第5球 「我が器」
「え?なんで?大学受験控えてんのに夏期講習とか行かんとそのサマースクールやらに行くの?」
彼は、まるで珍獣でも見るかのような目で、訪問してきた俺のことを見つめていた。
「…いやぁ…まぁ大学とかにはいきたいけど、二泊三日ぐらい勉強せーへんかっても大丈夫じゃないんかなぁ?っていうかそれが理由で落ちる奴は最初から落ちるとは思うけど…」
俺は、なんとか同学年の彼にサマースクールに来て欲しい気持ちも合わさって、少々生意気な返答を彼にした。
「やっぱもう夏期講習申し込んでるしなぁ。あと、正直あんまり朝鮮とか韓国とか興味ないからいいわ。」
「で、でもな、受験勉強なんて浪人してでもできるやんか!でもこのサマースクールっていうのは高3は今年で最後やねん!もう来年とかは行けないんやで…頼むわ、一緒に行こうや!」
「…ええわぁ、ごめんやけど…」
慣れてるとはいえ、このサマースクールの勧誘で断られた時はやはり落ち込むものだ。
日本の学校に通っている同胞学生がまともにしっかり自分のことを在日朝鮮人だと気づけるのはこのサマスを置いて他にはない。
まさに民族的生命線なのだ!
そんな思いを原動力とし、サマースクールの動員をがむしゃらに行っていた。
さて、そのサマースクールが終わった高3の秋頃から、俺の「受験戦争」が始まったのだった。
とある授業の休憩時間、同級生のMが不敵な笑みを浮かべながら俺にこう言ってきた。
「お前、なんか先生がR大の校内選抜試験受けてみろって誘ったのに断わったらしいなぁ?
あれって部活三年間やってたら成績そこそこでも担任に推薦してもらえたんやろ?
もったいなっ!アホちゃう!?」
確かに、部活を三年間していたのとそこそこの成績状態を基に、担任から校内指定校推薦枠であるR大の経済学部を薦められたが、俺は断わっていた。
「あほってどういうことやねん!?俺は経済なんて今は勉強したくないの?どうせなら歴史を勉強したいの!」
「なんでやねん!?R大行った方が就職いいとこできるやん!?俺なんかR大の法学・産業社会・経済・文学部やら片っ端から受験するぞ!どっかにひっかかったら勝ちやん!」
Mは明らかに優越感に浸っていた。
「は?…お前は一体何がしたいの?何を勉強したいの?R大自体を勉強したいの?俺はそんなわけ分からん受け方なんてしたくないわ!」
こう返答すると、Mはあきれたような顔をしてそのまま席へ戻って行った。
中学生ぐらいの頃から漠然(ばくぜん)と大学に行きたいなぁという気持ちはあった。
しかし、高3になってからは「一体、大学って何だ?」という事がずっと俺を悩ませていた。
周囲の同級生たちが「大学に行くためにいかにすべきか?」を考えている時に、俺は「そもそも大学に行くべきか?」という前提の問題について考えていたのだった。
まず、偏差値というものが意味不明だ。
確かに全模擬試験受験者数の中で自分がどの辺りにいるのかや、志望校への合格可能性を知るには便利だとは思う。
しかし、それを基に自分や周囲が受験生のあらゆる能力や人格まで決めてしまうのはどう考えてもおかしい。
結局、偏差値が高いといわれる学校は「難しい試験を出している」だけであり、試験を解くのが上手い奴が通っているだけじゃないか!
なぜ、全ての高校生を社会的にその偏差値という数字で格付けし、その生存競争とやらに参加させてしまうのだろう。
その数字で大学の良さを決め、その数字で高校生を判断し、その数字で将来の成功の是非を判断する…。
じゃぁ!
<偏差値が一番高い学校は東大>
↓
<その東大でも最も難しいのが文Ⅰと理Ⅲ>
↓
<さらに文Ⅰはそもそも官僚を育成する学部である>
↓
<そして官僚機構の中でも最も優秀な人が集まるのが大蔵省(現財務省)だという>。
結局、偏差値を基準とした受験戦争というのは、大蔵省のトップである事務次官を頂点にしたものじゃないかっ!
なんじゃいそら!!
極端ではあるけど、俺はこういう結論にいたっていた。
その夜、俺は一句をしたため自分の机の前にはった。
それ以後、受験するなら学校の名前とか偏差値の高さに捉われず純粋に「歴史学部」を軸に受けようと決意した。
ところがである。
さらに深く考えているうちに、「そもそも大学とはいくべきものなのか?」と悩み始めた。
「いい大学行って、いいとこに就職して、社会的に成功したとしても…死んだら一緒やんけ…。
仮に死後の世界があったとしても、この現世で得た学歴・資格・財産は何の意味もないはず…。
じゃぁ、俺らが今しているこの営みは一体どういった意味があるんや…全くの無駄なんか…無意味なんか…
自分が朝鮮人として生まれたということはなんの意味もないのか?
サマースクールも学生会活動も、あれだけ信念もってやってたことすべてが結局は徒労に終わってしまうのか?
嫌だ!絶対に嫌だ!なにか意味があるはずだ!!」
俺は大学について考えるうちに、途方も無くデカイ事まで考えてしまうようになっていた。
それ以降、まるで現実逃避をするかのように朝青の学生会活動に専念していった。
そんな日々が続いていたある時、
「大学に行かないとすれば、俺は何をしたいねん!ん、待てよ?まだはっきりと見えてないのなら、とりあえず行ってからまた考えたらいいんじゃないのか!
行かせてもらえる幸運な環境にあるのだから、その4年でもう一回自分のやりたいこと考えてみたらいいんじゃないだろうか?焦ることはない。何がしたいか分からないのなら、分かるまで待てばいいじゃないか?そうすればいつか何か見えてくるかもしれない!」
と考えるに至った。
いや、そう自分を納得させた。
俺は大学へ進学することに(ムリヤリ)決めた。
しかし、時期は既に11月半ば。
そこから、とりあえず超苦手だった英語を軸に受験勉強をし始めた。
そして、
2月になんとかB大の歴史学部に合格することができた。
将来何がしたいか分からないけど、とりあえず大学でしなければならない事は分かったぞ!
俺はようやく人生初の哲学的な悩みから一旦解放されたのだった。
そして、あとは卒業を迎えることになっていた。
だが、俺にはまだ高校生活でやり残したことが一つあった。
それは、恩師と友人たちに自分が朝鮮人であることをカミングアウトすることだった…
今日もコリアンボールを探し求める・・・
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