化粧した顔としてない顔、どっちが自分の顔?

こんな時間にnoteを書きはじめるなんて。気がおかしい。

今日は(もう日を跨いだので昨日は)もう木曜日だが、今週に入ってはじめてメイクをした。

それがなんだと思われるかもしれないが、これは私にとって異常事態だ。月火水と、一日中家にいたわけではない。それも月火は授業があって大学に行った。水曜は友人と夕食を共にした。

私は少し家の近くのコンビニに行くだけでも、化粧をせずに、髪を整えずに行くのにはかなりの気力がいる。それでも準備をするのがおっくうなときは、どちらがよりストレスが大きいかじっくり考えて選択する。どうしても出かけなければいけない時は帽子をWurtsのボーカルぐらい深くかぶって行くし、どうしても出かけたくない時には家に食べ物がなにもなくても外に出ない。

これは私が幼少期から容姿のことでいろいろ言われて育ったからだと思う。思えば幼稚園に通う頃から顔の特徴を動物に例えてからかわれたり、中学高校に入ってからは体型のことを陰で言われたりしてきた。高校からは仲良くなった友達が、休日はもちろん、学校にも化粧をしてくる子が多かったので、それに合わせて浮かないようにメイクを覚えた。

いまでは考えられないが、高1の頃はメイクのことで先生に放送で呼び出されて友達と叱られるような日々を過ごしていたものだ。だが、当時はちょっと悪いことをしようとか、先生に反抗したいとかそういう意図は全くなくて、とにかく自分の容姿を隠したくて必死だった。学校についたら真っ先にトイレに向かい、怪しまれないように周囲を確認しながら鏡で自分の姿を確認した。

今週化粧をしない日が続いたのは、計画的なものではなかった。連日家を出るぎりぎりの時間に起きてしまって化粧をする時間がなかったし、そもそもする気力がなかった。

もうどうでもいいやと半ば投げやりな気持ちで大学に向かったら、これが案外良かった。なんとなく顔が軽く感じて、誰かに見られているような気持ちにもそこまで苦しまなかった。(この日雨が降っていたのもあるかもしれない。雨の日はみんな傘をさして視線が気にならないから、いつもより調子がいい。)

化粧をひとつのオプションとして捉えられたような気がして、ひとつ壁を乗り越えたような気になっていたんだと思う。

でも次の日同じように化粧せずに大学に行ったら、やっぱり居心地が悪かった。誰にも見られないように、早く帰りたいと心の中で何十回も願った。

そして今日、バイトがあったのでいつもやっていたようにメイクをしたら、何も気にせず安心して一日過ごすことができた。エスカレーターの横の鏡に映る自分の姿を見ても何とも思わなかったし、何より人の目を見て話を聞くことができた。

でも、家に帰ってふと鏡を見たら、そこに映る自分の顔に違和感を覚えた。もともと真ん丸な目はアイラインで少し切れ長に成形されて、アイシャドウは瞼に影を落としていて、なんだか自分じゃないみたいで、とても気持ち悪く感じた。

化粧をしている自分の顔、化粧をしていない自分の顔、どちらが本当の自分の顔なんだろう。いままでの人生を過ごした時間でいうと、化粧をしていない時間の方が長い。でも今は、一日のほとんどの時間を化粧した自分の顔で過ごしている。化粧は私に安心感やワクワクを与えてくれるはずなのに、今はどちらの顔でいても落ち着かない。

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