フリーダムコンボイ

最近、ちょっと世の中の風向きが変わってきたのかなぁ?なんて思ってます。

わたし、ほんとにテレビも新聞も全く見なくなってしまったので、マスメディアが今どんなふうに世の中を煽ってるかってことには詳しくはないんですけど、自分で取り入れている情報源から、「二歳児のマスク着用なんてとんでもない!」と公に言ってくれる小児科の先生だったり、ワクチンの後遺症について取り上げるテレビ局や雑誌、まともな意見をテレビで発言してくれる芸能人がでてきたっていう記事を見て、「やっと出てきてくれたよー!!」と、ちょっとホッとしています。

わたしが、こういった状況の中で一番大切だと思うことは、自分の周りに突然意見を変える人たちがいても、絶対に攻撃しないこと。

例えば…
これからどんどん色んな問題が明るみになっていって、混乱期に入るとして。
前々から自分でしっかり調べて情報を見極めてきた人たちからすれば、
「だから言ったじゃん!」
「そんなこと前からわかってたじゃん!」
「今更なにをっ!」
って気持ちになると思う。
(正直、わたし自身が今現時点で思っちゃってる)

だからといって、これまで自分達をバカにしたり、耳を貸してくれなかった人たちを逆に攻撃してしまったら、ようやく世の中が変わるためにあらわれたほんの小ちゃな芽を潰すことになっちゃう。
その人たちは、せっかく色んなことに気づけたのに、それを攻撃されちゃったら、もう口に出せなくなっちゃう。そしたら、また振り出しに戻っちゃう。

人って自分に都合のいい情報しか見ないし信じないし、今のこのあからさまな言論統制やらプロパガンダがこれでもかって進む中で、物事をニュートラルに考えられる人ってごく僅かだと思います(わたし自身、ニュートラルにはなれてない)。きっと、去年よりは多くの人たちがちょっとの違和感は感じているんじゃないかなって思うけど、それでも、大多数の意見や今あるルールに従うっていう安心感のほうが楽だし心地いいもの。

今、カナダでは、極寒の中ものすごい大規模な「平和的デモ」が行われていて(フリーダムコンボイ)、そこではワクチン接種者、非接種者が一緒になってこれからの自分達の権利を守るために国と戦っています。
それを政府はあの手この手で必死にやめさせようとしてるわけだけど、そんなのには屈しない覚悟の人たちが集まっていて、それにたくさんの人たちが協力しつつある。

つまり、どっち側、であっても、この先の自分たちの幸せが欲しいなら、気持ちを共有してひとつにならないと戦えないんだなと思いました。
対立からは何も生まれない。

今の日本でもしこんな話をすると、「なんの世界の話?」「大丈夫?考えすぎじゃない?」なんて言われるのかもしれないけど、2019年より前の世界であれば考えられなかったおかしなことがこの2年でまかり通ってきてて。恐怖の煽りと共に徐々に浸透してきちゃったから、みんな麻痺しててそれが当たり前(そして正義)だと思ってしまっている

日本は今、子供たちへ莫大な被害が及びつつあって。
でも、それが正義的思想、みたいなもので「正しいこと」として蔓延しちゃってますよね。子供たちへのワクチンやマスクの強要(「推奨」って言葉を使ったって、日本人の性質からすればそれが強要になることはわかるはず)、教室で過ごすことによって得られた喜びや思い出の略奪、学生時代だからこそ経験できること全てを、「社会のためには仕方がない」って言葉だけで潰してて。それが彼らのこれからの人生に暗く影響を与えてしまう、ってことに気づけている大人がどのぐらいいるのかな。

わたしも、正直今の世の中をどうやって生きていけばいいのか悩み中です。
でも、いちばんしっくりくるのは、ただ淡々と自分の正しいと思うように生きることかな。

公の場で、世の中の分断や社会を崩壊させるような発言を繰り返してきた、政治家や医師、専門家と呼ばれる人たちが、ちょっとずつ意見をすり替えて逃げ道をつくろうとしているみたいです。
意見を変える人たちを攻撃しちゃダメとは言ったけど、この人たちは例外。
許しちゃダメ。


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