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苦手克服しないといけない?

自分は論理的に考えるのが苦手だ。何かややこしいことを言われると、すぐ思考停止してしまう。

また、何か言うことが浮かんでも、(これ本当に言っていいのか…?)と思ってしまって、結局黙ってしまう。

あと、人前ではきはきしゃべるのが苦手だ。何か言われた時、その場を和ませたり盛り上げたりするうまい返しをするのもできない。無難にヘラヘラして「アア…ソッスネ…」と全く面白くない相槌を打つことしかできない。

最近、この「苦手なこと」が求められる機会が多くて、疲弊してしまった。ただでさえ自覚もあるのに、さらに他人に「あなたってこういうところが弱いよね。このままだと成長しないよ」と指摘され、へこんでしまった。

「いい加減、苦手を克服しなくてはいけないのか…」

でも、苦手なことって、やりたくない。
そもそも進んでやっていることなら苦手になるはずがない。やりたくないから苦手になり、苦手だからさらにやりたくなくなるのだ。悪循環。

そもそも苦手を克服する必要ってあるのか?

昔、いわゆる昭和バブルの時代は、ある程度人生の成功ルートがあって(いい大学に行って大企業に勤めれば人生安泰、みたいな)、皆と一緒のことをすれば大丈夫。っていうのがあったと思う。
だから皆ができていて自分ができないこと=苦手なこと、があるというのは改善すべき状況であって、苦手は克服するべきものだ、という主張が成り立っていた(と思う)

しかし、最近は個人、多様性が尊重される時代。同調圧力は次第に薄れ、むしろ人がまだやっていないこと、自分はできないことをやってくれる人、が情報やコンテンツを発信し、それに需要が集まる時代。代表例がYouTubeだ。
自分がいけないところに行ってくれる人、自分じゃ買えないものを買う人、自分じゃ食べきれない量のご飯を食べる人。
こういう人は、苦手なことを克服して、ではなく得意なことを突き詰めているのではないか?…

とか思いながら見てたらこの動画!

これ、最高。
もちろん仕事ができないというのは一般的には良くないことであり、克服するべきものである。
でも、もしポインティが苦手を克服して、シゴデキ人間になっていたら得られるものはそれはそれであったとは思うが、少なくともこの動画は生まれていない。
苦手を克服しなくても、むしろそれをコンテンツにして発信することで仕事ができなくて落ち込んでいる人を元気づけることができる。すごすぎる!

色々ここまで書きながら思ったことは、苦手なことを克服、得意なことを伸ばすとか関係なく、
要は自分「なら」できる、ということが大事で、それは得意なことを突き詰めるでもいいし苦手なことをウリにするでも良いのだ…!と気づいた。

自分が苦手なことを指摘されてへこんでしまったのは、何か人間には成功するための必要条件があって、苦手を克服しないとその要件を満たさない劣った人間に成り下がってしまうのではという恐怖感、絶望感、無力感を感じたからだったのでは、と今なら思う。

結論、苦手なことを克服しなければ…と落ち込むのが一番何の生産性もない。開き直って生きてくわ。



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