僕にとっての宮尾美也について #2
どうも、らいのふです。
宮尾美也さんの記念すべき誕生日ということで、久方ぶりに筆を執りました。
いつか言語化しようとして、4,5年温めてた記事を一部掘り返したものです。よろしくお願いします。
・みっつの側面を持つ宮尾美也について
さて、早速ですが僕はミリシタでは大きくわけてみっつの美也を見ることができると思います。もちろんこの側面に当てはまらない魅力が彼女には存分にあるとは思います。
今回は、その中でも大まかにみっつにわけた話をします。
・人物としての宮尾美也
・アイドルとしての宮尾美也
・少女 宮尾美也
このみっつです。
正直、大まかにこのみっつの側面のどこに興味を持ったか、どの美也にハマっていったか、というところで、同じ美也Pでも彼女に対するスタンスや理解が大きく異なると勝手に思っています。
・前提
『宮尾美也の貪欲さ強欲さと、諦観について』
どうも、ミリシタ大学 アイドル研究学部 宮尾美也学科 羨望諦観学専攻 らいのふです。
僕は「宮尾美也の諦観」をスーパーウルトラ極上一番最重要視しています。
「宮尾美也の諦観」って言う度に思うんですけど、ボカロ曲のタイトルみたいですよね
この価値観が、この記事の今後及び、僕の触れる宮尾美也さんの根底にあることを触れておきます。
諦観とは-1 入念にみること 2 仏教用語で明らかに心理を観察すること たいかん 3 諦めること
諦念-道理をさとる心。諦めの気持ち
(広辞苑第六版より引用)
前提のさらに前提として、
宮尾美也さんは強欲
です。テストにすら出ません。海は青く山は緑で陽射しは暑く雨は冷たく人間は愚かなことと同等に、明らかなこととされているからです。
彼女は確かに強欲です。ではどのように強欲なのでしょうか
彼女は沢山のものを欲しがります。なりたがります。やってみたがります。
そのための努力は惜しみません。犠牲も、コストも惜しみません。
これはきっと、趣味の将棋に多少由来するものもあるでしょう。
もっとも代表的なもので「歴史の教科書に載りたい」
「お天気お姉さんになりたい」
のふたつが挙げられます。
ほかにも、数え切れないほどのこれら称号などを欲します。
彼女が欲する万物、これら全てに共通している事項があります。
それは「宮尾美也自身が、手に入れられると思っているもの」です。
彼女は、手が届くと判断したものを、なんとしてでも欲しがります。手に入れようとします。そのために努力し、手を伸ばすのです。
時には途方のない夢や、周りに呆れられてしまうほどのものを欲します。それは彼女自身が手に入ると思っているから。
これが、宮尾美也さんの貪欲、強欲、及び傲慢さです。
では、それ以外は…?
彼女が「手が届かない」と判断したものは…?
そう、彼女は一度「手に入らない」「手の届かない」と悟ったものは、一切望まないのです。
これが「宮尾美也の 諦観」です。
彼女は、時に17歳とは思えない達観した価値観を覗かせるときがあります。
それはひとえに囲碁将棋会館に集まっているご老人たちの影響に依るものと思われますが。
宮尾美也の最も有名なセリフのひとつに
「人間、死ぬ時は死ぬものですよ〜」
というのがあります。
死を受け入れるというのは、そう簡単ではありません。ご老人とよく接していた彼女なら、親しくしていたご老人が亡くなってしまう経験も、そう少なくは無かったのかなどと想像がつきますが、それでもなかなか到達できる境地では無いでしょう。
他だとCleaskyのドラマパート、エレナが島から帰ってしまう一連の流れ。(面倒くさいことを言うとアレはミヤ役宮尾美也さんであり、あくまでも劇中劇なので本人ではないですが)
あのエレナが帰ってしまうことを聞いてから送り出すまでの落ち着き払った態度、考え。成り行きを受け入れ幸せに解釈をする。
彼女はエレナが島から離れ帰ってしまうことを、自分の手ではどうすることも出来ないと瞬時に悟り、受け入れ、その間に自分に出来ることを探しているのです。
僕はほかのキャラクターについて詳しくありません。ほかのキャラクターもそうなのかもしれない。けれど美也は特に、他人のものを羨ましがることがありません。
他の子が何かを成した時、彼女は「凄いですね!私も負けずに、ほかのアプローチをしますよ〜」というふうに言うのです。
彼女は彼女の出来る範囲で物事をこなすのです。
関連して
美也Pの中の俗説には「宮尾美也は勝負師である」というものがあります。
僕個人はどちらかと言うと「宮尾美也は負けず嫌いである」の方がニュアンスは近いかなと思います。
囲碁将棋を始め、たくさん他人と競争をする描写がされます。努力の描写もされます。
勝った時はとても嬉しそうにします。しかし負けた時、彼女はその悔しさをあらわにせず、ただ次を真っ直ぐに見据えます。
果たして、すぐにその負けを認め割り切り、次を見据えることが、どれだけの人間に出来るでしょうか。あったかもしれない勝ちに思いを馳せる時間をスッパリ諦めてしまうことが、どれだけ難しいことでしょうか。
僕はこの宮尾美也さんが時折見せる強欲さ、その裏に見え隠れする諦観と達観を、いちばん大切にしています。
正直この短い文章で全てを言語化し表すことは難しすぎるので、一部でも伝わればいいかなと思います。

4年前から主義主張が変わっていないの、キモくて良いですね。
さて、クソ長い前提も書き終えたので、いよいよ3つの美也についてお話していこうと思います。ここからしばらくは3年ぐらい前に書いて寝かしてたヤツをそのまま載せています。
ひとつずつ説明していきます。
・人物としての宮尾美也
これは他二つに比べ、何も着色されていない場合の、文字通り彼女の根幹に当たる部分です。
彼女はよく「ふわふわした天然でマイペースな女の子」と評されます。
なぜこの評価になったのか、僕なりの考えを書いていこうと思います。
まず、『ふわふわした』の部分。
これは確かに外見、髪の毛に関してはその通りでしょう。
次に、このゆったりとした喋り方は、前述した通りおじいちゃん子で、よく年配の方とつるんでいることからの影響だと思われます。
確かにゆっくりではありますが、そこに気弱さが乗ることは稀で、雄弁と、おおらかに、その器の大きさを表すように喋ります。

(なんでこの衣装の時に欲しかった言葉が出るんだよ…)
このおおらかさ、器の大きさには、前述の宮尾美也の諦観についてが関わっていると思われます。
その喋り方の緩やかさから『ふわふわしている』と評されているのだと思います。
次に『マイペース』と評されていることについて
マイペース(和製語my pace)-自分の自由な進度で仕事などを行うこと。
広辞苑第六版にはこのように記されています。
確かに、彼女だけ何か遅れている、ということはあると思います。しかし、それは果たして「自由な」進度であるのでしょうか?
そして、この言葉に近く、より美也に当てはまる言葉として『天然』というのがあります。
彼女は趣味の囲碁将棋(つよい)や、虹色letters第1話で勉強のはなしをしていること、言葉やことわざ、熟語を沢山知っていること、更には後述する『歴史に名を残すアイドルになりたい』という動機(歴史にもつよい)から、相当に頭がいい…勉学はある程度出来ることが伺えます。
このことから、周りとは少し違う視点を持って物事を考え、そのうえでズレたことをしてしまう。このことを一緒くたにして『天然』として、『ふわふわした天然でマイペースな女の子』という評価を貰っているのです。
「頭が良すぎて、周りとはズレた発言をする」そんな人間、周りにいませんか?
美也はきっと、そういうタイプの人間なんだと思います。
何も考えていない訳ではなく、むしろ頭が良すぎて、熟考をした上でのズレから生じた天然さだということを、理解して欲しいという主張です。
これがひとつめ、「人物としての」宮尾美也さんという側面です。
次に、「アイドルとしての 宮尾美也」
です。
まず、彼女は動機が少し特殊です。
この動機に強く惹かれたというプロデューサーさんも何人か見ました。

そう、「歴史の教科書に載りたい」
なんですよ。
もうスケールが違う。すごい
ここも「新しいアイドルが世界の歴史を変える!」という謳い文句を、頭のいい彼女なりに解釈をして、この動機にたどり着いている訳ですね。
僕が見落としてるだけかも知れませんが、正直この辺りの動機がハッキリしていないのは少しむず痒いので、今後何かしら過去の体験やその思考に至った経緯が明かされることを願っています。
或いはそういった突飛な思考こそ美也の本領のひとつでもあるので、思考の経緯が無いならないでも明言はして欲しいなと思います。
さらにこの後、こんなことも言っています

この『アイドルになって、みんなを楽しい気持ちにさせたい』という純粋で無垢な気持ちを、誰が否定できましょうか。
その手段として、彼女は「まずは自分が楽しく、嬉しく、幸せになる。それをみんなにおすそ分けする」という方法を選んだ訳です。
彼女にとって、幸せは伝播していくものなのでしょう。
(まずは自分が笑って〜って、なんだかヒロアカのオールマイトみたいですね。美也…平和と幸せの象徴になってくれ…)
これが『宮尾美也』のアイドル像だと思っています。
「楽しい美也ちゃんの姿を見てたら、なんだかこっちまで楽しくなってきた」みたいな
少し逸れますが、先の強欲さ傲慢さに当てはめてしまえば、この時点で彼女はこれら全てを達成出来ると判断しているわけです。いかに傲慢か分かりますよね。けど、それを達成させるために、出来る限りのことをするのが、プロデューサーとしてのあるべき姿ですよね。
これが「アイドルとしての」宮尾美也さんの側面です。
そして最後
「17歳の少女 宮尾美也さん」
という側面です。
僕はこの側面に惹かれましたし、この側面を見るのがとても好きです。
本題に入る前に再度言っておきたいのですが、特にここからは僕の見解の色が強いので、合わない考えの方もいるかもしれないという注意書きを添えておきます。
さて、少女宮尾美也さん
これはつまり、『恋する』少女であるという側面です。
これ、記事の最初の方を書いてる段階ではまだ『とおくとおくたかく』が実装されておらず、なんとここを書いている僕はその3年後の僕だということを明らかにしておきましょう。
皆さんこのカードはご存知でよね。
僕がサービス開始時に担当するキッカケになったカードです。その後すぐSSRが実装され、リセマラ後このカードを引き直すまで8ヶ月ぐらいかかってますね。
このカードのコミュは、ご存知でしょうか

この魔法、もちろんマジカルクイーンの魔法ですよね。好きに…なっちまったのか…
彼女のズルいとこは
「ん?そこまで踏み込んでいいの?美也は気にしてないみたいだし、いいのか」
で踏み込んだあと、カウンターのようにボソッと嬉しい旨を伝えてくるところだと思います。
正直僕の中で、このカードが女の子としての彼女の全てだと思っています。
他にも、グリー時代の「ミリオンシアター 第9幕 宮尾美也」のセリフなんかも良いので、ぜひ調べて見てください
ここからは老害臭い愚痴にはなるので、適当に読み飛ばして欲しいのですが、
最近の美也は段々ストレートに想いを伝えるようになっていて、悪く言えば陳腐になってしまったなぁと感じる場面が増えました。
もっとこう、殺意を気取らせずに俺に近付けさせてから内臓を抉るような鋭いボディブローをかまして欲しいなと、最近の女の子の美也を見ていて思います…
以上が3つの側面から見る宮尾美也です。
ソロ曲
それは分かったが、で?
という疑問に対しての答えが、「ソロ曲」です。
彼女のソロ曲は、上で挙げた3つの側面を描いていると考えています。
まずは『人物としての宮尾美也』さん
これは『ふわりずむ』ですね。
「前だけ見つめて 進むと決めたから」
これも、負けず嫌いの項目から言わせれば理解しやすいかと思います。
他にも、普段の美也の立ち居振る舞いに関する歌詞が多いかと思います。
象徴的なのは
「雨のち雨かも… そんな時は心の傘を広げよう」
だと思います。
再三言っていますが、彼女は自分の手の届く範囲で彼女に出来る最大限行う人間です。天気はどうしようもない。この後雨が降ることも変えようがない。では今彼女にできることは何か
そう、傘を広げることです。それも、思いっきり
それが
ふわりずむ 私らしく
なのだろうと思います。
次に『アイドル 宮尾美也』
『ハッピ〜 エフェクト!』ですね。
〜 ではなくー にしたり、スペースを入れないとガォーさんが来ます。気を付けましょう
美也は運がいいとか、良いことばかりが起きる、逆に運が悪く悪いことばかりが起きると言った特筆すべき体質は持ち合わせていません。
しかし、彼女は身近で些細なことをも幸せ、と、良いこと、と捉えられてしまうのです。
オーディナリィ・クローバーの歌詞にもあるとおり、気付いていないだけで、ありふれた事象さえも、捉え方一つで幸せな出来事だとできるということです。
そうして幸せを摘みあげて、彼女自身が幸せになることで、みんなを幸せに出来る。
そんなアイドルとしての彼女の思想が、あらゆる歌詞から滲み出ています。
笑顔のバトンを繋げて世界をHAPPYに。これがバトンタッチ…ってコト⁉️
『少女 宮尾美也』
『初恋バタフライ』
正直ね、この曲の解釈って十人十色だし、それぞれが正解だと思っているので、これに触れるのめちゃくちゃ怖いです。
だからSSR初恋バタフライが実装されると聞いた時はありえない情緒になって体調不良になりました。結果あのメインコミュは解釈のひとつとしてはありよりの無しかなと思いますが、やっぱりそもそも明文化しないで欲しかった気持ちがあります。
カードの覚醒コミュは全てを有耶無耶にして心の拠り所をくれる素晴らしいコミュなので、まだの人は是非
怖いけど触れますよ!そういう記事ですから!
灼熱少女に属している程、宮尾美也は負けず嫌いで熱い女です。
その恋も燃えるような熱さです。素直に言えないその胸の炎を、それでも熱く歌い上げている。そんな曲です。
「三歩だけわざと離れて あなたの影に寄り添ってる」
歌詞、天才か???
ジレるハートに火をつけて
すごいタイトルですよね。マジでコレ
美也、ジレすぎ(????)
本当は今すぐあなたに連れ出して欲しいけれど、自分からは出来ないから。今すぐに答えは出せないから、スローペースだから、ゆっくり、10年先まで見据えて、そのトリガーはあなたが引いて欲しい。それまでは逃げないように、止まり木に、虫かごになって欲しい。
そんな曲です。
いや、この曲について語り出すとキリがないですね。
おまけ
じゃあ『Walking on the Square』は?
僕は、これは上記3つの点として見た宮尾美也さんの曲ではなく、これらを繋ぎ合わせた時の『線として』『面として』造形を持たせた宮尾美也さんを表す曲だと解釈しています。
したたかに前だけを見て歩き続ける。そんな現在進行形の、等身大の宮尾美也さんを表した曲だと思います
つまり何が言いたいのかというと、以上の大まかな分類分けをしたあとに、その視点で曲を聴いてみると、また違った景色になるのではないかな〜と。
これを読んでくれた方が、次に美也の曲を聴く時、少し違う視点で楽しめる手助けになれば幸いです。
曲に限らず、「このお話の美也はどの側面に近い美也かな〜」
という楽しみ方も出来ると思います。
最後に
5,6年ぐらい僕が勝手に言い続けてる2大テーマ
「宮尾美也の諦観」
「3つの美也」
について、不完全ながらも一旦言語化出来たことに安堵しています。
ここまで主義主張が変わってないなら、未来永劫変わることは無いだろうなと思います。
今後美也について触れる時、ここから引用することが増えるかなと思います。
長々とお付き合い頂きありがとうございました。
最後になったけど
美也!誕生日おめでとう!もうすぐ出会って7年になるとか信じられないし信じたくないけど、俺との10年記念日も、その先も、ずっと祝っていくから、よろしくな!
らいのふ
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