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山本弘さんによる『トンデモ本の世界X』「まえがき」「あとがき」と、『と学会年鑑GREEN』「まえがき」

作家の山本弘さんが、2024年3月29日にご逝去されました。
本当に、残念でなりません。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

山本さんご自身による言葉を、皆さんとシェアし、再読することで、故人への敬意と感謝を表したく、以下に、
『トンデモ本の世界X』(2011年刊)の「まえがき」と「あとがき」
『と学会年鑑GREEN』(2006年刊)の「まえがき」
を掲載いたします(文中の肩書等は刊行当時のものです)。

まえがき──あらためて、トンデモ本の世界へようこそ!

                   と学会会長・SF作家 山本弘

 初めまして。
「初めてじゃないぞ、前から知ってるぞ」という方もおられるでしょうが、今回はこれまで『トンデモ本』シリーズを読んだことがないという方も視野に入れ、「一見(いちげん)さんにやさしいトンデモ」「トンデモ再入門」を目指しております。
 もちろん、いつも通りの楽しいネタ、濃いネタも満載で、以前からのファンの方にも楽しめる内容になっていると自負しております。
「トンデモ本」とはその名の通り、トンデモない内容の本のこと。本書で取り上げている本をいくつか例に挙げるなら、宇宙人の霊が「ナガラ、ブー、ブー」と言う本、「東京スカイツリーは原発よりも危険だ」という説を唱える本、「阪神淡路大震災は核爆弾で起こされた人工地震だ」と主張する本、「鼻をつまんでコーヒーを飲むと脳が若返る」という本、「日本は宇宙戦艦『大和』を建造せよ」と訴える本、「北朝鮮は素晴らしい国だ」と賞賛する本、ゴジラと巨大な裸の女が戦う映画のシナリオ……いえいえ、冗談でもパロディでもありません。著者たちはみんな大真面目です。
 信じられないかもしれませんが、こういうことを書いている本が現代の日本にはたくさんあるのです。その多くは、書店の棚に普通に並んでいるものです。
 僕たち「と学会」という団体は、トンデモ本をはじめ、現代にはびこる数々のトンデモ物件をウォッチングする趣味のグループです。
 毎年、「日本トンデモ本大賞」というイベントも開催しています。前年度に日本国内で出版されたトンデモ本から数冊を選んで会場で紹介、参加者の投票によってベスト1を決定するというもので、今年(二〇一一年)で満二〇年を迎えます。
 過去の受賞作は次の通り。

●第一回(一九九二年)川尻徹
 『ノストラダムス戦争黙示』『ノストラダムス複合解釈』(徳間書店)
●第二回(一九九三年)三上晃『植物は警告する』(たま出版)
●第三回(一九九四年)小石泉『悪魔最後の陰謀』(第一企画出版局)
●第四回(一九九五年)ヤミリ・キリー記/桑原啓善監修
 『アトランティスのミンダ王女500機のUFO従え「生命の樹」へ』(でくのぼう出版)
●第五回(一九九六年)武田了円『世界の支配者は本当にユダヤか』(第一企画出版局)
●第六回(一九九七年)松平龍樹『発情期ブルマ検査』(マドンナ社・二見書房)
●第七回(一九九八年)シャーマン武田『想造結果』(たま出版)
●第八回(一九九九年)阿修羅王『異次元の扉』(鳥影社)
●第九回(二〇〇〇年)山下弘道『大地からの最終警告』(たま出版)
●第一〇回(二〇〇一年)渓由葵夫『奇想天外SF兵器』(新紀元社)
●第一一回(二〇〇二年)天野仁『忍者のラビリンス』(創土社)
●第一二回(二〇〇三年)村津和正『歯は中枢だった』(KOS九州口腔健康科学センター)
●第一三回(二〇〇四年)塩瀬中乗『ガチンコ神霊交友録』(三交社)
●第一四回(二〇〇五年)副島隆彦『人類の月面着陸は無かったろう論』(徳間書店)
●第一五回(二〇〇六年)前田文彬『量子ファイナンス工学入門』(日科技連)
●第一六回(二〇〇七年)枡谷猛『人類の黙示録』(文芸社)
●第一七回(二〇〇八年)ウォレス・ワトルズ『富を「引き寄せる」科学的法則』(角川文庫)
●第一八回(二〇〇九年)船瀬俊介『新・知ってはいけない!?』(徳間書店)
●第一九回(二〇一〇年)杉山徹宗『平和宇宙戦艦が世界を変える』(芙蓉書房)

 陰謀本あり、オカルト本あり、成功哲学の本あり、歯の本あり、はたまたポルノ小説ありと、トンデモ本といっても実に多彩なヴァリエーションがあることが分かります。第一九回受賞作『平和宇宙戦艦が世界を変える』は本書で、第一八回までの受賞作は過去の『トンデモ本』シリーズで紹介していますので、お読みいただければ幸いです。
 それでは、初めての方もそうでない方も、トンデモ本の世界をたっぷりお楽しみください。

あとがき──僕らは仮想現実に住んでいる

                   と学会会長・SF作家 山本弘


「ヒトは知らず知らずのうちに、たくさんのフィクションの中で生きているわ。善行を積めば天国に行ける。超古代文明は実在した。この戦争は正義だ。この浄水器で作った水を飲めば健康になる。彼女は僕と結ばれる運命だ。このグッズを身につけていれば幸運が訪れる。あの政治家はこの国を良くしてくれる。進化論はでたらめだ。私には優れた才能がある。昔からのしきたりに従わないと悪いことが起きる。あの民族を根絶やしにすれば世界は良くなる……詩音が言ったように、ヒトは間違ったことを信じ続ける。生まれてから死ぬまで、自分たちの脳内にしかない仮想現実に住んでいる。それが事実ではないと知らされると、激しく動揺し、認めまいとする」
                ――山本弘『アイの物語』(角川書店)

『魔法少女まどか☆マギカ』というテレビアニメがある。二〇一一年一月から四月まで、深夜に放映されていた魔法少女ものだが、スタイリッシュな映像とハードなストーリー展開で多くのファンを熱狂させ、一時期、AMAZONでブルーレイ&DVDの売り上げが上位を独占したほど。僕も大ファンで、最終話は深夜にリアルタイムで視聴して大感動し、思わずDVD全巻予約してしまった。
 二〇一一年四月、僕のブログに長文のメッセージが書きこまれた。ひどい内容なので速攻で削除したのだが、あまりにバカバカしくて笑えたので保存しておいた。
 その人は『まどか☆マギカ』の四話と五話だけ(ちょうどストーリーの山場の間の、やや中だるみしていた時期だ)を見て駄作だと決めつけ、こんな作品がヒットするなんてあるわけがない、これは製作会社のシャフトの陰謀だと主張していた。本当はヒットなどしておらず、ネットの評判はみんなシャフトの工作員が書きこんだもので、DVDの売り上げの数字なども操作されているというのだ。
 もちろん、ネット上にあふれかえっている賞賛の声を見れば、実際に『まどか☆マギカ』に多くのファンがいるのは歴然としているのだが。
 その人は「もちろん、確実な証拠もないので推測の域を出ませんが、自分的には確実にシャフトの工作があると思っています」と書いていた。確実な証拠がないのに確実だと信じるというのは、まさに妄想である。
 この人と同一人物かどうかは分からないが、以前にも似たようなメールが来たことがある。そちらは『こち亀』陰謀論。秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の連載がいつまでも終わらないのはおかしい。あれは連載を終わらせないため、作者が自分で単行本を買い占めて、売れているように見せかけているに違いない……と真剣に主張していた。
 作者が自分で本を買占め(笑)。そんなバカなこと、誰がやるものか。一冊出すたびに何千万円という赤字になるではないか。
 ははあ、陰謀論というのはこうやって生まれてくるのだな……と僕は大笑いしつつも納得したものである。

 食べ物だろうとアニメだろうと、はたまた芸術作品だろうと政治思想だろうと、すべての人間に支持されることは決してない。必ずそれを好きな人間と嫌いな人間がいる。それは当たり前のことである。絶対的に正しい評価というものはない。
 しかし、それが理解できない種類の人間がいる。自分が好きなものは絶対的に素晴らしいものだとか、自分が嫌いなものは絶対的にダメなのだとか思ってしまう人間が。その信念を否定する情報が入ってくると、彼らは「その情報は間違っている」と考える。
 僕は小説『アイの物語』の中で、ゲドシールドという造語を使った。「ゲド」というのは特に意味のない言葉で、語感を優先して作った。哲学か認知心理学の分野で似たような概念はあるのかもしれないが、個人的には「ゲドシールド」という語感が気に入っているので使っている。
 僕たちは世界をじかに認識しているのではない。世界はあまりにも巨大で複雑すぎて、人間の頭脳では処理できないからだ。そこで人間は、世界を大幅に簡略化してイメージする。自分の周囲の壁に、自らが作ったシミュレーションモデルを投影し、それを見て「これが現実だ」と思いこんでいる。その壁がゲドシールドだ。
 作中、アンドロイドのアイビスは、語り手の少年に向かってこう言う。

「私たちも外界を自分の内面にモデル化するわ。それが外界を理解するのに必要だから。でも、外界からの情報とモデルが齟齬(そご)をきたした場合には、モデルを修正する。あなたたちのように、誤ったモデルにしがみついたりしない」

 先の例で言うなら、「『まどか☆マギカ』は駄作である」「ヒットするはずがない」というのが、この人の脳内のシミュレーションモデルだったわけである。ところが現実にヒットしている。にもかかわらず、この人はモデルの修正を認めず、「ヒットしているなんて嘘だ」という幻想を新たに構築し、ゲドシールドに投影しているのである。
 陰謀論やトンデモ説が生まれる背景には、人がゲドシールドの存在を意識していないことがある。自分の脳が創造したモデルを仮想現実だと認識できず、生の現実だと信じているのだ。もちろん、そうした傾向は誰にでもあるのだが、特に陰謀論者やトンデモ説の提唱者はそれが強い。ゲドシールドのモデルと外にある本物の現実に矛盾が生じると、彼らは「誰かが事実を隠している」とか「陰謀が行われている」とかいう新たな幻想を構築して、現実の方を修正し、モデルを守ろうとする
 特に強固で厄介なゲドシールドは、「私は優れた人物だ」とか「私の考えに間違いがあるはずがない」とか「私は世界の真理を知っている」といった類のものだ。それは容易に壊れることはない。その幻想はその人にとって誇りや存在意義になっており、手放すことなど考えられないのだ。だからどんなに攻撃されても守り抜こうとする。(ネットでそういうタイプの人に出会った方も多いのではなかろうか)
 トンデモさんたちがしばしば明白な間違いに気づかず、論を暴走させるのも、「私の考えに間違いがあるはずがない」というゲドシールドにとらわれているからだ。だから正しい情報を積極的に探そうとしないし、間違いを指摘する情報が外界から入ってきても、それはシャットアウトされ、本人には届かない。ゲドシールドの中にいる限り、彼らの世界観は完全無欠なのである。
 そうした例は、本書で紹介した本の中でも、いくつも見つけることができる。
 僕は『アイの物語』の中でDIMBという言葉も創作した。ドリーマー・イン・ミラー・ボトル(鏡の瓶の中で夢見る者)――鏡でできた瓶の中に閉じこもり、周囲に映る自分自身の姿を外界だと思いこんでいる者、という意味である。
 DIMBにならないためには、「僕らが見ているものは現実そのままではない。脳が構築した仮想現実なのだ」ということを認識する必要がある。「私の考えに間違いがあるはずがない」とか「私は世界の真理を知っている」なんて、絶対に思わないことだ。
 言い換えれば、本物の世界の巨大さに対し、謙虚になるべきなのだ。世界は一人の人間の脳ではとうてい理解できないほど大きい。僕たちはちっぽけで不完全であり、この世界のことを一万分の一も認識できない――その事実を素直に認めるべきなのだ。
 それは絶望や敗北主義ではない。世界を――脳内の仮想現実ではなく、ゲドシールドの外にある本物の現実に敬意を払おうということなのである。

以上、『トンデモ本の世界X』(2011年刊)の「まえがき」と「あとがき」でした。
続いて、『と学会年鑑GREEN』(2006年刊)の「まえがき」です。

90パーセントにひそむ楽しみ

                       と学会会長・山本弘


 最近、日本でSF作家シオドア・スタージョンのちょっとした再評価ブームが起きている。短編集『不思議のひと触れ』(河出書房新社)『輝く断片』(河出書房新社)『海を失った男』(晶文社)、長編『ヴィーナス・プラスX』(国書刊行会)がたて続けに出版されたり、『時間のかかる彫刻』(創元SF文庫)『一角獣・多角獣』(早川書房)が復刻されたり、スタージョン作品の好きな僕としては嬉しい状況である。
 そのスタージョンの遺(のこ)した〈スタージョンの法則〉と呼ばれる名言がある。
「何事も90パーセントはクズである」
 この言葉が発せられた状況については細部の異なるいくつかの説があるのだが、スタージョンが低俗なSFをバカにする声に対する反論として言ったという点は間違いないらしい。確かにSFの90パーセントはひどい代物だが、どんなものでも90パーセントはクズなのだ。クズではない残りの10パーセントが重要なのだ、と。
 確かにその通りだと思う。
 でも、仮に90パーセントが一掃されて、重要な価値のある10パーセントしか存在しない世界が誕生したら、それはそれで恐ろしいし、寂しいと思う。たとえ間違っていたり低俗であったりしても、やはり90パーセントは必要なのではないか。「クズ」と呼ばれるものもたくさん存在する世界のほうが、人間味があって楽しいのではないか。

 シリーズを買っていただいている方には説明不要かと思うが、我々「と学会」は、世の中に氾濫(はんらん)するトンデモ物件をウォッチングする団体である。インターネット上で情報を交換する一方、都内某所の会議室で年4回開かれている例会において、会員が見つけた様々な物件を持ち寄って発表する。本書の前半には、その例会発表の模様が再現されている。喋(しゃべ)った内容そのままではなく、読みやすさを考慮して編集してあるが、雰囲気はご理解いただけると思う。
 今回ご紹介するネタは、セイカのぬりえ、『不良番長』、『ダ・ヴィンチ・コード』、「幸福の科学」、架空戦記小説、中国のUFO本、『少年キング』、女の子向けエロマンガ、台湾の少女マンガ、山東京伝(さんとうきょうでん)、マトリョーシカ、コンドーム、房中術、神秘学、競馬、落語、洋モノポルノ、催眠……う一む、こう並べてみると、まったく脈絡がないね(笑)。
 本の最後では、2005年6月4日に千代田区公会堂で開催された「日本トンデモ本大賞2005」の模様も収録した。前年度に日本国内で出版された本の中から、最もトンデモないものをファンの投票によって選ぼうという企画である。
 これらはまさに世の中の90パーセントを占めているものである。まともな文芸評論家が見向きもしないような本や、明らかに科学的に間違った説、芸術とも真理ともほど遠いへンテコな代物ばかりだ。でも、眺めていると面白いし、ハッピーな気分になれる。人類に対する愛しさのようなものも感じさせる。
 トンデモ説を唱えた者が弾圧された時代もある。今でも世界にはそうした国がいくつもある。卜ンデモ本やトンデモ・グッズが弾圧されることなく、自由に氾濫しているこの現代日本は、素晴らしい国だと思うのである。
                        2006年4月28日

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