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「ウェブ小説は精神のポルノだ」という言説について思うこと

小説家になろうを始めとする小説投稿サイトで流行る作品の多くは「精神のポルノ」だ、などと言われることがある。これはウェブ小説を揶揄する側だけが言っているわけではなく、実際に小説家になろうから再デビューを果たしたプロ作家にもそう言っている人がいる。全員がそうだとは思わないが、読者への徹底したサービスこそがウェブ小説界で成功するコツだと思っているプロが存在することは確かだ。

今は状況が変わってきているが、一時期はチート的な能力であるとか、ハーレムであるとか、読者の欲求をストレートに満たす作品が受けていた時代がある。チート能力を活かして異世界で絶賛される体験は承認欲求を満たし、ハーレムは性欲を満たしてくれる。性欲も承認欲求も人間の基本的欲求だから、これらを満たすことのできるコンテンツは強い。異世界のグルメものも一時期は強かったが、これは当然食欲と結びついている。

一方、ウェブ小説のそうした傾向を批判する動きもまた存在する。そんな安易な方法で読者を釣るのではなく、もっとよい物語を書くよう努力するべきだ、というものだ。ウェブ小説よりも一般の小説を好んでいる層の一部が、こういう主張をする傾向があるようだ。プロの優れた物語に多く接していると、読者の欲求にダイレクトに訴えかけるような作品は低俗だと思うようになるのかもしれない。(実際は「精神のポルノ」とみなされる作品もそういう要素だけで成り立っているわけでもないのだが)

私はウェブで成功できた人ではないので、どれくらいのウェブから書籍化を果たした作者が「ウェブ小説は精神のポルノだ」と思っているのかはわからない。しかし、こういう言説自体が、主張者の意図とはまったく別のところで、一種のポルノとして流通する可能性があるということはわかる。つまり、「そうか、私が評価されないのは、『精神のポルノ』などとは異なる高尚な作品を書いているからだ」という自己認識を持つ作者が出てくるかもしれないということだ。評価されないのは作品ではなく、場の問題なのだ、というわけである。

だが、自作が評価されないのは「精神のポルノ」ではないから、とは限らない。純粋に作品がつまらないというだけのことかもしれない。事実、ウェブでも「精神のポルノ」的でない作品でも受けることはあるし、書籍化することもある。そういう現実から目をそらしたい人にとって、「ウェブ小説は精神のポルノだ」という主張は救いとなる。この立場を取る限り、自作の欠点と向き合う必要がなくなるからだ。

「精神のポルノ」しかウケないかどうかはともかく、ウェブでウケやすい作品や作風というものは現実に存在している。自作とウェブのマッチングが悪いということがわかったとき、どうすればいいか。ここに正解はないが、「ここは精神のポルノしかウケないから、自作はウケないのだ」という考え方は、どんな具体的な行動にも結びつかない。ポルノ自体は悪いものでもなんでもないが、過剰摂取はやはり人をスポイルしてしまう。

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