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ときんの落語製作所 R5・1月号

今更ながら
明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します、と、メルマガをご覧のコアなご贔屓様にご挨拶申し上げます。にやり。

12月号は書かなきゃと思いながらも師走の圧倒的な諸々の締め切り感に押し切られ間に合いませんでした。どこかで巻き返したい。
そして新年。いや、月末か…。と言うかもう二月号で良いんじゃね?
今年は二つの意味で初めてのお正月でした。
一つは馬るこさんにお声掛け頂いて元旦のお仕事。おめでたい。
もう一つは大師匠のいないお正月。例年大師匠宅に一門が集い松本家のご親族交えて新年を祝って参りましたが今年は無くなってしまいました。
恒例だったので所在の無さが何とも空虚な感じで戸惑います。慣れないなあ。
ですがお正月の浅草は二年前に比べて格段に初詣の人も増え浅草演芸ホールの客席も賑わいを取り戻しました。少しづつですが前に進んでいるのかなあと言う実感があります。世の中明るくして行きたい!


落語にはパターンがあります。
子ほめや時そばなんかは同じですね。俗にオウム返しと言うパターンです。
天狗裁きなんかは特徴的な形でぐるっと一周する感じ。
中身のクスグリなんかが被ってしまうのも時々起こる事です。
面白いどうこうの前にまずは聞いてる方に話(あえて噺じゃなく一般的な話)のイメージをしっかり伝える必要があります。じゃないと何の話だかピンと来ないまま終わっちゃうから。その為にパターンの負う役割は大きい。

漫才もそうですね。最近は役付けするコントっぽいものも多いですが例えばミルクボーイさんなんかはおかんの言いたいものをヒントが出るたび「これで決まりよ」「ほなちゃうかー」を繰り返す形。昨年のM-1優勝のウエストランドさんも形としては似ています。ナイツさんのヤホーも塙さんが間違えるのを土屋さんが優しく訂正していくパターンで分かり易いです。分かり易いという事は次起こるであろう展開が何となく読めてその線上でストレスなく楽しめる。世界観を理解するのに時間が要らない。二回目見た時もすんなり溶け込める利点があると思います。

今はネットのお陰で色んなネタ動画に出会う事が出来ます。知らない芸人さんでもその芸に触れる事が出来るのは現代の大きなメリットです。
そこで感じたんですが、最近の傾向はシュールと言うかファンタジーと言うか妄想?空想?独特な世界観とシンクロしないと面白さが伝わらないと言うか、ニッチと言うんですかね?テレビ時代の様に大勢を取り込もうと言う方向には行っていないようです。

最近見た芸人さん、漫談の街裏ピンク、小松海佑、漫才のDr・ハインリッヒ、ヨネダ2000、等々の皆さん、個性的と言うくくりで良いのかな?こちらから世界観に寄っていく必要があります。ご興味がおありでしたら皆さんyoutubeでネタをしてらっしゃいますのでチェックしてみて下さい。
改めてみると漫才の方はパターンに乗ってネタをしてらっしゃいます。さっきのフレーズがここに掛かって来るのか、みたいな。天狗裁きっぽいのもありました。この辺りは吉本の養成所で骨組みを仕込まれてるのでしょうか。
その上に独自の世界観を出しているようです。

Drハインリッヒさんの漫才でトンネルを抜けると鰯がチャーハン食べていて海に返したらまた戻って来てチャーハン食べ続けて尾鰭でコンクリ叩いたら割れてヒマワリが咲いて…と言うネタに付いて行けず家人にどう解釈したら良いのだろうと聞いて貰ったら一言「これ絵本だね」との事。ファンタジーなんですって。
絵本って深く考えながら読まないじゃないですか?ああそう言うもんかなあ程度で読み流しますよね。だからミクロまで理屈で突き詰めず相対的な雰囲気で楽しむような感覚で見るのが良いようです。
なるほど一々理屈で考えていたら全く意味が分からない設定と言えばその様にも見えますし。でもパターンはちゃんと出来ているのです。このネタは天狗裁きのパターンでした。

いわば基礎工事はがっちり造っておいてその上物を思いっきりサイケデリックに作り上げる、そんな感じでしょうか?
そういう構造の理解に時間が掛かるのはオジサンになった証拠なのかなあ。

かつて落語界も円丈師匠と言う新作の革命児が出て、古典全盛期には完全な異端児でしたが時代が進むにつれその時に大いに刺激を受けた落語家たちが今の新作を支えています。
こうした前衛的な実験を繰り返しながら演芸も進化していくのでしょう。
言ってみればその進化の過程をリアルタイムで見ていると言っても良いのかも知れません。

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