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第15球 「サマー・タイム・ブルース」(後編)

「最近なんかヤマンバって言葉が巷(ちまた)で流行ってないですか?」


アメリカへ向かう飛行機の中で、一緒に乗っていた後輩のSが唐突に俺に話しかけてきた。


「あぁ、なんか一時のアムラーとかいうのがどんどん進化して顔面真っ黒に日焼けして、さらには髪の毛も原色やら白髪っぽいのにしてる女子高生らのことやろ?あんなんって東京の一部の子らだけやろ?地元では見たことないけどな。」


「あれってなんで日焼けしたいんでしょうね?黒人への憧れとかあるんですかね?生まれたままの肌の色でええやんって思いますけど。」


「まぁ、憧れっていうのは自己のコンプレックスの裏返しみたいなものやからなぁ。植民地時代の親日派が日本人よりもより一層日本人らしくあろうとした精神背景と似てなくもないわなぁ。」


なんでこいつこんな質問してきたんやろ?と思いながらも、俗っぽい話から一気に高尚な話に持っていくという知的遊戯に俺は浸っていた。


あの感動的なマダン、そして役員講習会、サマースクールを終え、俺は大学生活最後の夏をこの「マイベストサマー」という英語研修で締めくくろうとしている。


成田空港からの出発組と、関西空港からの出発組で分かれて、現地のロサンゼルス空港で合流の予定だ。俺は引率者含めた関西空港組8名と一緒に飛行機に乗っていた。


とにかく乗っている時間が長くて映画を3本見ても時間が余っていた。高校生の時に修学旅行でハワイへ行ったことがあったが、今回はそれよりも長かった。


なんとか時間を潰し、無事にロサンゼルス空港へ着くことができた。アメリカへの入国手続きを終えると、空港出口に成田出発組の8名が先に待っていた。

互いに軽い挨拶を終え、空港へ着くや否や滞在先のコテージに移動し、荷物を下ろし一息ついた。俺はSと同じ部屋になった。


「とうとう来たなぁアメリカ、ロサンゼルスへ!」


俺がそう感慨深く言うと、


「しかし、大学生活の最後の夏をアメリカで締めるっていうのは先輩もなかなかすごいですね。しかも、去年は朝鮮民主主義人民共和国へ行ってたというおまけ付きですし!」


後輩のSは俺をからかうように言った。


「<敵を知り、己を知れば百戦危うからず>を俺は実践しているんじゃい。まぁ、その辺の大学生にはできないだろうねぇ。」と俺はいい、一人悦に浸っていた。


数時間後、自己紹介を兼ねた説明会が早速あるという事で俺たちは研修室へ移動した。


今回のメンバー構成は大学生12名(男6名、女6名)、高校生1名、小学生1名、引率者2名の計16名となっていた。ちなみに、高校生と小学生は姉弟で、なぜか特別に今回の大学生対象の行事に親のコネで強引に参加してきたらしかった。


主な一日の流れは、午前中に英語の学習、午後からは研修と観光となっており、観光にはハリウッド、ヨセミテ自然公園、ディズニーランドなど有名どころがラインナップされていた。


「うひょー!ハリウッド行けるなんて知らなかったぜ!ヨセミテもすごい景色のいいところらしいじゃないか!」


と一瞬テンションが上がったが、俺はすぐに自分の使命を思い起こした。

そうだ、俺には留学同に疎遠な参加者に少しでも関ってもらえるよう橋渡しになるという使命が課されているのだ。


それからは参加者一人一人を凝視しながら、このタイプにはこう話しかけていこうなどを熟考しシミュレーションをしていた。


俺がそうやってギラギラした目でいると、引率者がみんなに紹介したいということで1組の夫婦が研修室へ入ってきた。

聞くと、二人ともアメリカに住むコリアンで、20代の頃に結婚を機に韓国からやってきたとのことで、今回の研修のホストをしてくれるらしかった。

妻の方はふくよかで笑顔がよく似合ういかにもオモニという感じで、夫の方はメガネをかけて中肉中背の典型的な韓国人男性といった雰囲気だった。


「Jと申します。よろしくお願いします。」と片言の日本語で話してくれたが、このJ夫妻は基本的にはハングルと英語しかできないとのことだった。

英語もハングルもまともにできない俺は、なかなか二人と意思疎通がうまくできないかもしれないなぁと心配した。


この日の晩はJ夫妻の家で歓迎パーティーを催してくれた。パーティーでは、それまで堅い表情をしていた参加者たちが一気に和み、俺もほぼ全員と話すことができた。

なかでも一気に雰囲気を和ましてくれたのはJ夫婦の娘である4歳のKちゃんだった。Kちゃんは基本的に英語で話すのだが、たまにハングルが混じって何とも言えない可愛らしさを見せてくれ、みんなを楽しませてくれていた。


翌朝から早速授業が始まった。当然英語の授業であるが、ここで参加者の英語能力のレベルに合わせてクラスを分けることになっていた。

参加者の多くは外国語系などが多く、ほとんどの参加者がそこそこレベルが高かった。

歴史学部東洋史専攻の俺はとうぜん英語が苦手で、正直、どうしてここに参加したのですか?大丈夫ですか?状態であった。

結果、初級コースと中級コースにわかれ、俺はあの高校生小学生の姉弟と一人の男子大学生1回生で構成された計4名の初級コースに所属することとなった。

大学4回生にもなって小学生と同じコースかよ・・・と少し情けなくもなったが、俺の使命は他にあるという自尊心でなんとかやり過ごすことにした。


初級コースでは、文法などではなく主に発音を中心に学習していった。おかげでRoomの発音がうまくなってきた。

また、英語で寸劇をするなど、単に椅子に座って行う授業ではなく体などを使うものが多く、非常に斬新でおもしろい授業内容だった。


また、授業が終わると、ラインナップされていた通りハリウッドやヨセミテ自然公園、またUCLA大学という名門大学などを堪能した。

もちろん単に観光を満喫したのではなく、参加者たちとの交流も忘れなかった。大学生活の様子を聞いたり、将来の夢を語ったり、留学同活動の内容や半島情勢など話したりと、場所はアメリカ西海岸ではあったが、自分なりの在日朝鮮人運動に励んでいた。


「マイベストサマー」も半分を過ぎようとしていた夜、同部屋のSが話があると言ってきた。


「先輩、実はおれ、好きな子ができてしまって。成田空港組のIって子いるでしょ?女子大の子です。」


予想してなかっただけに驚いたが、冷静になって考えてみれば年頃の男女が数日間共に過ごすのだ。当然色恋沙汰はあるだろう。


「まじかっ!たしかにあの子はかわいい顔してるよなぁ。お前は純粋に得意の英語をレベルアップさせたいから参加したと聞いてたけど、恋愛もレベルアップさせたいのか?この欲張りめっ!!笑」


いつもからかわれるので、ここぞとばかりにからかってやった。


「参加した当初はもちろんその気持ちでしたよ。でも、ここ数日過ごしていてなんかこうかわいく思えてきたんですよね。で、たしか明日の昼からディズニーランドへ行くじゃないですか?そこでちょっと気持ちだけでも伝えておこうかなと思って。ダメですかね?」


「ディズニーランドは告白する場所ちゃうぞ!子供達が夢に浸る場所やぞ!まぁ、お前がそこまで言うなら伝えたらいいと思うけど、フラれたら残りの期間地獄やぞ。耐えられるのか?」


「た、確かに想像するだけで吐きそうですね。ただ、耐えられるかどうかは分かりませんが、とりあえず伝えておきたいんですよね。しかも場所もある意味絶好の場所ですし。」


後輩Sの決意は固そうだった。


「分かった。じゃぁ、伝えろ。あとは俺がフォローしてやるわ。」


「コマッスミダ。お願いします!」


俺とSはそう約束し合って、その日は眠りについた。


翌日、いつものように初級部での授業を終えた俺は、ディズニーランドでどうやって在日朝鮮人運動と昨夜のフォローをしてやろうかしらと考えてばかりいた。

昼からの観光での移動手段はいつも2台のワゴンカーを利用していた。

運転手はJ氏と引率のMさんだった。

アメリカは交通機関が日本より発達していないらしく、どこへ行くのでも車が必要であり、逆に車がないと不便ここに極まれり!という状況だった。

今回のディズニーランドも片道3時間ちょっとかかるということで、移動時間の長さに慣れて来ていたとはいえ少し辟易した。


俺はSと同じJ氏が運転する車に乗った。この日は、J氏の娘のKちゃんも行くとのことで同乗していた。

いつものようにKちゃんがみんなを和ませてくれて、3時間はあっという間に過ぎ、楽しみながら目的地へ着いた。


本場のディズニーランドということもあり、当然案内板も、メニューもショーのセリフも流れるアナウンスも全部英語だった。

東京のディズニーランドへ行ったことはあるが、どっちかというと少々レトロな感じがし、英語だらけという点を除けば新鮮さはなかった。

まぁ早い話が、大学生が楽しめるような乗り物やアトラクションが少なかったのだ。しかし、女性や小学生はものすごく楽しんでいた。

またみんなのアイドルであるKちゃんもはしゃぎまくっていて鼻血がでるほど楽しんでいた。

そんな夢のひと時も終わりを迎え、再び3時間かけて宿泊先へ帰ることになった。

その時、Sが悲壮な顔をして戻ってくるのが見えた。

俺はその時に気付いた。

しまった!あいつの告白のフォローを忘れていた!!

俺はなぜかKちゃんに好かれてしまい、ランドでの殆どの時間を彼女にしがみつかれ面倒を見させられていたのでSのことなどすっかり忘れていたのだった。

Sは放心状態だったのか、行きとは違うワゴンカーへ乗り込んでしまった。


悪いことしたなぁ。あの表情やと思いは伝えたけどやっぱりダメだったというパターンやな。うーん、どうやってSを励ましてやろうかしら?


そう悩みながら俺はワゴンに乗り込んだ。


帰りは来た時よりも車が空いており、運転手のJ氏も結構速度を出して運転していた。

同乗していたKちゃんは、ディズニーランドで思いっきり楽しんで疲れていたはずなのに、車中で寝ることなくずっと話していた。


俺は帰りの移動時間を少しでもやり過ごすべく、Kちゃんと遊ぶことにした。前述の通り、Kちゃんは英語しか話せず、逆に俺は日本語しかまともに話せなかったのでどうやって遊ぼうかと考えた。


「Kちゃん、今日は楽しかった?ドキドキした?」


俺は無意識に日本語で話しかけてしまった。


すると、Kちゃんは「ド、キ、ド、キ?」とたどたどしくも発してくれた。

俺はこれだ!と思い、とにかく自分が思いつく日本語を彼女に復唱させていこうと考えた。


「さ、し、み!」
「サ!シ!ミ!」


Kちゃんは勢いよく復唱した。同乗していた仲間もKちゃんのかわいさに癒され笑みがこぼれていた。


「じゃぁ次は、ふ、じ、や、ま、げ、い、しゃ!」
「フ!ジ!ヤ!マ!ゲ!イ!シャ!」


さっきよりももっと元気にKちゃんが復唱し、車中は大盛り上がりになってきた。俺も調子づいてきて、よりおもしろい言葉を復唱させようとした。


「さ、る、ご、り、ら、ち、ん、ぱ、ん、じー!」
「サ!ル!ゴ!リ!ラ!チ!ン!パ!ン!ジー!!」


盛り上がりは最高潮になり、笑い声が爆笑になってきた。Kちゃんも俺も勢いは止まらなくなってきた。


「これはどうだ!や、ま、ん、ば!!」
「ヤ!マ!ン!ヴァ!!」


車中は再び大爆笑に包まれた。

が、その瞬間だった。


「シャラップッ!!」


一瞬、誰が叫んだのか分からなかった。

しかし、その叫び声は明らかに怒りに満ちていた。


「チョッタンヒ!チョッタンヒ!」


さらにハングルまで聞こえてきた。その声の主は、運転席に座っている人、J氏だった。


先ほどまでの盛り上がりとは打って変わって、車内はまるでお通夜のように静まり返り、車の走る音が無機質に聞こえてくるだけだった。


俺は何が起こっているのか理解するのに数秒要した。

ただ、起こったことは理解はできたものの、なぜJ氏が怒っているのかは未だに理解できずにいた。

帰りの車に乗ってまだ30分ぐらいしか経っていなかった。残りの2時間半は誰も何も話さず、苦痛のなにものでもなかった。


ようやく宿泊施設につき、俺はすぐに付添ってきてくれているスタッフに一部始終を話した。

スタッフはその話を聞くとすぐにJ氏のところへ飛んで行った。そして数分後、スッタフとJ氏が俺の元へやってきた。


「今、Jさんから話を聞きました。とにかく怒ってしまったことを謝りたいそうです。」


スッタフがそう言うと、J氏が「ミアナダ、ミアナダ」と俺に謝ってきた。俺は再び意味がわからなかった。


「実は、君がKちゃんに日本語の汚くて普段使わないような言葉を言わせて、それをみんなで笑い者にしていると思ったらしい。」


はて?俺はそんなに汚い日本語をKちゃんに言わせていただろうか?説明は受けたもののまだしっくりきていなかった。


「他の日本語に関してはJさんはなんとも思わなかったらしいんやけど、ヤマンヴァという言葉がとてもよくない言葉だと知っていたみたいで、それを何も知らない自分の娘に言わせて嘲笑している姿につい腹が立ってしまったらしい。」


え?ヤマンヴァがよくない言葉?日本での報道が面白おかしく扱うから、その影響でJ氏が誤解してしまっているのかもしれない。

ただ、その言葉を言わせただけであんなにキレてしまうものなのだろうか?

そう考えてると、J氏は何かを察したのか俺に向かって英語で話しかけてきた。

初級コースの俺からすれば何を話しているのか分からなかった。とりあえず、分かっているふりをして会釈ばかりしていた。その場はお互いに謝り、J氏とは握手して別れた。


「J氏が帰り際に英語で何って言ってたか分かる?」


見送り終えたスッタフが俺にそう話しかけてきた。


「いやぁ、ちょっと分かりませんねぇ。誤解を与えたのは申し訳ないですが、あそこまで過敏になる必要があるんですかねぇ?」


「Jさんはこう言ってましたよ。私は自分の娘が本当に可愛い。だからこそ、自分たちの言葉をしっかり身につけて欲しいと思っている。でも、それがなかなかできない。いくら家庭でハングルを使っていても、やはり子供たちは英語を話す。民族学校なるものがあればそこへ通わせたいけど、それがないのが現状だ。だからこそ、私たちは子供たちが学ぶ言葉に細心の注意を払っている。そこは理解して欲しい、と」


そうだったのか!

「チョッタンヒ(適当に)!」と言っていたのはそういう理由からだったのか!在米コリアンと在日コリアンとはその歴史的背景や旧宗主国に住んでいるか否かという点で決定的に異なるし、単純な比較はできない。

しかし、自分の子をどう育てるのか?またその為の選択肢はどれぐらい保障されているのか?という部分に関しては同じだ。


「あと、Jさんはこうも言ってましたよ。きみたち在日コリアンがうらやましい、と」


俺はこの瞬間、日本にある朝鮮学校の貴重さと、それを作った1世たちに心から敬意を払った。

それと同時に、J氏のコリアン魂の力強さを感じた。


約二週間に及んだマイベストサマーもとうとう閉校式を迎え、俺たちはロサンゼルス空港へやってきた。英語の講師やスッタフ、そしてJ親子が見送りに来てくれていた。


俺はJ氏家族の前に行きこう伝えた。


「Also back to Japan I'll do my best to study English. And, I'll do my best also study of Hangul. I do not lose to the K-chan.(日本に帰っても英語を頑張って勉強します。そして、ハングルもしっかり勉強しますね。Kちゃんには負けませんよ。)」


すると、J氏はニヤニヤしながら握手を求めてきた。


ターミナルへ出発し、最後に後ろを振り返ると、Kちゃんが笑いながら「ヤマンヴァ、バイバイ!」と手を振っていた。


今年の夏は、フラれたSにとってはマイ・ワースト・サマーだったかもしれないが、

俺にとっては本当にマイ・ベスト・サマーだった。


帰国後、季節は秋となり学祭シーズンを迎えることになるのだが、

俺はそこで久しぶりにぶちギれることになる。


今日もコリアンボールを探し求める…。

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