今夜も無き誰とする理科室清掃の果てを
今夜も無き誰とする理科室清掃の果てを
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冬季、学校の午後。先輩と理科室の掃除をしていた。
「……もどかしいな」
先輩は掃除の手を断って、そう言った。……掃除して! もう!
「どうしたんですか?先輩」
「るりか氏、ここで言葉として発声ができない……モノが無いか?」
いや、なんですか『氏』って。先輩の話し方がなんか奇怪、機械的? な感じだ。……うーん、発声ができないって……どういう?
風邪ですか? 喉や鼻が痛いのかな。キャンディーとか持ってたかな……。いや、そういうことではないのか。言葉?
「……というと、例とかないですか?」
先輩は少し唸った。……いや、発声ができないって言っていたし、唸るのも当然なのかもしれない。……先輩はなんだか静かな話し方です。
「うーん……。ではこれ、コレはなんという?」
先輩の視線がなんかカッコイイ。……じゃないっ。先輩の手元のソレとは……。簡単な回答でいいのかな? ソレの名は――
「椅子です」
「うーん、そうか……」
「??」
先輩の思考が謎だ。椅子は『いす』で、発声できない言葉じゃなかった、のかな?
「そうだな……これは?」
そう言って先輩が持ったモノは――
「パステルです」
「……じゃ、これは?」
先輩が持った…………先輩の手、綺麗だな……。じゃないってば。先輩が持ったソレは――
「もも? ……んいや、りんごですか? ……う、うーん、どれも発声は問題ないですが……」
「んー!!」
せ、先輩は突然、りんごでパステルを突き立てた。……なんかこういうの流行ってなかったかな?
「ど、どうしたんですかいきなり!」
「『パステル』と回答したな」
「は、はい……。そうです。問題だったんですか?」
も、もしかして誤答だったのかな……。でもたしか『パステル』で正しいハズ……です。自信ないかも。
「そもそもこれは『パステル』ではない。……いや、ではなかった、と言うのかな」
「う、うーん……どういうことなんですか?」
「汝も拙者も、絵画を凝って描いたりはしないハズだ。ではなぜ『パステル』が存するのか?」
な、なんじって。せっしゃって。やっぱり先輩はなんか奇天烈です。でも先輩の言っている事は正しい。描きはするものの、腕はそうでもないし。……んー、でも……。
「当今は、絵画とか以外でも使うことが出来る、文字書き特化のパステルが新発売していて、自身も使っているんです! これ!」
「うーん、そうか……」
自身の書き物入れのパステルを数個取り出す……が、先輩は……唸っている。
「……続きだ。この『椅子』も『椅子』ではないんだな。……いや広義的な椅子なのだが」
う、これもそうなんだ…………。もしかしてりんごも? これが椅子じゃないとすると……うーん?
「な、じゃ、この『椅子』って実はなんて言うんですか?」
「そこなのだ」
そこ。とは。
「汝も拙者も、使いたい言葉が出てこない。出せていない気がするのだ」
「そうなんですか? そんなことはないと感じるんですが……」
「その『椅子』質としては軟化しているのは知っているな?」
「は、はい……とても。もこもこです」
その『椅子』を手でいじる。……なんだか楽しい。とってももこもこしていて固い感じはしないかな。これがどうしたんですか? 先輩。
「その『もこもこ』的な擬態語とは異なった言い方を拙者は望もう。どうだ?」
「う、うーんと……、そうだな……」
うーん、もう少し頑張って思考するか。うーんと……。
「『しなやか』ですか?」
「……うーん、いやもっと、そのモノ自身を模る言い方が……そう、できないのだ」
「そ、そうですか……」
どういうことなのかやや理解できなかった……。誤答だそうです。うーん、先輩の言っている事は難解です……。うう……。
「そうだ、もっと簡単な思考でいこうか。拙者は汝が数字を言うことを望もう」
「す、数字ですか。……零、ウノ、Tow、Three、四、五、セイ、七、やっつ、ここのつ。……でいいですか?」
……なんか、子供の数レッスン? 的な。
「いやいやいや、そこ、そこなのだ。何故、ジャパン、イタリー、いー……イギリスの語が混同しているのだ?」
「う、うーん、そういうものではないかと……『椅子』もそうです」
「うっそ……。では、Nowを、何……年、何月の何……Dayでどう言う?」
「うーんと、Tow-零-Tow-Three年、ウノ-Tow月、九日です。……その、自身はキリスト降誕の時はやることがないです……。せんぱい」
「んんん……そうか、いや、数を言うの難解すぎないか?」
ううっ……。スルーですか先輩……。先輩は聖夜とか関心がないのかな……。
「そ、そういうものかと。先輩どうしたんです?」
「うーん………………」
も、問題発生……? いや、先輩の観点ではもう発生しているのか。先輩は唸る。唸っている……。な、なんか拙いことを発したかな……。自身では理解出来ていない『発声の出来ない言葉』が……。うーん、先輩が言っていた『もどかしい感じ』を理解できない事こそがもどかしいな。もこもこしなやかな『椅子』と、先輩が使ったことのない『パステル』と……。
「せんぱい先輩、この『りんご』ってりんごではないんですか?」
……なんだこの質問!
「……んん? んー……そうだな。広義的『りんご』……いや『もも』か。なのだが、誤解が発生するな。正しい言い方の近似では――」
「は、話がズレるのですが、しりとりで『りんご』の続きというか、定番ってなんですか?」
「しりとり、か。しりとり、りんご、ご……。ご、か。るりか氏はなんと言うのだ?」
「うーんと『鮴』です!」
そりゃ鮴です。カジカです! しりとりは『りんご』の次が『ごり』で、一旦『り』と戻るトリッキーなのが定番なんです。……確か!
「ごり? ごり……水生で脊椎生き物の名か。」
「そうですそうです!」
「いや、拙者はもっとこう……。ご、ゴ、うーん……。人類の祖の近似的な……その生き物の名をやはり発したいが発せないのだ……」
「うーんと……ハッ、モンキーのことですか?」
先輩の言う生き物は理解できた。でもその名は『モンキー』では……。
「きっとソレだ。その~……そのモンキーが、ゴなんとかという名なんだ。たしか」
「こ、これが、先輩の言っている『そこなのだ』ですか」
「そうなのだ。ここなのだ」
んんー、そっか……少し理解できたのかも?
「しりとり、やるか」
突然! ……でもないか。
「なっ、はい! 先輩が先攻でどうぞです」
「では……『しりとり』」
「『りんご』です」
「『鮴』」
「『理科室』です」
「では『津軽』」
「る、うーん『留寿都』です」
「『月』」
「『金星』です」
「『隕石』」
「な、なんか理科的な言葉がいっぱい……? 『キャンディー』です」
「んん……では『ディーゼル機関車』」
「す、すご……『シャイ』です」
「『イーゼル』」
「る……『類義語』です」
「『豪雨』」
「『雨季』です」
「『霧』」
「天気が続いてる……うーん、り……『立夏』です」
「『回雪』」
「『艶』です」
「『夜行列車』」
「しゃ、うーんと……『車庫』です。……自動車を入れる『シャコ』です」
「『国歌』……カントリーの歌の『コッカ』」
「『カッレ』です」
「……イタリー好きなの?『歴史』」
「そこそこ? かもです……『下関』です」
「と、感じてたがジャパンの藩。……『木曾』艦隊の『キソ』」
「そ、そ……『ソナタ』です」
「ん、イタリー語だな……『束』」
「ば……ばいうぜっ……『梅雨』です」
「……それは失敗だな?」
「ん、んはは……い、一敗ということで……」
ううぅ~っ梅雨前線~~……! 先輩は長い言葉を使っていてすごいな。自身はというと何故か意図せずイタリーの言葉を使ってたな。なんでだ。
というかそもそも……。
「何故しりとりを? いや、楽しかったのですが!」
「発する事が出来ない言葉がないものかと」
「そうですか。うーん…………。無かったですか?」
「いや、そもそも発せないのは言葉ではない気がする。文字単位で発せていないのだ。きっと」
……そこは言いきって!先輩っ!
「も、文字たんい?」
「そうだ。るりか氏、ジャパンの仮名を書いてたもれ」
「は、はい……」
たも、て。もう一回子供のレッスン的なことをやっている。書こう。
「……こうでいいですか?」
「……うっそ。……いや、理解したぞ」
「ど、どうしたんですか?」
「るりか氏としては、仮名の列はこれで正しいのか?」
「は、はい。年が四の時だったか、仮名の列ってこうですーって、母やパパとレッスンをしていた気が」
や、どうだったかな。年がThreeの時かも。当時は、この仮名の配列が基礎だぞって、母とパパが叩き込もうとしていたし、自身でも頑張ってレッスンしていたものの、なかなか脳が……判断や理解が出来ていなかったな。懐かしい。……いや全然、年はウノ-四なのですが。
「そうか……」
「先輩の、うーん……先輩の感じでは、この仮名の列では問題が?」
「そうだな。……拙者の感じる真の仮名の列とは、うーん……。Two、Three……いや、Nineteen足す四の数、文字が足りない」
「そ、そんなですか!?」
Tow-Three文字も無いと感じているのか……。いやいや、いっぱいすぎるじゃん! ……半数?
ってか、なんで先輩ウノ-九つと四を足したの……。ん、これが『そこなのだ』なのかな?
「そうだ。うーんと、し……四、セイ? 文字の大半が無いな。……だが汝はそう感じていないという点が、奇怪な事態ということを物語っているのだ」
それで先輩の話し方も、意図せず奇天烈な感じが出たんですか……そっか……。
自身では気づかなかったというか、これで問題ないし、そもそも足りないとも感じないこのズレ……。どうすれば戻る……もどる? というのもなんか、それこそ奇天烈じゃ? うーん……。
「で、だ。拙者は気付いた」
「はい?」
「汝の名はなんだ?」
「き……『木矢るりか』です」
「うんうん、そうだな。では拙者の名は?」
「それは――…………んんっ?」
先輩、なんて名だったか。パッと浮かばない。いや、知っている。知っているんです。
「う、言うことが出来ないってこういう……」
「そうなのだ。拙者は自身の名が言葉として、文字として出てこない。ただただ拙者は『木矢るりかの先輩』ということで存する。そういう『この世界と対する奇怪な者』なのかもしれない。……なんてな」
「…………」
「では、強引だが拙者自身の名を発声する」
「…………! は、はい」
先輩の名は……。
「××××××」
……? 聞き取れなかった? いや、先輩の顔口はデカい動きだった。
「せ、先輩、発声したんです……か?」
「……では、もう一回。……××××××、という名だ。聞き取れたか?」
「…………。聞き取れないです」
言葉が出なかった。……なんか悲しいな。
「拙者の名は、るりか氏が書いた仮名の列の、隙の文字で構成している名なのだ。どの文字も、無い」
「そ、そこの文字が自身では聞き取れない、理解できない……んですか」
「きっとそうだな。他の者もそうではないかと想像している」
…………。
「拙者の視点としては、やはりここは拙者がいつもいる世界ではない。そう、拙者は異なる世界の者だ。そうだ。そうなのだ。」
「そ、そんな想像の物語的な事なんて……」
先輩の話がどんどんデカい物となっている。う、うー、難解…………です。
「それか……、るりか氏、んん……世界が少し以前生成仮説は知っているか?」
「は……うーん、大体は」
「それかもしれない」
「で、でも……ずっと過去の……自身の年が四の時点で、先輩と話していたことが……」
そのはずだ。先輩とは付き添っている時間がとても長い……長いもん。
「言い切れないのがこの説なのだが。で、だ」
「……は、はい」
「ここで、パッと拙者が世界と離脱し、元の世界移動をすると、どうなるか」
「戻す……戻る? どうやってですか? そんなことが可能なんですか? で、でも、せ……、先輩は?」
「こう、手を、パン。と」
……そ、そんな簡単なやり方で……??
「るりか氏とはここでバイバイかもしれんな。ずっと。そもそも拙者はこの世界の者ではないので……。きっとるりか氏の中で存する『拙者の記し』を失うかもしれない。これも想像だが」
「…………」
そ、そんな……先輩の記しを失うなんて、嫌だな……。
「ではやるか。バイバイ。木矢るりか氏」
「や、先輩!? 嫌です! せんぱ――――」
パッ
…………。
………………。
「……! ……きや! どうした!? 木矢!」
「ううっ……。先生……?」
うーん……? 気がついた。……気がついた? 掃除で……、転倒かなんかして、気を失っていた……? 運動のレッスンの鉄鬼先生がいた。
「き、木矢、意識は問題ないか? 脳は? 全身も……」
「も、問題ないです。どうもです先生……。」
「んん、木矢、いつ理科室の掃除を開始した?」
う、うーんと……脳が痛い……。いつだったかな……。
「ウノ……すぎ? Two時以前だったかと……」
「そうか……。いやしかし『理科室の掃除当番が木矢しかいない』とは……。何故だ?」
そ、そうなんです……。先輩も後輩も当番がいなかったそうで……。何故だったか。いつも単身で掃除していた……んだったか。
「前回も……自身が掃除していたのですが……。うーん……」
「その、なんだ、今度、当番の人員を一新するか。……木矢、もう帰途ついていいぞ。残りは先生がやる」
「先生……。し、深謝です……。ではその……バイバイです」
「ん、ではな」
……帰途。掃除の中で気を失うなんて……。疲れてたのかな……。
やっぱり、どうしてとてもデカイ理科室を、いつも単身で掃除出来ていたのか。なんか奇怪だ。
……っていうか、学校の理科室、なんでもこもこな『ソ××』とか、誰かの『××ル×ン』や『×ん×ん×つ』とか、りんご……じゃないな『××タリン』とかが存するんだ……。そんなの掃除当番が掃除や管理するものじゃないし……。
…………?なんか、大事な事を半数程度、失っている気がする。
完
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この記事は
【言葉童戯 待降節 歴 2-0-2-3】の加勢、臨席している記事です。