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作曲する理由

私が作曲する理由は、100曲くらいの作品をネットに公開しておき、亡くなって転生したときに自分の作品に気づくことができるかということで、とても興味があります。ごくまれに4〜5年間程度のレッスンでベートーヴェンの月光ソナタが弾けたり、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲が弾けたりするお子様がいますが、この子供たちはおそらく転生してきたのかなと思うときがあります。ピアノが弾きたい、バイオリンを弾きたいと思う気持ちが3歳児からあるっていうのは、凄いことだと思います。もちろん親が音楽関係の人ならその可能性が高くなると思いますけども、そうであっても音楽に興味を示さない子供の方が割合が高いです。

ちなみに転生があるかどうかは仏教では六道輪廻、キリスト教では神によって復活させられるという考え方。いずれにしても善行を積んで極楽浄土に行けますよというのが売りのようです。

私は小さいときからこのような考え方は人間を支配する層にとって都合が良過ぎるのでおかしいと思っており、宗教には距離をおいております。でもバッハが好きなので宗教そのものは否定しておりません。

宗教的なアプローチで転生を考えるとあまりにうさんくさいのですが、宇宙物理学的観点からすると、もしかしたら転生はありえるとも思っているのです。そもそもビックバンによって様々な元素ができ、そこから星の超新星爆発によってコバルト以降の元素ができるのは理解できるのですが、有機物の合成とプラズマによって生命が誕生するというのは説明が雑な気がします。数学的、物理的にこの世界を表現すると多次元の世界になるようで、その次元のエネルギーを3次元に解放することによって生命が誕生すると考えると自分なりに納得できるかなあと思っています。

具体的には卵子と精子が出会うことによって細胞分裂が急速に行われていきますが、そこに次元を呼び込む未知の仕組みがあってエネルギーが注入されることによって生命が形作られる。ここで疑問に思うことは転生するにはその前世の記憶領域を新しい生命にダウンロードする必要があるのですが、転生した人は概ね幼いときにその記憶を失う。記憶を失うのは過去に縛られないという意味でうまくできた仕組みだと思いますけどね。
たぶんダウンロードではなくて、多次元宇宙となんか細い紐のようなもので結ばれていて、その多次元エネルギーを取り込むことで生命を維持すると考えるとよりすっきりするかも。
たぶん記憶を失うのは、多次元エネルギーを生命活動に多く利用するようになるので微弱なエネルギーで起動する前世記憶に干渉が発生しているのかもですね。
そして人が死ぬときに、多次元エネルギーの生命活動分が弱くなり、記憶に関するエネルギーが残り、最後には肉体とその紐のようなものが切れ、多次元宇宙に記憶をもって戻る。そしてこれを繰り返しているのが転生輪廻の正体なのかもと想像しております。
こう考えると、多次元宇宙にとって生命にピュアな経験をつませることが発展の利益になり、怠惰な経験をもってこられると不利益になる。怠惰な経験者を減らすには、今の世の中まあそういうことですよね。スマフォに洗脳された人類のいくすえ。こころの弱い人が非常に増えているのはこういうことかな。
とまあ至らぬ考えに最後まで読んでくださりありがとうございました。

◉補説
ピュアな経験と怠惰な経験はあくまでもその人個人を対象としたもの。ピュアな経験は恋愛した、作曲した、楽器を弾いてみた。動物を飼った、旅行にいった、新しい料理を作ったなど。怠惰な経験はネット情報や他人の経験を鵜呑みにして検証や行動しなかった。他者のピュア経験を阻害したなど。ピュアな経験と怠惰な経験の区別は曖昧。例えば、同じ料理を作ることは怠惰な経験であるが、それを10年間味を変えずに実現したならそれはピュアな経験になる。大切なことはあらたな意識をもってピュアな経験に昇格させるということなのかも。

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