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ねこが急死した

 人生のほぼ半分を一緒に過ごした猫が火曜日(2023/09/26)の午前1時40分ごろに死んだ。それまでに経験した喜怒哀楽、辛酸を考えると40分間に起こったのはあまりにもあっけない死だった。
 5月に生まれたことから名を菖蒲(しょうぶ)といい、菖ちゃんと呼ぶ。
 突然のことでこの辛さを表すにはこれまで書いてきた数十万字もの創作物は何の役にも立たないが、貴重な経験をしたので書く。

 一度肺炎を患ってからそれまでの数年間慢性鼻炎に悩まされていて、かつよく少量の水を誤嚥していたので、もしかしたら若干の気管支炎も慢性的に持っていたのかもしれない。昨日、いつもと違う様子の咳をしていたので、かかりつけの動物病院で診てもらい、気管支拡張剤を注射してもらっていた。
 いきなり母に叩き起こされた。僕の寝床の真横、いつも寝る場所ではない畳の上で、四肢を投げ出して、深いいびきをかいている菖蒲と、失禁でできた畳の染みを見た。このいびきは気道が狭まったとき出る音である。来たる日がこんなにも早かったかと、すぐ後の彼の死を直感した。
 彼を生かすために今できることは何もないし、仮にできたとしても苦しく短い余生が後付けされるだけだ。ブドウを採れなかった狐のようにそう言い聞かせて、じっと手を握る。自分が感じられず目の前の他者が感じている未知の苦しみに対して真摯ではない気がしてそれ以上何も考えたくなかった。
 最後に際して自分ができる一番の奉仕をするしかなかったが、本音を言えば今にも逃げ出したかったし、あまりにも辛いから、どうせなら自分の知らないところで死んでいてほしかった。でもせっかく経験する貴重な体験だということで、辛いながらもその全てを覚えていようと努めた。
 見守り始めてから一分もなかったと思う。最後に一度、溜めた少ない空気を全部吐き出した後、りきんだ彼の腕の震えが綺麗に消えた。
 それから舌を仕舞い、かっぴらいた目と口を閉じてから保冷剤と一緒に十分な大きさの段ボールに安置して、ペット用の火葬場にメールをよこした。


 父がこの顔を、眠っているようだと言った。この言葉を素直に受け取れなかった。これは作られたいわば死に化粧で、その死に様はとても直視できるものではなかったから。
 しかししばらく経って、こうやって整えてあげて良かったと思えるようになった。自分もそのうち、この写真を見るたび彼の安寧を思い込むことができるようになった。


 家族ロスから立ち直るにはいつもと同じ生活を続けるべきだと思い、そうした。これだけ気分が落ち込んでいると通学の道すがらバカ騒ぎしている同年代に出くわしたとき余計に腹が立ってくると思っていたが、実際に出くわしてみるとむしろ自分と関係のない世界を生きているということを明示してくれている気がして、自分も数多織りなす日常生活に乗っていけた。
 ただ、家の中でだけは日常を暮らすわけにはいかなかった。猫はめったに鳴かず物音も立てないのに、彼のいない家は、玄関に立ったその瞬間にいないことがわかるくらい静かだった。


 自分は個人から肉体を引いたときに何かが残ると考えているらしい。これを魂と呼んでおく。生き物の死後魂がどこに行くか、あるいは肉体に残るかは知らないが、どうも彼が死んだ後もどこからか見られているような気がして、その遺体を扱うとき非常に強い畏怖を感じた。魂を信じなければ、その点でどこか割り切れただろう。この畏怖はきっと、生きている間には原理的に得られない経験を通過した者に対する畏怖、あるいはそれに加えて畏敬も含まれるだろうか。こういった地球上の生者が至れない境地にいる者をある種Bloodborne的な上位者と考えている節がある。
 一方で、魂の存在を疑うほど徹底された寂静に怯えた。魂は生身で観測可能な部分にインタラクトしにくいと言えばそれまでだが。生き物の死体は動かないだけではなかった。関節を曲げると曲がったまま、猫らしい格好には戻らない。足の裏を押すと脚を伸ばして押し返してきたが、それもない。とにかく生きている間は、不快な関節の角度を無意識に修正しているようだ。抱けば抱かれやすい姿勢をとって収まりをよくしてくれるが、もう抱いたまま、腕の間から零れるようにして肉体が逃げていく。動かない人間は想像以上に重いという話はこういったことが原因としてあるに違いない。


 猫が死ぬと毎回家族の誰かが家の中で人影ならぬ猫影を見る。今回は4人のうち3人が経験したし、残る1人は水を飲む音を聞いたという。たとえば家を出る際に、いつも彼が家を出る人を見送る場所に猫の形をした影を見た。この現象を起こす原因として考えられるものが二つある。

・魂が光にインタラクトして人の目に影を見せた
・見えると思っているものを見た

 前者は今のところ確かめようがない。
 後者は、エレベーターに乗り、ボタンを押し忘れていて動かなかったときのことを思い出してほしい。ボタンを押し忘れていたことを思い出すまではエレベーターは動くと思い込んでいる。そのせいか、実際には動かなかったにもかかわらず、自分が上か下に動き始めたような感覚を経験することがある。
 彼が生まれたほぼその日から9年一緒に暮らしたので、彼がよくとる行動はその子細まで覚えている。今寝ているなとか、自分が玄関にいるからあの物陰から覗いているなとか、彼の場所を確認するときは彼の行動にあたりをつけてから実際にその姿を探す。この"あたり"にはだいたいここにいるだろうとの確信もついているので、エレベーターが動かなかったときと同じように、経ると思い込んでいた感覚を自分が勝手に作り出して経た、ということだ。


 白血病の治療と合併症を経験したので、死ぬほどの苦痛を自分が感じたことはあった。しかしそれを他者の主観として経験したことは今回が初めてだ。
 例に漏れず、若年者というある部分で徹底的に共感を欠く層が自分の社会生活の構成員のうち多くを占めていたので、人から助力をもらうには自分の苦痛を精一杯表現すべきだと考えて、二度目に痲薬を使うタイミングであった神経麻痺が起きたときにそうした。それが一段落ついた後で看護師が、目の前で苦しまれているのに痲薬の使用判断が下りるまでに時間がかかりそれ以上何もできなかったのがかなり辛かったと仰った。
 今回自分がその看護師と似た立場にいて、その辛さを知ることができた。何もできないがせめて隣にはいようと思い、強張る腕に手をただ重ねていた。もう少し自分が短絡的だったなら、首を絞めるかして、「ジェーン・ドゥの解剖」のように彼の苦しむ時間を縮めていたと思う。仮にそうした場合、きっと彼は最悪の気分で死ぬことになっただろうから、しなかった。


 変わった部分にも新たな気づきの種をもたらした。この話題は書きたいことが多すぎてこれだけで一編のnoteを書けるくらいなので、近々書くかもしれない。
 自分はリョナラー(アクセントは「有り体」)だ。性的嗜好に暴力を含む。肉体のみならず精神的な苦痛に重きを置いていて、しばしば両者のコミュニケーションは破綻するので、(現代の意味で)協調が必要なサディズム/マゾヒズムとは区別される。この嗜好自体や関連創作物のジャンルをリョナ(アクセントは「支那」)と呼ぶ。また、そんな作品を嗜む際に感情移入する立場が加害者か被害者かは人によるが、実はどちらであるかを自覚できる者は少なく、ほとんどの場合加害者のほうに感情移入していると思い込んでいる。(いじめにも同じことが言える。被害者の気持ちがわかるからこそ余計に楽しくなるものだ。)
 自分がその類の創作をするとき、自分のトラウマティックな経験をふんだんに盛り込む。当時何をどう感じて感情や考えがどう変化したかを記憶から詳細に分析して創作物に落とし込む。どうもこれがトラウマとそれに関連する感情の整理に一役買っているようだ。ただ、少なくとも回避症状があるうちはやめたほうがいい。自分はしばしば今回のようにこれを破って、体調を崩す。
 キャラクターは自分ではない。キャラクターに自分と似た立場や経験を用意して創作を進めるということは、自分以外の考えや選択を再現することになる。客観でなくとも他人の主観を取り入れれば、ただ反芻して自分を苛む出来事にも、新しい落とし所が見つかることがある。もし見つからなくても(キャラクターが出来事を打開できな/落とし所を見つけられなくても)、誰だってそりゃ苦しまないわけないよな、と諦めがつく。


 晩年の彼の体調は決して万全と言えるものではなかった。
 二十何世紀も前、一切皆苦という言葉が生まれた。また苦行に自分なりの意味を見いだして克服、覚悟するには相応の知能というか、人間らしい知能が必要となる。ということは、それを持たない、持ちにくいとされる他の動物の苦しみは何も生まないのだろうか?
 だとしたら、何も生まないとしたら、動物が一切皆苦の世を生きるのは辛いだけなのではないか?そう思った。
 きっとそんな問いから生まれたのが畜生道という概念なのだろう。自分も、彼の死からしばらくはそう考えていた。此岸で畜生を生かしかわいがるのは、苦行多き此岸に、彼らをいたずらに引き留めているだけなのではないかと。そう考えて、殺すことはないにしても、せっかく二酸化炭素による安楽死で比較的苦しみの少ない死に方が約束されている動物をあえて飼って延命することもないだろうと思った。
 それから落ち着いてものを考えられるだけの時間を経た。仮に人間よりずっとある分野における知能が高い生物がいて、苦行から人間が至らないような考えを持つことができたとしたら、僕は絶望して自殺するだろうか? いや、結局それまでと変わらず生活するだろう。つまり、苦しみが苦しみしか持ち得ないからといって、安易に生を諦めるべきではない。他者の命とあらばなおさらだ。
 だから、また猫を飼い直そうと思う。49日を過ぎたら改めて譲渡会について考えようと家族で決めた。
 死に際するこういった考えの変化も、人間でも何でも、他者と暮らすことの醍醐味だと思う。少なくとも自分のような人間にとっては、愛別離苦は危険かつ大変良い情操教育になる。


 今のところ全てを書けていると思う。また何か思い出したら追記する。

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