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うおお

今日友達とカレーを作った。

夕方までひとり部屋にいて、誰かとちゃんと話すのがその日一日の中では初めてだったから、少しテンションが上がってたのかもしれない。

エントランスまで友達が迎えに来てくれて第一声を発したとき、自分の声が気持ち悪いと感じた。

こんなふうに思うのは初めてだ。いや、初めてではないかもしれない。あまり慣れてない人と気をつかって話すとき、不意に挨拶をするとき、僕は普段話している時より少し声が高くなる。

落ち着いて話してるときは特に気にならない。でも今日気持ち悪いと感じてから自分の声がすごく気になって、部屋に戻ってから好きな歌を小さな声で、ゆっくり、自分の声を確認するように歌った。数時間は歌った。

低い音、一音、声が途切れる。また一音。一音。僕は音域が元々広い方ではない。誰しも高い声は裏声を使えばある程度でる。でも低い音は、頑張ってもでない。ほしいものに手が届かない。どうしてもほしいのに。ゆっくり手をのばすけど、手のひらは空気をさらってまた戻ってくる。そんな感じ。

最近、服装に関しても悩んでる。自分が好きな服を着たいのに、それが特定の性に向けて作られているとしたら、なんだか、気持ち悪い。どの性にも縛られず、自分は自分でいたいのに、自分が何者かを常に証明しなきゃいけないような気がする。そんな必要ないのに。

歌も、服も、大好きなのに。

嫌いになりたくない。


そしていま全ての活動をシャットダウンしたい気持ち。『セックスエデュケーション』のキャルも言ってたけど、自分のことに精一杯だから他人のことまで背負えない。

当事者だけの団体をつくる意味がいままで理解できなかったけど、いまならわかる。中途半端な知識と興味で活動する非当事者アライと一緒になにかをしようとするのは、本当に疲れる。日本で活動すること自体疲れる。

ずっと0を1に、もしくはマイナスを0に近づけるなにかをしなければならない。でもどんなに頑張っても、毎回0.01にも満たないなにかにしかならない。僕は9を10にする、10の先を見据えるおもしろい話がしたいのに。

日本での活動になにか良いものを持って帰られるようにここに来たのに、日本で何が活用できると言うのか?基盤が違いすぎる。何かを変えられる気がしない。それに対しての労力がでかすぎる。そして何より、つまらない。

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