優しさの価値 日記20230122

最近歩いている時間があり、ぼんやりと色々なことを考える中でなんとなく整理しておきたいなと思ったこと。

特に「人に与える優しさ」の価値が人によって違うし、それが結構人間関係の軋轢になりがちなんじゃあないかと思いました。

たとえば、泣いている人間がいるときの対応。多分自分は、たとえ身内であっても泣き止むまで待つしかやることないなあと思っています(相手は成人であるとする)。泣き止んだあと、大事な人なら話聞いてできるだけのことはしたいし、そうでもなければ「落ち着いてよかったね」で終わる。

でも、びっくりするくらいどんな人にも寄り添える人間がいたり、仲良い人が泣いてたら声かけて話聞くとか、対応色々あるんだよね。

ただ、自分に関して言えば落ち込んでたり泣いてる人に声をかけたほうがいいのかも、というのは社会人になってから周りをみて擬態するがごとくやっているだけで、本質的には何一つ寄り添えていないと思います。だから大事なら大事なほど様子見から入る。

優しさをタダで分け与えられる人間は、一般的に徳が高く素晴らしい、と思いますが、身を削る感覚があるときはそれをしないほうがいいなあと、徒然思いました。
というのも、特に現代の無限に広がっていく人間関係の中で、自分を切り売りしなくてはならない状況マジでキツいからです。
中には、タダで与えられる優しさに溺れて、それがタダで得られないと逆に怒ったり、不調をきたすというタイプもいるように思えるので……。
そういう人間に優しさというエサを無尽蔵に与え続けられるならいいのですが、そうでないなら最初からそうでない、と示しておかないと、二人で絡み合ったまま底なし沼にハマってしまうぜ〜とは思います。

自分のやさしさは、高いと思う。
価値としてというか、価格が……。相手に相当入れ込んでいないと、ちょっとしたわがまますら面倒になってフェードアウトしてしまうので、友達甲斐のない人間だなあといつも思っています。相当様子見をするので、どっちか分かりづらいと思うけど、普段遊んでる人間たちに関して言えばなんとか優しくはしたい(できるとは言ってない)という感じです。

まあともかく、わたす側と受け取る側の価値観によって価値が変わってしまうというか、円とドルで取引しているようなもので、こっちは100億払ったのに向こうは10ドルしか受け取っていないといってくる、という感じで、問題が起こりやすいポイントかなと思いました。優しさのみならず、気遣いとか仕事もそうかもですね。

解決は相互理解しかないんでより難しいと思いますが、なるべく誤解のないように、相手に期待せず自分のことをある程度開示できるようになれればいいなあとぼんやり思いました。

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