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キッカケ

ヴィーガンを始めてから約三年。最初のキッカケは四年前、授業で鶏の屠殺をした事。
私の母校では、命の大切さを学ぶためにソレを行うのが伝統だった。その授業のことは入学前から知っていて、その上で命に触れたいと思っていた。

孵化したヒヨコは日に日に大きくなり、あっという間に成鶏になった。期間はだいたい四ヶ月とか、それくらいかな。その間、毎日生徒がご飯をあげて、床のそうじをするわけで、だんだん愛着も湧いてきた。私が担当した子には金太郎(キンちゃん)って名前を付けた。抱っこすると温もりが伝わって、当たり前だけど、生きているんだって実感した。
思い出すとまた抱きしめたくなる。

私は屠殺の直前まで、キンちゃんを抱きしめていた。私とキンちゃんの前で次々と鶏たちが殺された。首を切られた子は吊るされていった。さっきまで元気に鳴いていた子たちが。
私は怖くて怖くてたまらなくて、キンちゃんを抱いたままコンクリートの影にいた。
私の番は最後だった。「頸静脈切ったら一瞬だから」「苦しませないで逝かせてあげよう?」
先生はナイフを持ってそう言った。
私は目を瞑って暴れるキンちゃんを抑えた。少しして動かなくなって目を開けた。
血まみれのナイフ。血が流れる床。横たわるキンちゃん。
本当に一瞬。
涙が止まらなかった。それと同時に、「終わったんだ」っていうちょっと安心感。

その後、みんなで羽をむしった。引っ張るとプチって音がして意外と簡単に抜けた。丸裸になったらお腹を開けて臓器を出していった。その時には、あんなに泣いていた生徒は嘘みたいに、生肉を切り裂いていた。もう普通の人間には戻れないと思った。

授業を終えてからも私は変わらずお肉を食べていた。その度にあの日のことを思い出した。私以外の生徒もそうだったのではないかと思う。みんな担当した鶏のことを我が子のように大切に想っていたから。でも、キンちゃんを殺したからといって私の生活が変わったわけではなかった。

そんな時、友達(母校の生徒ではない)からダンテさんのInstagramを紹介された。ヴィーガンの人ならご存知だろう。

私もダンテさんのSNSを見て人生が変わった一人だ。まず、ヴィーガンという生き方に驚いた。それまで、どうぶつを食べない選択肢などなかった。私はこれまでどれほどのどうぶつたちを傷つけてきたのだろうか。どうぶつが大好きなのに知らないうちに自分が加害者になっていたこと、その意識もなかったことがショックだった。
お皿の上に並ぶお肉やお魚がどうぶつの姿に見えるようになった。どうぶつたちの泣き叫ぶ声が聞こえる気がした。

当時、叔母の家に寄宿していたが、一人暮らしを始めた。それを機会に動物性食品を摂ることをやめた。簡単な料理しか作ったことがなかったから、ヴィーガン料理を作るのは難易度が高かった。スーパーに行って商品裏の原材料を見て「あーこれもダメか」と苦戦した日々。そんなこんなを積み重ねていくうちに、「コレは植物性のアレで代用できるかも」そんな発見をした。毎日三食、ヴィーガン料理に挑戦して料理が好きになっていった。食べることも好きになっていった。だから、植物性の摂取だけだと痩せるイメージがあると思うが、私は体重は落ちなかった(笑)

お肉やお魚の代わりに大豆ミート。牛乳の代わりにソイミルク。。。

有難いことに今の世の中、植物性食品が溢れている。今では、作れないヴィーガン料理の方が少ないんじゃないかとまで思ってる。それくらい植物性だけで、食事を楽しめる。

なんだかヴィーガンを勧めているみたいだけど、そうじゃなくてただ私の生き方を話したいだけ。どうぶつを想ってヴィーガンになったけど、結局ヴィーガンをすごく楽しんでいる自分がいる。最後に一つ言うと、誰か(私の場合、どうぶつ)を大切にしたいと思うと、自然と自分も大切に想えるようになった。

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