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ラーメン屋理論

「ラーメン屋は開店から日が経つにつれて味が落ちる」とよく申しますが、え?言わない???俺の地元では言うんだよ。

ご無沙汰しております、秀美おじさんでございます。

冒頭のラーメン屋の話は持論なんですけど、同じ味を維持できるラーメン屋の少ない事少ない事… ラーメン好きとしてはマジで悲しい。店主が変わったりオーナーが変わったり色々あるのかもしれないですが、ずっと同じ味を提供できているラーメン屋があったら是非一報ください。

なんでこんな話をしたのかというと、「この人(モノ、場所、etc,)のここが好き!」って思っていたものが時間の経過とともに失われてしまうことが、とてもとても悲しいなとずっと考えていた過程でラーメン屋マジで残念になること多いなって連想ゲームをした結果です。過度な期待ではないはず、でもこの期待に応えてくれる物事はとても少ないように感じます。

「推しのどこが好き?」って周りの人や推し本人から聞かれることが度々あるんですが、特定の事柄や特徴を挙げてしまうことがとても怖い。だって推しがその特徴を失ったときに拠り所が失われてしまうということになりかねない(必ずしもそうではないが)じゃないですか?あのラーメン屋のスープが好きだったのに、あのスープが飲めない今はもう虚無ですよ。

あの人の顔が好き→整形したらどうする?

あの人の声が好き→事故で声を失ってしまったら?

あの人の演技が好き→年齢を重ねて今と違う演技をするようになったら?

変化をする事を良しとするものだって当然あるけれども、B型なので(要出典)同じものをずっと愛する心が無くならないんです。今と同じものが何年経っても提供されて欲しい。コンビニのおにぎりとかジャンクフード類はそういう意味で好きですね。

悲しい思いをしない一番の方法は変化する前に離れるか、そもそも変化しない事を期待しないかの2択になりますが、どちらも自分には難しい。ので、以前星さんに「私にして欲しくない事ってあります?」と尋ねられた時に「どんな事があっても板の上に立つ事を諦めないでください」と臆面も無く言い放った事があり、なんの権利があってそんな事を言ったのか、あの日の自分を半日説教してやりたい気持ちになる反面、ずっと板の上に立って役者を続けてくれるならば推し続けるという意思表示をしたのだと捉える事もまた可能なのではないかと考えたりします。

正直、今推しを推せなくなったら人生のパートナーがいない自分にとって「それなりに真面目に30台半ばを生きている理由」の大半が消滅してしまうので多分色々なものを放棄してしまうかもなぁと漫然と思う所でもあり、私が平々凡々な人生を歩むかここから奈落へ転落していくかは推しの今後の人生設計に委ねられているという事になります(重い)。

最近はコロナだ自粛だ差別だと巷が煩くて敵いませんが、このタイミングで変化に直面する物や人や団体が多く存在する事でしょう。本当にみんな無理をして変わらずにやり過ごしてもらえないかと願う事しか平々凡々なおじさんには出来ません。ご自愛下さい。


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