【ふたりらくご 立川談修・心眼】
落語であなたの人生をナビゲート!おとうふメンタル〇ら落語コンシェルジュ®相山・美奈:子:です。
渋谷らくごでふたりらくご(今回は配信)
立川談修師匠、談吉さんの親子会です。落語の世界では師匠と弟子の会を親子会と言い、本当の親子ではありませんが芸の親子です。
今月は3回目の談修師匠。嬉しい月。
★立川談吉 天災
★立川談修 心眼
談吉さんの天災は後日書きますが、今回はまずは談修師匠。
明治の頃、浅草馬道に住む流し按摩の梅喜。仕事がおもわしくなく横浜の弟の所に泊まって仕事を探すがなかなか客がつかず、弟にもなじられて口惜しい思いで帰ってくる。
茅場町の薬師様へ百日参りで目が見えるようになるが、(お参りしている時の顔は左右に向けるが目は動かず、目が見えないとわかる)そこから彼の感覚が少しずつ変わっていく。
初めて見る馴染みの客の顔、人力車に乗る美人の芸者、仲見世。見えるようになると急に生き生きした目になる。嬉しかっただろう、今までの人生を取り戻した気がしただろう。目が見えなくなったから按摩になり周囲に気を遣い、卑屈になることも多かったはず。やっと人並みの普通の人間に、その仲間に入れたという得も言われぬ喜びが彼を包んでいた。(盲人の方をどうのこうのと言っているわけではありません)
そこで彼は芸者を見て女房お竹の顔は?と思う。あれだけよくしてくれるのだからさぞかしと思いきや、「人三化け七」(人が三部で化物七部)よりもひどい「人無し化け十」(人はゼロ、化物十割)だと言われてがっかりし、みっともないとまでいいだす。おいお前、薄っぺらいぞ!
でも気立ては日本に何人いるかというお竹は、芯からの愛情や心配りのできる心のきれいな女だ。いつの世も男は、いや人は内面より見た目。
女房は?と聞くあたりから彼の目つきが変わってくる。目が外へ向き、心を見る目が見えなくなった。鏡を見て自分は役者みたいないい男と知り、ますます女房との差に惨めな思いをする。
目が見えるようになった嬉しさ、人から対等に扱ってもらえる嬉しさで有頂天になり芸者と酒を交わし、一緒になろうとまで言い出す始末。あまりにも手のひら返しの梅喜。すわ修羅場!という所で場面が替わりほっとする。
人はあまりに外に目を向けすぎる。心だけを心眼で見ていればいい。
サゲは見たい理想の世界と自分の本音。お竹の容姿は世話をしてもらっている梅喜の負い目からか。
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