ミリ9thday1を終えて


お疲れ様でした。
結論から言うと、マジで、良かったです。

僕のミリオンライブはTBから始まり、以降周年ライブは全部見てました。

色々あって、本当に色々あって、5年…6年で、適度に距離も離れて。

すごく、適度な距離感で臨めたライブでした。


一応美也の動向は見てたし、SSRも引いてたし、コミュも読んでました。


そしてウキウキで迎えた9thライブ。

開幕の

『夢にかけるRainbow』

「私色の未来まで」
「私色の空向かって」


​───────美也の、色って?

少し、本当に少し、よぎったんです。

元々、美也のアコガレ、とか、目指す場所、とか。

黒い過去ですが、燃えたTCに関するお気持ち記事の中で少し語った事なのですが。

それが、分からなくって。


そんで結構早めに流れた美也の「Walking on the Square」


待ちに待ちに待った、美也のソロ4曲目。5thで初めて参加してふわりずむを聴いたその日から、待ちわびたソロの4曲目。

本当なら喉から手が出るほど欲しかったはずの新しい美也のソロ曲。

けど、なぜ?どうしてこんなにも苦しいの?

そう、演出が、美也…もとい桐谷蝶々さんを照らす照明が。それを彩る演出用のライトが

照らしていたのは、美也のキャラカラーでも何でもなかったのです。
サビや1番盛り上がる部分で見せた色は、青色や白色で。空や雲と出会ったという考えもできるかもしれませんが、やはりソロ曲の演出的に納得はいかなくて。

美也は、1歩ずつ1コマずつ歩を進めているのに、俺は?​───────​───────​───────

いつまでも昔を見て、新しい美也のことを蔑ろにして。新しい美也こそが、今を生きる、より生身に近く、尊ぶべき、慮るべき美也であるはずなのに。

そんな後暗い考えに苛まれてる時の

「永遠の花」
本当に好きな曲です。当たり前ながら、LTFの、美也もいたCDです。
僕のミリオンライブの初めてのCDは、これでした。

なんと、ゴリゴリのアレンジに驚く間もなく、桐谷蝶々さんの名前を見ることになります。

あの曲で最も大事で、最も印象的で、そして1番メッセージ性が色濃く出るラスト


「未来へと」


桐谷蝶々さん演じる宮尾美也さんの歌声のみが飾るこの言葉が、決定打でした。

以降はずっと、ライブ中だというのに、他の人がパフォーマンスをしているというのに、宮尾美也さんのことを考えていました。

僕はミリシタから宮尾美也さんをプロデュースし始めて、理解出来ないからこそ理解を求めて、並び立って、寄り添っていたはずでした。

けれどいつの間にかその気ままな蝶は、ふわりと空への1歩を、はばたいていたのです。

少しのズレから。ちょっとした空白から。僅かな沈黙から。合わなくなった歩みは次第に大きな歪みになっていたのです。


この辺りが引き時かな、と。この9thライブで最後かな、と。
美也と歩めた時間は、美也のこれまで歩いてきた時間と、この先歩いていく時間の中のごくごく1部だったけれど。
それでも、そんなひとときが自分の、そして何より美也の何かになってくれれば満足だな、と。

僕はそんな本の途中の1ページを切り取ったような作品、そして終わり方が好きです。
例を挙げるとすればジブリ映画の猫の恩返し。
アレなんかは特に、日常の中に潜む非日常を切り取って、このあともハルちゃんの日常は少しの変化を加えて続いていくよ〜
的な終わり方なんですよね。

だからまぁ、美也が自分の、きっとまだ見つけられずに模索している『美也色』を見つける時には、横に一緒に並んで立ってはあげられていないかもしれないけど。それでも、少しでもその道中に寄り添えたのなら、満足なのかな

なんて。

永遠の花が終わって、暫くはそんなことを考えていました。もはや、今流れている曲の内容が入ってこないほどに、真剣に思い悩んでいました。
ダイヤモンド・クラリティやFairlyTaleじゃいられないで蝶々さんが出て来て、見たことない宮尾美也さんを魅せられる度に、この考えは強くなっていきました。

「美也!美也行くな!!私を置いて行くなアアアア!!」と、半ば懇願するように、半分諦めるように、まるで滅びゆく無惨様のような気持ちになっていました


正直、ボーーっとしてたと思います。
けど、『咲くは浮世の君花火』
の文字が見えた瞬間、思わず、意図をしない形で、声を上げてしまっていました。

「眩しいほど華麗に 希望を咲かせてFire Flower
涙の代わりに 大きな輪を打ち上げろ」

メソメソしてる暇があったら、前向きな

「色形はそれぞれ 生きてる証を叫ぶように
さあ…今 煌めけ浮世の君花火」

僕は、この曲の「ありのままの自分の在り方を肯定してくれる」ような歌詞が、たまらなく好きで、本当に助けられてきました。
今回も、「君は君で良いんだよ」というこの歌詞に、まぁ物の見事にボコボコにやられました。マジで、本当にボロ泣きしました。
歴代ミリオンのライブで泣いた度ランキングを作るなら、6th仙台Cleaskyの虹色letters笑って!に次ぐらい泣きました。

「俯いてる誰かへ 勇気の花火が届くように
ホラ…今鼓動が響くよ君花火」

届きました。えぇ、届きましたとも。
俯いてた僕の心に、このままの自分で、美也に寄り添っていくことの勇気が。

「ねぇ、見上げてごらんと
見事に咲くのはFire Flower」
顔を上げていいんだと
上げた先には素晴らしい景色が広がってるよと

「思いの数だけ 大きな輪よ打ち上がれ」
本当に、数え切れない程の感情を、情動を、情熱を、美也に向け、突き動かされ、弄ばれました。
それだけ、大きく育った感情の引き波が、押し寄せてくるように

「色形はそれぞれ 生きてる証を叫ぶように
さあ…今 煌めけ浮世の君花火」
僕が生きてきて美也に捧げた証を、そのままの形でいいと、認めてくれたこの曲で、僕の花火は、

綺麗に咲きました。

咲いた咲いた君花火
一途に光った キラキラ光った
咲いた咲いた君花火
一途に光った きっとまたひとつ


それはもう美也に一途に真っ直ぐに、光って咲きました。

マジでずっとみっともなく、声を堪えて泣いていました。なんていい曲なんでしょう。僕はやっぱり、咲くは浮世の君花火が、好きです。


美也にようやく顔向けできる気がして。プロデューサーとしての僕が認められた気がして。

そんなところにまぁ追い討ちの「DIAMOND DAYS」

「歩いてく 夢の花道 君がいてくれた」
「それは一人じゃないから会えた」
「"ありがとう"これからも一緒に
終わらない物語の続きを 行こう 瞬間を信じて」

今までの道を振り返ってみれば、知らず知らずに寄り添ってきた軌跡が、そこに。

まるでアニメや映画のフィクションのようで。

今までは「選ばれたユニット」同士で向けていたこの曲も、今回は「歩んできてくれたプロデューサーへ」向けた曲になっていたように思います。


本当に、本当に救われた気持ちになりました。
この2曲の流れで、僕はもう晴れやかで軽やかな気持ちで、涙も拭かずにステージを見ていました。


正直、本当に正直、コロナ禍に入ってからのライブは、なんだかどこか物足りませんでした。
けど今回のライブは、6thぶりの満足感を得られた気がします。

そして同時に、これまでのライブで、曇ってモヤがかかっていたのも事実だと思います。

けど、このライブを見た僕は、今日から新しい僕です。


羽ばたく蝶を捕まえて、たまに疲れた時には止まり木になって、10年後まで待つ役割は、宮尾美也をプロデュースする者の宿命であり使命であり命題ですから。


終わらない物語の続きを、これからも美也と一緒に​───────​───────​───────








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