橋の裏側と人の顔
鳴門の渦潮を見る観光船に乗ったことがある。
そこで渦潮よりも私の心を刺激したものがあった。
橋の裏側である。
めちゃくちゃ精巧に出来ているし、こういうのを見るのが私は好きだ。
でも、海にかかってる橋の裏側って、それこそ船にでも乗らないと見ることができない。
こんなにでかくて遠くから見える鳴門大橋も、裏側はほとんど誰からも見られないのである。不思議だ。
人間にも、自分の体でありながら自分の目で直接見ることができない場所がある。
耳の裏とか、背中とか。
あとは、普段鏡でよくよく見ている自分の顔も、決して直接は見ることができない。
顔って、他人を識別する上で1番分かりやすい部分だと思う。
それなのに、自力では自身の顔の形状を確認できない、と考えると
なんだか自分の存在が他人ありきで初めて定義されるような気がして、
得体の知れない気持ち悪さがある。
多分考えすぎ。
よろしければサポートお願いします!