沖縄記録01

【沖縄記録 5】 ドミトリーの交流

 二回目の沖縄に向けては、慎重に計画を立てた。まずは時期。これは九月末にした。世間とは違い、学生は夏休みである。また、誕生日割を使うことができるので、旅費を抑えることができた。

 次に、宿。これはドミトリーにした。素泊まりの安宿である。一週間で一万円という格安。ホテルは居心地がいいのだが、中に入ってしまうと全く現地を感じることができない。

 前回からの約半年間の間に、モノレール(ゆいレール)が開通していた。中心部まで渋滞なしで行けることになったの大変ありがたい。私が選んだドミトリーは民家を改造したもので、すでに多くの人が休憩所でのんびりと過ごしていた。

 ドミトリーの部屋にもいろいろな形態があるが、私が泊まったのは二段ベッドがいくつか並んだ男性部屋だった。枕元には貴重品用の鍵の付いた小さな箱が取り付けられている。天井から薄い布がぶら下がっているが、どういう効用があるのかはわからない。

 素泊まりなので、何より食事が大事である。宿泊者を証明する券を持っていると、近所の居酒屋で安く夕食をすることができた。一日目、私は調子に乗って泡盛を二杯飲んでしまったため、安い夕食とはならなかったが大変満足した。以来泡盛は大好物である。

 ドミトリーで調理することもできる。食材を買ってきて、宿からガスを買うのである。皆で少しずつ持ち寄って、宴会を開いているグループもある。各地から来た旅人達が、名前も知らないまま打ち解けて盛り上がっていた。

 一週間の間、様々な出来事があった。近所の子どもが仔猫を拾ってきて宿に置いていこうとしたため、「暇なら元に戻しにやるの連れてってあげて」と宿の人に言われ、子供を連れて近所の公園へ。ホテルに泊まっていたら絶対に経験できないことである。また、知り合った人たちといろいろ語らいあった。「俺ね、一か月旅してるけど一回しかキスしてないよ!」というお兄さん。若い女性三人は、三人とも十歳以上年上の男性と付き合っているという話をしてくれた。また、失恋したから沖縄に来た、といういかにもな女の子も。夜の公園に行って、皆で星空を眺めた。

 ちなみに、圧倒的に関西人が多かった。そのため私の関西弁も復活。那覇なのにまるでミナミのような雰囲気である。

 行先は特に決めずに来たので、その日の気分や他の旅人から聞いた話で決めた。そのため色々な場所に行き当たりばったりで訪れることになるのだが、その話はまた次回に。


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