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【前田五郎さんを大阪で偲ぶ】

落語であなたの人生をナビゲート!おとうふメンタル〇ら落語コンシェルジュ®相山・美奈:子:です。

5日夜大阪アワーズルームは快楽亭ブラック師匠と竹内義和さんの屈曲位大放談!という月例ライブ。

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当日の朝五郎さんの悲報を知ったブラック師匠は、内容を五郎さんネタに急遽変更。ブラック師匠のブログで悲報を知った私は、ショックで暫し茫然。ちょっと勇気を出してブラック師匠にお電話。
今夜は五郎さんネタをすると伺い、行きます!と言った。
宿は?と聞かれて決めていませんと答えると、友人に詳しい人がいるから取ってあげると会場すぐ近くのホテルを手配してくださった。
チェックインしてから会場にいらっしゃいと、いつものきめ細かいお気遣いがありがたい。

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芸人さんのお葬式は一般人みたいにしんみりしない。陽気に騒いでお別れする。亡くなった10月17日は毎月アワーズルームである五郎さんのトークライブの日。

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内容は昭和の芸能史そのもの。ハードすぎて書けないし、舞台からもここだけの話と言われました。(だから配信をしなかったのです。)
五郎さんは同じ話をしないプロ意識があった。鉄板のネタでも嬉しいのに、前回と同じネタはやらない。常にお客さんが楽しんでくれたか気にされていた。
慣れ合いの笑いが嫌いだった。
直情的で一本気な性格は素晴らしいが、芸人としても人としても見ている方はハラハラする。でもこれは自分の性格だからと、トラブルになっても気にしないというか「これが自分なんだ」を貫いた。
現役で亡くなった幸せな芸人。
「アホの坂田」を歌っているのも、漫才の台本も五郎さん。本当に才能があった。
当時の漫才の五郎さんのセリフに「キミらしい考え方やな」というのがあった。今思えば斬新だった。当時もそんな言い方をする人はいなかった。

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気遣いの先の気を遣う人。あの気遣いのブラック師匠が驚くほどだった。
タクシーに乗る時に目上の人に奥に乗ってもらうのはマナー。でも年齢が行くとおっくうなもの。五郎さんが奥に乗ってもらうのが当たり前。でもしんどいんじゃないかな、自分が奥に行く方がいいんじゃないかと思ったそうだ。すると五郎さんは「キミ(ブラック師匠)着物やろ。奥行くの大変やろ」とスッと自分から先に乗った。
この凄さ!!

私にも覚えがある。コロナでなくなったが芸歴60周年パーティを大阪ですることになったとお電話を頂いた時に、満席とわかってせめてお花を送らせてもらおうと思い、それとなく場所やお店の名前を聞いたら「キミはそんなことせんでええ」この一言で終わり。
毎月のトークライブの案内を頂いたときも、来月行きますといったら「キミは来んでええ」でお終い。大阪までの経費を考えてくださったのだ。「そのかわり東京に行くときは必ず来てや」
舞台同様張りのある声だった。

最後にお目にかかったのは、ちょうど1年前の11月、渋谷でのトークライブ。

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五郎さんが残したもの。教えてくださったことはたくさんある。
SNSに書くのをためらう宝物の話もある。
めっちゃくちゃ売れて、信じられないくらい稼いで、忙しくて、映画みたいな嫌がらせも浴びるように受けて、それでも負けずに戦って、舞台に立ち続けた。話続けた。

あの信念、強さ、たくましさ。
五郎さん、いいお付き合いをさせてくださってありがとうございました。
私もいい仕事をして五郎さんに恩返しできるようにがんばります!!

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