見出し画像

ガイドのおすすめ観光地 川崎市生田緑地と岡本太郎美術館

通訳ガイドのぶんちょうです。お花見を兼ねて川崎市生田いくた緑地に行きました。今回は、広大な公園のなかにある岡本太郎美術館がメインの目的です。

岡本太郎は変なおじさん?


つい最近まで私にとっての岡本太郎は「芸術は爆発だ!」のおじさんでした。または万博のおじさん。というのも太郎さんの生前、聞こえてくるのがちょっと変わった、というかむしろ「ぶっとんだ」行動や発言だったからだと思うのです。でも、そのイメージが大きく変わりました。

きっかけは東京の青山にある「岡本太郎記念館」を先月訪れたこと。この「記念館」のほうは、実際に使われていた太郎さんのアトリエです。通訳ガイド仲間数人と行き、そこでスタッフのお話を聞くことができました。

太郎さんをリアルタイムで知っていた年代のガイドは異口同音に「そう言う人だったんだ!」でした。ちなみに太郎さんは1911生まれで、1996年に84歳で亡くなったそうです。

太郎さんは多くのコマーシャルやテレビ番組にも出演していました。そのなかで、すっかり変なおじさんのイメージが定着してしまっていたようですが、実際はとても紳士的な方で、すべてにおいて上品な方だったそうです。
またシャイな方でもあり、もしかしたら、あのお茶目なイメージは太郎さんがわざとやっていたかもしれないということでした。

そんな太郎さんの別の面を知った私は是非、美術館にも足を運びたいと思っていて今回、川崎市のほうに訪れたのです。


岡本太郎美術館があるのは川崎市の誇る生田緑地の敷地内にあります。電車で行くなら、駅から少し歩きますが小田急線の向ヶ丘遊園駅です。ここは広大な公園になっていて、散歩するにはとてもいい場所です。日本民家園などの見所も沢山あるので一日では回りきれません。


生田緑地


大きさに圧倒される
外のカフェ横の桜満開

今回は美術館に近い西側の駐車場に停めて入りました。少し歩き、目に入るのが巨大なモニュメント「母の塔」です。美術館の外にはカフェがあり、外の席なら、桜の花も楽しめます。

入り口を入ったところ
「傷ましき腕」

岡本太郎について

父は、漫画家の岡本一平、母は歌人で小説家の岡本かの子。川崎市に生まれる。父は誰もが知る有名漫画家であったが、稼いだお金はほとんど飲み代になった。

母はお嬢様育ちで、家事や子育てができないだけでなく愛人を家庭内に住まわせた。文学に傾倒していた歌人で、後に有名な小説家になる。

太郎は地元の小学校が合わず、何回か転校した後、慶応幼稚園でやっと居場所を見つける。慶応普通部に進み、卒業後は日本美術学校へ入学。

美術学校在学中、昭和5年に父の仕事のため家族でパリへ。家族は2年後に帰国したが、太郎は10年過ごす。

フランス語を学びつつ、パリ大学で美学を学ぶ。また哲学や民俗学も。ピカソの作品に衝撃を受け、抽象芸術を志す。

1940年の帰国後、パリで発表した「傷ましき腕」を二科展で発表し受賞。個展も開く。その後、太平洋戦争で出征。

戦後、「新しい芸術は岡本太郎から始まる」と日本美術界に挑戦状を叩きつける。

1960年、メキシコを訪れ壁画運動に影響を受ける。ホテルに依頼されて描いた壁画が後の代表作「明日の神話」になる。

1970年、大阪万博の「太陽の塔」完成。

1991年、川崎市に作品1800点を寄贈。

1996年、死去。

まず、驚いたのは太郎の生い立ち。いわゆる「普通」ではない家庭ですが、両親の芸術に対する姿勢を受け継いでいるのだと感じます。小学校(慶応幼稚舎)の成績はビリだったのですが、両親と対等の議論をしていたそうです。

21歳でパリの美術展でピカソの抽象画を見たとき、涙が止まらないくらい感動したそうです。そして、それだけではなく、そのピカソの作品を乗り越える決意をしました。それが抽象芸術運動に参加するきっかけになっています。パリ時代に描いた代表作が上の写真の「傷ましき腕」です。

戦後は権力や機械に翻弄される人間について皮肉った絵を描いています。社会の矛盾をテーマにしているような絵が多くありました。

大阪万博の太陽の塔のデザインの話は当初断ったそうです。万博のテーマである「進歩と調和」が納得できないという理由からです。「産業的には人間は進歩しているかもしれないが、人間的な進歩はしていない。

調和とは相手に遠慮して同じようなものを作るのではなく、本当の調和は個人がぶつかり合うことから生まれる。それが言いたくて嫌われてもいいからあんな、素っ頓狂なものを作ったのです」と語っています。

太郎さんデザインの椅子
太陽のデザインが多い
太郎さん独特の色使いですね
宇宙人みたい

もうひとつ。縄文土器や土偶が美であることを発見したのは岡本太郎だそうです。国立東京美術館で初めて火焔土器を見た時に衝撃を受け、実用性だけでなく美術品としての価値を追求した古代の日本人に感銘を受けたようです。

そんな新たな岡本太郎の顔を知り、青山のアトリエの時からさらに、ファンになっちゃいました。太郎さんは多くの著書もあり美術館で一冊を購入しました。また、新たな太郎ワールドを発見できるかもと読むのを楽しみにしています。

美術館のことばかりを書いてしまいましたが、生田緑地は美術館に寄らなくても充分楽しめるところです。

散歩道
移築された藁葺き屋根の家が並ぶ民家園

日本民家園(有料)も楽しいところですが今日は歩きすぎてパスでした。

きれいな所がたくさん

また、季節を変えて訪れたいと思うガイドおすすめの場所です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?