれる優しい人たちを踏みにじり傷付ける。

過去のブログやInstagram…Twitterが削除され、取り下げられている事に気付いてるのだろうか?

善意の人たちのブログやInstagramにまで書き込みを続けて、彼らの思い出まで踏み荒らす。

それにより『三浦春馬』の過去が消えていってることにどのくらいの人が気付いている?今は誰かが持っているブックマークによって掘り起こす事が出来るけれど…それは永遠には続かない。

『三浦春馬』が消えて初めて気付くのでは遅すぎるのだ!お願いだから早く気付いて欲しい。

彼の過去を踏みにじり、無くさないで欲しい。

もうじきあの夏がやって来るのに…彼に報告出来る事は無いのか?彼に伝えたい事は無いのだろうか?彼を失なった事実よりも、現在の現状の方がもっとツラい。どうすれば彼を悲しませる人たちは分かってくれるのだろう…


#三浦春馬を想う

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