熱性痙攣重積症の覚書。

もう5ヶ月前くらいの話だが、娘が10ヶ月になったばかりの頃に生まれてはじめての高熱が出た。

気づいたのは一緒に寝ていた夜中、私の体に当たる娘の手が異常に熱かったこと。

熱を計ると37.8度。少し高いなと思って冷えピタをしてまた寝た。

翌朝は日曜日だったのでかかりつけの病院は休み。救急電話相談に電話する。
熱はどんどん上がり、ボーッとした顔で終始グズっていることを伝えると、様子を見ながら夜間救急を勧められた。

とりあえずご飯は食べられたのでこまめに熱を計りつつ、夜の6時半からの夜間救急に旦那と一緒に連れていった。

救急があくのを車の中で待っている時、呑気に桜の写真を撮っていた。写真を見るたびに思い出して心臓がぎゅっとなる。

救急が開くと同時に熱でぐったりした娘を抱いて駆け込む。

熱と脈を測りながら、問診票をかく。

身内に熱性痙攣の既往歴がある人はいるか、という問があり、「はい」に迷わず〇をつけた。

まさに、私の小さい頃はしょっちゅうひきつけを起こして救急車で運ばれていたことを嫌というほど聞かされていたから。

すぐに診察をしてもらったが、風邪という診断だった。

そう判断するしかなかったのだろう。

処方箋をもらい、車で少し離れた薬局へ向かい薬をもらう。
ついでにアクアライトや食べやすい離乳食などを買って急いで車に戻り、乗り込む前にチャイルドシートの娘を見た。

…なにかおかしい。

ぐったりはしているんだけど目の焦点が合わない感じがする。
あくまで私の「勘」でしかなかったんだけどその時の自分の判断を今でも褒めてあげたい。

娘ちゃん??!!

と大声で呼びかけながら頬を軽くたたいた。


だらーっと、ヨダレが流れた。

目が完全に落ちていた。


病院戻って!!!!急いで!!!


大声で叫んで旦那も慌てて車を出す。

旦那も様子を見てくれてはいたが、ボーッとしているだけだと思っていたらしい。

ほんとに私の些細な勘が働いただけで、気づかなくても仕方ないと思う。

でも、あの時気づかずに家に戻っていたらと思うとほんとにゾッとする。


救急の入口に車を止めて急いで娘をチャイルドシートから下ろすと、体の力がだらーんと抜けていた。
そして、直後に大量に嘔吐。

診察前にミルクを飲ませていたんだけど全てと言っていいほど吐いて、吐瀉物まみれのまま半泣きで駆け込み、看護師さんに

「様子がおかしいです、今大量に吐いて、助けてください!!」

って叫んだ。

看護師さんも慌てて診察室に通してくれて、先生がすぐに服を脱がして処置をはじめる。

その間私は吐いたものがつまらないように顔を横に向けていた。

そして間もなく、先生が急いでどこかに行ってしまい、私は外で待つようにと診察室を出される。

もう、生きた心地がしなかった。

あんな娘をはじめて見た。

何が起こってるのか全くわからないまま、しばらく待たされ、診察室からは物音ひとつしない。

娘がしんじゃったら、どうしよう。


ながーく感じた待ち時間、しばらくして看護師さんが来て、

「娘さんはけいれんが治まらないので救急外来のほうに行って今処置をしています。外来に行ってお待ちください」


けいれんだ…私のが遺伝してしまったんだ…


震える手で荷物を持って、ミルクまみれの服のまま、旦那とともに隣接する市立病院の救急外来の待ち合い室に移動。


そこからまた30分以上待ったと思う。

なんの説明もないまま、看護師さんに聞いても処置してますのでお待ちくださいしか言わない。

生きているのか、無事なのか、なんの処置なのか。

旦那は落ち着かずにうろうろしている。

胃がきゅーっと痛む。

多分あの待合室で寿命が5年くらいは縮んだと思う。


そしてやっと救急外来の扉が開き、やっと落ち着いたのでどうぞ、と通された先には、点滴を繋がれた娘が眠っていた。

先生の説明では、あれからけいれんが45分間続いたとのこと。
熱性痙攣は脳の未熟な子供はなりやすいが、通常でも5分ほどで収まるところ、ここまで長いと後遺症やてんかんなどの疑いが出てくるため重積症となって入院が必要とのこと。

旦那に荷物を取りに行ってもらう間、入院の書類などを書いていると寝ていた娘がモゾモゾと動きだした。

娘の名前を呼んでいると、いつもやる足をバタバタ動かす動きをしたので、よかった、反応してくれてる…と少し安心した。

痙攣止めの薬を入れているのでボーッとしたままだけどそのうち戻ると言われていたので、様子を見ながら小児病棟に移動。

旦那が荷物を持ってきてくれて、少しだけ様子を見て帰っていった。
ちょうどその頃、コロナが流行りだして病院の面会が制限されはじめた頃だったため、基本的には親1人しか面会、付き添いが認められていない。

どのくらい入院するのかもわからないまま、管を通されてうつろな娘を見つめる。

病室に移動してから1時間もしないうちに、娘の様子が少しおかしくなってきた。
顔がチック症のように片方だけピクピクしだして、目の動きが明らかにおかしい。
看護師さんもその場にいたが、「あら、気持ち悪いのかなー?」とか言って体の向きを変えたりしている。

いや、これ絶対けいれんだよ。

「けいれん、けいれんしてます!先生呼んで!」


私が取り乱したと同時にちょうど先生が戻ってきてくれて、様子を一目見て

「痙攣はじまったかな」

と、処置をはじめてくれた。

私はまた廊下に出され、椅子に座ってさっきの痙攣している娘が脳裏から離れないまま旦那にLINEしまくっていた。

夜11時過ぎ。

熱性痙攣重積症による脳症などの症例を調べまくってしまう。


やっと先生に呼ばれた。


長い痙攣のあとに、また痙攣が起きてしまったため、かなり強めの痙攣止めを使用したので、しばらくは昏睡状態になること。

脳に異常がないか調べるため、急遽CTを撮ること。
髄液を取って検査をすること。
後日脳波を見ること。

後遺症がないか、脳症の疑いなどは今はなんとも言えない。

しっかりと私が理解するまで説明してくれて、信頼出来る先生だと思った。


付き添いのベッドはないので娘の隣に添い寝する形になる。

ぐっすりと眠る娘。


熱が出た時すぐに当番医にでも行っていたら。
解熱剤をすぐに使っていたら。
熱が出たのが平日だったら。

いろいろ後悔はあるけど、とりあえず命が助かったことに心から感謝した。

その後、CTなども異常なし。
脳波も問題なし。


入院から2日後、すこしずつ意識が戻り、ボーッとしたままながらもご飯を食べたりできるようになり、驚異の回復を見せた娘。

熱が37土台になった頃、身体に赤い発疹ができ始めた。


突発性発疹だった。


入院4日目で経過に問題もないとのことで、脳症の可能性はほぼないだろうとのことで、5日で退院することができた。


退院時にダイアップというけいれん止めの座薬をもらった。

今後、熱が37.5度を超えたらダイアップを使うこと。

熱性痙攣は6歳くらいまでは起こりやすいので、高熱には注意すること。

熱が出たら最初の24時間にけいれんが起きやすく、そこを乗り越えればとりあえず大丈夫とのことで、1度の熱で8時間の間をおいて2回、ダイアップを入れる。


もうあんなぐったりした娘を見たくないし、あんな思い二度とさせたくないので、発熱には細心の注意を払っている。

長くなったけど、これからもたくさん熱を出すだろう娘の大変だった闘病記録を忘れないように、書いておく。


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