教師16日目?

今日は初の在宅勤務。
教材研究が捗る捗る。
朝もゆっくり寝れる。
通勤にかけていた時間が馬鹿らしく感じるな~。
職住近接、良いなぁ。

今日のスケジュール

9:00~13:00 問題演習
13:00~14:00 昼食
14:00~15:00 教材研究
15:00~17:00 フリータイム

人と会わないってのはコロナにかかる心配も少ないし、ストレスフリーだね。
ただ、ずっと続くと誰かと話したくもなるから半々くらいで働きたいな。
何はともあれ、早くコロナが収まって平和な世の中になって欲しいものだね。
何も気にせず生活したいし、生徒と会いたい!

今日はひたすら問題演習と教材研究をしていた1日だったから普段から考えていることを少し。
なぜ教える教科は国・数・英・理・社でないといけないのか?
ここでは特に僕の専門である理科で考えてみたい。

よく、色々な先生が言うのは

・理科を学んで、1人でも研究者になってくれればそこから化学技術などが発展するから社会の為になる。全員に学ばせるのはその1人が出てくる確率を上げるため。(種まき理論と呼ぶ)
・仮説、検証という科学的な思考力を養うため。(思考力理論と呼ぶ)
・社会に出てから新しいことを学ばないといけないからその練習のため。嫌いなことも投げ出さずにやる練習のため。(社会に出る練習理論)

このくらいかな?
どれも僕はしっくり来ない。
実際のところは大学教育から落ちてきて学習内容が決まってるから種まき理論が実態ではあると思うが、それを生徒に言っても納得されないと思う。
僕だったら自分は研究者にならないからもうやらなくても良いかなと思う。

そして、社会に出る練習理論を言う先生がすごく多いと思うけど僕はこの使い古された言葉が嫌いだ。
この理論でいくと、別に理科じゃなくても良いじゃんと思ってしまう。
また、本当にわざわざ嫌なことをやらなければ生きていけない社会なのかな?
もしその社会ならそこを変えていくべきじゃないかな?と感じる。

思考力理論も同じで、じゃあビジネスっていう教科でも仮説、検証出来るからビジネスでも良くね?ってなるよね。
ただ、仮説検証をする習慣をつけることは必要だとは思う。
だからこそ、理科を日常生活と繋いでより実践的にやっていく必要がある。
そして、全員に似非科学に騙されないような知識をつけさせることが理科を全員に教えさせる意味だと思うかな。

そのような教育をやろうと思うと、教材研究や予備実験に時間をかける必要があるし、評価方法がすごく難しい。
教育評価が今だに研究され続けてる理由がここにあると思う。
さらに、入試対策をもっとやって欲しいと保護者から意見が出てくることも避けられないだろう。

様々な事情が複雑に絡み合う現状だけど、1つ1つ変えていくしかないね。

今、高大接続改革が進んでいる。
昨日、大学の入試改革案を見たけど酷いところは酷いね。
何が酷いかと言うと、調査書を点数化して入試に加算する大学がある点だ。
そんなに客観性がないものを入試にしてしまって良いのか?
大学は本来、研究所であって多様な人材が居るべき場所だ。
そこに調査書を含めると、学校生活に適応してきた教師に好かれる人間ばかりが集まる場所になってしまう。
家庭間格差も顕著に現れるだろう。
高大接続改革が1人歩きをして、結局は経済界からの要請を受けて変えられた改悪に感じた。

もちろん、本来の在り方を守っている大学もたくさんあるため高校生にはどんな入試制度を取っているかきちんと調べて進路選択をして欲しい。

終わり!

教師の労働の実態について書いています。 忙しいなかでも投稿する励みになりますので、良ければサポートのほどよろしくお願いします! 一緒に教師を今よりもっと魅力ある職業にしていきましょう。