「いいね」戦略考

 「いいね」する戦略を、以下のモデルで考えてみる。自分の私生活をある程度SNSでさらけ出す人が、いいねされる対象だと前提する。

いいねパターンAは、ネガティブ型だ。「いいね」される人が失敗した時のみいいねする。「失敗」は単なる自虐か客観的に悪い状況なのか、ここでは問わない。

いいねパターンBは、ポジティブ型だ。いいねをされる人が成功した時のみいいねする。「成功」は大分盛ってるか、客観的に良い状況なのかは、ここで問わない。

いいねパターンCは、混合型だ。パターンAとパターンBを確率的に半々で行うとしよう。つまり、成功した時も失敗した時も同じ比率で「いいね」する。

 この時、「いいね」される人からすれば、A,B,Cの各人物のことをどのように感じるだろうか。これを考えるには、「いいね」される人の生活や、特定の状況(昇進や、何らかの試験に合格したり賞を取るなど)が、中長期的にどう推移するかの仮定も必要だ。これを人生の推移パターンA,Bとしよう。

推移パターンAは、中長期的に何もよくならないか悪くなる人生パターン。「うだつが上がらない人」と名付けよう。
推移パターンBは、中長期的に何かがよくなっていく人生パターン。「だんだん良くなる人」と名付けよう。
推移パターンCは、これまたAとBの混合型だ。

 この前提で、まず人生の推移パターンA・うだつが上がらない人の視点で考えてみる。
うだつが上がらない人にとって、自虐や失敗談を話すだけでいいねしてくれるネガティブ型いいねをする人物は、「自分によく共感してくれる味方」であると感じるだろう。対照的に、ポジティブ型いいねをする人物は一向にいいねしてくれない。冷たい人であると感じるだろう。

次は人生の推移パターンB・人生がだんだん良くなる人にとって。人生がだんだん良くなる人にとって、ネガティブ型いいねをする人物は、自分の成功を祝ってくれない。冷たい人であると感じるだろう。ポジティブ型いいねをする人物は、「自分によく共感してくれる味方」であると感じるだろう。

結論。いいね戦略論では、いいねをしてくる人のことを「良い人・味方」と感じるか、「悪い人・敵」と感じるかは、いいねされる人の人生が、中長期的に上向く見込みがあるか、停滞または悪化するかで全く異なっている。

 以上の議論を踏まえ、少し具体的な話をしよう。自虐や失敗談にいいねする人は、弱者に共感的な「いい人」なのだろうか。そうかもしれない。違うかもしれない。明らかになるのは、人生の推移パターンが「うだつが上がらない人」から、多少なりとも「だんだん良くなる人」に切り替わる場合だ。
 運が上向いたり、努力したおかげでそうなる事もある。

 この時、今までいいねしてくれた人が、自分の生活の改善や小さな成功にいいねしてくれなくなったとすれば。その人は「いいねパターンAは、ネガティブ型」だったと分かる。つまりその人は、うだつの上がらないあなたに共感していたのであって、あなたに成功されてはつまらないのだ。ルサンチマンだ。

このパターン戦略と思想、すなわち社会福祉に関心があるとか、左翼であるとか、そうした「やさしい思想」と少しは、または大いに連関があるかもしれない。自分より下だと主観的に看做した人間や、うだつの上がらない人間だから応援する、という人は、たまに存在する。そうした人物が仮に偉くなって弱者の味方の言動をしていても、共感できない。
逆に、右翼や保守的な人物はどうだろう。自虐や失敗にいいねしないかもしれない。あるいは逆にこちらの思想とも、ルサンチマンは連関するのか。実体験に乏しいため、よくわからない。

 最後に、今の議論を踏まえた実践的な結論。私はどちらかというと、いいねパターンB傾向だ。パターンBの人は、他人の成功しか称賛しない傾向がある。このため、例えば「能力主義者」であると受け取られる。実際冷たい人なのかもしれないが、冷たい人だと思われる事は不都合だ。
またパターンAの人で、でも自分はルサンチマンなんかじゃない、他人が停滞することを願ってはいない。本当に人の幸福を願っているという人もいることだろう。

このため、対象者の人生が良くなっても良くならなくても、あなたの印象を悪くしない合理的ないいねは、ある人が成功しても、失敗しても、確率半々程度でいいねするパターンCである。Cに切り替えた方がよいだろう。(私は、実践しないと思う)

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