解釈に対する解釈

最近ごちうさ怪文書noteと化していたのでシンプルな怪文書を書こうと思います。いやまちカドまぞくについて書きたいよなとかごちうさもキャラごとに解釈を書き記しておきたいよなとかあるんですが、それはそれ。

解釈、大事ですよね。いやまあまあ意味わからん話なんですが、自分なりの解釈をするのって凄い大事だと思うんですよ。それの優劣や独創性は別の問題として、他者の解釈そのままじゃない自分なりの解釈を出来るかどうかって色々影響あるかなって思いました。

解釈というのは、「文章や物事の意味を、受け手の側から理解すること」らしいんですが、これが単なる理解とは別の扱いにあるのは「受け手の側から」ってトコロの性質によるモノだと思ってます。

例えば文章の"理解"はつまるところ読解で、読み取るべきは正しい内容で、つまりは著者の主張じゃないですか。読解の理想は著者の価値観から文章を評価したモノなんですね。なので現代文の問題は自分の感想を書いても正解にならなかったり。
まあ問題になると問題作成者の価値観も絡むので客観的価値観に頼る必要があったりするんですが。

一方、文章の"解釈"はそれより自由なんです。書かれている内容について自分の価値観から評価してやって、自分的にはここの表現はこういった意味がある、って決めつけちゃって良いんです、多分。なんなら書いてないことを書いてある部分から勝手に発生させたって問題ない、多分。
勿論なんでも良いわけではなくて、その文章に書かれている内容に矛盾したりすると間違ってることになる。そこらへんはしっかりとした読解を前提としますが。

でも現代文の問題とかならいざ知らず、自分の気持ちとか人の感想とかにちゃんとした正解があるのか保証はありませんよね………
あまり厳密な正しさに拘りすぎても宜しくないのかも。多分間違ってるだろうなぁ…と思って日々改善しようとしつつ、心の何処かでそれを信頼する位の距離感が必要かもしれない。つまりどっちつかず。グレー。

それで、読解・解釈を経てその文章への感想が出力されます。こうであってほしかった、とかこうであって良かったとか。どこが好きでどこが嫌いとか。これは読解した真実とどれだけ衝突しても大丈夫。例えどんなモノでも否定される筋合いはありません。客観的に間違ってる感想も当人にとっては真実足り得るのです。多分。これは個人の感想であって解釈ではないので幾ら他者のソレと違っても問題無し!
と言う訳で感想が発生するプロセスには読解だけじゃなくて解釈が絶対あるだろうというのが持論です。いや自信はないけど。

で、なんで自分なりの解釈が大事だと思ったかというと、感想のレベルに関わるんですよね。
ある程度の複雑さを持った感想って自分でちゃんと解釈してこないと自分の中でブレると思うんですよ。好き嫌いの段階くらいだと自分の中にも判断基準があるので問題ないんですがもっと理論的で複雑だと他人の褌では荷が重いというか。
他者の解釈で物事を捉えていると、普段の生活ではそこまで支障は出ないんですが、しっかり考え始めると少しづつ違和感が出てくるんです。多分。そりゃしっかりしてるとはいえ他者のモノなので細部は自分にフィットしないがちです。そうして自分にフィットしない分だけブレます。
あとそもそも解釈の練度が低かったりすると肝心なときに他人の解釈を用いる必要が出てきたりしてアレです。
人の知識はそれなりに厳密さを持つので引用してもあまりブレませんが、人の解釈は伝達の時点で歪んだりなど揺らぎがあるのであまり引用しすぎるとめちゃくちゃブレます。

そうしてブレると何がヤバいのかというと、本来言いたかった感想が全然出力できなくなります。言いたかった筈の事が言葉にならない可能性。課題で出す感想文とか雑な日記とかならそれでも良いでしょうが、オタク特有の推し本気感想文とかエモ高まり怪文書とかどうしても伝えたいレビュー文とか書くときにめちゃくちゃ後悔します。

いつかお気持ち怪文書を書きたいと思ってるオタク(狭すぎる)は常に物事へ自分なりの解釈を持つ練習をしておくと良いんじゃないかなと思います。

まあそれを言い始めたら文章を読む習慣をつけたり感想を文章にする練習をしたりすることも必要だとは思うんですが、なんで今回"解釈"に焦点を絞ったかというとコレは他の項目に比べて意識しないとやらないなぁ……ってなったからです。自分もすぐ忘れるので……。そうコレは備忘録。

というのも文章を読む、書くっていうのは教育現場で散々やるでしょう。多分。でも自分なりに解釈することを強いられるのって少なくないですか?寧ろ正しいとされる他人の解釈を用いることを強要されがちじゃないですか(偏見)
こればっかりは自分でやってく事なのかなと思いました。

つまるところ自分の価値観を得るとか自分の感性を磨くと文章の中身が豊かになるよ!とかそういった類いの話でした。インターネットに蔓延る他者の解釈・感想1個でモノを雑に語りすぎる輩を見るたびにアレにはなりたくないとか思ってたりしたので自戒の意味も込めたnoteでした。
〇〇はクソ映画!(ソースはツイッターのオタク)とか〇〇曰くあれは悪いらしいから俺も嫌い!とかね。多分漁れば自分もやってるんだろうけどあんまり宜しくないよね………
自分で確かめてそう解釈したのならいいんですが、まあ。

あとノリノリで解釈の意味とか書いてましたが、意味に真剣になって言葉を繰ることは特にしたことないので普段はそんなに考えて発言してません。"解釈"とか「自分なりの噛み砕き」か「書いてあることに矛盾の無い妄想」位で考えてるし、感想文に平然と解釈を混ぜたりしてるので、許して下さい。いや誰かに責められる筋合いは無いが????
満足したので終わり。

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